2018年2月13日火曜日

予測しない

昨夜、弟子と散手稽古をしていた時に流れで自由推手になった。
自由に動き回っていいので、これがまたなかなかむずかしい。

近づけば逃げられてしまい
軸をとって崩そうとしてもやはり
いなしながら手と足で逃げられてしまう。
ほんの一瞬の隙を狙うしかない。

散手の場合は相手が打ってきたり掴んできたりした場合の技が決まっていて
それを繰り返し練習するが、
推手の場合は手を触れておくというルールはあるものの、散手より自由度が高い。

隙あらば打ったり崩したりしてよく、
散手では得られない感覚を磨くことができる。
いわば、やらせ一切なしの真剣勝負だ。

そのようなことで今回も特に意識したことは、
相手の動きを予測しようとしないこと。

予測しなければ崩されてしまうのでは?!
と、思うかもしれないが、
それならそれでいい。

崩されたからと言って死ぬわけでもなく、地球が滅びるわけでもない。
逆に言えば、崩されなければ聴勁や化勁を鍛えることは決してできない。
崩されまいと力で抑えようとしたり踏ん張ったりしても、それは太極拳ではない。

太極拳の心得をひとつにしぼるなら、
「用意不力」
つまり力を使っては絶対ダメということにする。
自分の中で使用禁止にする。

力を使わないのは筋力だけではない。
頭も同じ。
脳力を使おうとしない。

もしかしたら次あたり相手が打ってくるんじゃないか?
これ雑念であり妄想なり。
こんなものは燃えるゴミとして収集日に捨ててしまおう。

私が得た感覚は
予測しようとしないことこそが自然と予知力を生み出す。
恐れない。
自分を信じる。

仮に崩されても多くのことを学べる。
崩すことができても学べる。
どっちに転んでも自分にとってプラスのことしか起きないんだ。

すべてを受け入れる。

そんなことをいつも念頭において推手してるが、
まだまだ雑念が湧いてしまうことがある。

更に修行を積もう。