最近よく言われること。
「知ってます」
「わかってます」
「今までこうだった」
「自分はこうだから」
とても個性的な発言だし、
師弟関係でなければそれもいいだろう。
今の自分が好きなんだろうし、自信もあるのだろう。
とても素晴らしいことだと思う。
しかし、これに返す言葉はない。
なぜなら本人に変わるつもりはないのだから。
いずれもこれらの言葉の意味は、
こちらが本人のためにしようとしていることを拒絶する言葉。
先程の言葉のあとに入る言葉は
「だから教えて頂く必要はありません」になる。
過去の自分を主張するのは自由だが、
過去は過去。
その枠の中に新しいものは入らない。
新しいことを学びたいなら枠を広げなければ決してはいることはない。
一升にはどうやっても一升分しか入らないのだ。
先程の言葉の2つ目までは論外として、
3つ目と4つ目は「だけど、これからは変えて行きたい」
こうなってくると話は違う。
きっと私は意欲的に指導に力を注ぐだろう。
因みに自分にとっての人生の目標は?
それは、
好きな自分になりたい
自分の可能性を知りたい
今の自分が好きなのではなく好きになれる自分になりたい。
まだまだ全く満足していないということ。
自分の可能性も知りたい。
だから、新しいことにどんどん挑戦したい。
過去は過去。
私にとって過去はいわば燃えカス。
当時は燃えていたが今は燃えていない。
だから灰なのだ。
灰に拘って人生を終えたくない。
思い出に浸るのもたまにはいいが、
思い出ばかりに浸っていては何も変わらない。
自分がどこまで上りつめることが出来るか?
それが自分にとっての人生の目的であり、それが後世に続く道となると信じる。
今の自分に依存して立ち止まることだけはしたくない。
(あくまでも私の考えです)
2018年6月16日土曜日
2018年6月14日木曜日
氣の海で泳ぐ
ここ最近ずっと問題続きで、
頭を悩め、
心を痛め、
そんな日々が続いていたが、
これも自分に与えられた試練。
そもそも解決できない問題は起きない。
それに問題には意味があり、自分が目指すところへ行くためには必ず乗り越えなければならない。
先日、検定試験の採点が終わり合否発表を行ったが、
採点をしながら、一人一人のことを想う。
泣くほど辛い出来事がありながらも頑張った人。
入院中の親の病院に通いながらも頑張った人。
毎日仕事と育児に追われながらも頑張った人。
毎日仕事と家事と親の介護をしながらも頑張った人。
辛い持病と闘いながらも頑張った人。
今回合格した人のほとんどが、そんな辛い状況の中、
それを一切理由にすることなく、寧ろそれをバネに毎日努力されてきた方だった。
もし、私が同じ立場だったらどうだろう?
親が倒れて入院中、ここまで頑張れるだろうか?
仕事と育児と親の介護をしながら、ここまで頑張れただろうか?
本当に凄いことだと思うし、私自身も勉強させられた。
辛さを自分にパワーに変え、努力されたその情熱がその場で伝わってきた。
「つい半年前までは全然出来なかったことが、出来るようになってる!」
感動させられたし、私もまた教えてきて良かったと思えた。
そんな中、今回残念だった方もおられる。
皆、積極的に稽古に参加され、心優しい良い人ばかり。
そんな人を不合格にしなければならないことほど辛いことはない。
正直、4日経った今でも胸が痛む。
太極拳は学科試験のようにはいかない。
なぜなら、学力というのは他人から見えないから。
(テストの答案を見なければ)
しかし太極拳は、予備勢で立った瞬間からその人の功夫(実力)がわかる。
この世界の人からはもちろん、誰から見てもすぐに実力がわかってしまうのだ。
だから極めて厳正かつ公正な採点をしなければならない。
もし甘い採点をしたならば、本人自身が本当の実力とのギャップに苦しむことになってしまうかもしれないし、もしかしたら陰口を叩かれたり、冷たい視線を送られることだってあり得なくもない。
そんなことになっては絶対にいけない。
そのような訳で、
本人の立場や将来的なことまでよく考えた上で、極めて冷静な採点をさせてもらった。
***
そんな中、昨日の午前稽古では、套路中だけでも全てを忘れ、
太極拳の世界に没頭したいと思い、完全にその世界に入り込んだ。
極限まで雑念を払い、
瞑想状態に入り、
ただただ体の中や外の氣の流れだけを感じる。
体は中はどんどん熱くなり、
そして体の外はやさしい氣に包み込まれ、
まるでそれは氣の海で泳いでいるかのよう。
本当に心地よかった。
とろけるような感覚。
煙のように空気と同化するような感覚。
氣の粘りや、風さえも感じる。
ストレスピークの状態から完全に開放された。
ここで悟りを得た。
今後、口で説明するのを最小限にしようと。
口ではなく、氣で伝えようと。
だから、耳から学ぶのではなく、体全身で私の氣を感じて欲しいと思う。
私はこの5年間教えることにかなりパワーを注いできた。
昨夜はその疲れが出たのか、体が熱っぽくなり風邪の初期症状が始まった。
しかし、ここで倒れるわけにはいかない。
ありとあらゆる方法でその晩のうちに完全に治した。
今後の稽古は、
「聞こえてくる」ではなく、
「聞こうとする」「感じようとする」ように。
ここ最近の出来事は私に大切なことは教えてくれた。
ようやく本当にやりたかった方法で教えることが出来る時期に来たのだと。
頭を悩め、
心を痛め、
そんな日々が続いていたが、
これも自分に与えられた試練。
そもそも解決できない問題は起きない。
それに問題には意味があり、自分が目指すところへ行くためには必ず乗り越えなければならない。
先日、検定試験の採点が終わり合否発表を行ったが、
採点をしながら、一人一人のことを想う。
泣くほど辛い出来事がありながらも頑張った人。
入院中の親の病院に通いながらも頑張った人。
毎日仕事と育児に追われながらも頑張った人。
毎日仕事と家事と親の介護をしながらも頑張った人。
辛い持病と闘いながらも頑張った人。
今回合格した人のほとんどが、そんな辛い状況の中、
それを一切理由にすることなく、寧ろそれをバネに毎日努力されてきた方だった。
もし、私が同じ立場だったらどうだろう?
親が倒れて入院中、ここまで頑張れるだろうか?
仕事と育児と親の介護をしながら、ここまで頑張れただろうか?
本当に凄いことだと思うし、私自身も勉強させられた。
辛さを自分にパワーに変え、努力されたその情熱がその場で伝わってきた。
「つい半年前までは全然出来なかったことが、出来るようになってる!」
感動させられたし、私もまた教えてきて良かったと思えた。
そんな中、今回残念だった方もおられる。
皆、積極的に稽古に参加され、心優しい良い人ばかり。
そんな人を不合格にしなければならないことほど辛いことはない。
正直、4日経った今でも胸が痛む。
太極拳は学科試験のようにはいかない。
なぜなら、学力というのは他人から見えないから。
(テストの答案を見なければ)
しかし太極拳は、予備勢で立った瞬間からその人の功夫(実力)がわかる。
この世界の人からはもちろん、誰から見てもすぐに実力がわかってしまうのだ。
だから極めて厳正かつ公正な採点をしなければならない。
もし甘い採点をしたならば、本人自身が本当の実力とのギャップに苦しむことになってしまうかもしれないし、もしかしたら陰口を叩かれたり、冷たい視線を送られることだってあり得なくもない。
そんなことになっては絶対にいけない。
そのような訳で、
本人の立場や将来的なことまでよく考えた上で、極めて冷静な採点をさせてもらった。
***
そんな中、昨日の午前稽古では、套路中だけでも全てを忘れ、
太極拳の世界に没頭したいと思い、完全にその世界に入り込んだ。
極限まで雑念を払い、
瞑想状態に入り、
ただただ体の中や外の氣の流れだけを感じる。
体は中はどんどん熱くなり、
そして体の外はやさしい氣に包み込まれ、
まるでそれは氣の海で泳いでいるかのよう。
本当に心地よかった。
とろけるような感覚。
煙のように空気と同化するような感覚。
氣の粘りや、風さえも感じる。
ストレスピークの状態から完全に開放された。
ここで悟りを得た。
今後、口で説明するのを最小限にしようと。
口ではなく、氣で伝えようと。
だから、耳から学ぶのではなく、体全身で私の氣を感じて欲しいと思う。
私はこの5年間教えることにかなりパワーを注いできた。
昨夜はその疲れが出たのか、体が熱っぽくなり風邪の初期症状が始まった。
しかし、ここで倒れるわけにはいかない。
ありとあらゆる方法でその晩のうちに完全に治した。
今後の稽古は、
「聞こえてくる」ではなく、
「聞こうとする」「感じようとする」ように。
ここ最近の出来事は私に大切なことは教えてくれた。
ようやく本当にやりたかった方法で教えることが出来る時期に来たのだと。
2018年6月8日金曜日
忘れるために書く
私は師に稽古をつけて頂いた後、
まず真っ先にすることはノートをつけること。
情報はただではない。
情報はお金であり、時間であり、力だ。
情報には努力がたくさん詰まっている。
それに、師が貴重な時間を割いて教えてくださったことを簡単に忘れるわけにはいかない。
教えとは自分にとって宝物。
その宝を放置するわけにはいかない。
その方法がノートをつけるということ。
ところで、ノートをつけるという行為。
皆さんはどう捉えておられるだろう?
私にとってノートをつけるという行為は忘れるため。
なぜ忘れたいか?
それは、次の新しい情報や知恵を入れたいから。
一旦頭を空にしないと入らないということ。
覚えておくという行為は、新しい情報が入り辛いということでもある。
なぜならそれを入れてしまうと、さっきまで覚えていたことを忘れてしまうから。
だから、常に頭を空にすることはとても大事。
情報だけではない。
空にすることで天から教えを授かることもできる。
いわゆるインスピレーションや閃きと言われるもの。
更には悟りを得ることも。
ノートをつけることにこれほど深い意味があると、どれだけの人が認識しているだろう?
忘れるために書く。
そして頭を空にする。
無になる。
そして、宝物である師の教えは世界でたった一つの自分だけの教科書として残る。
まず真っ先にすることはノートをつけること。
情報はただではない。
情報はお金であり、時間であり、力だ。
情報には努力がたくさん詰まっている。
それに、師が貴重な時間を割いて教えてくださったことを簡単に忘れるわけにはいかない。
教えとは自分にとって宝物。
その宝を放置するわけにはいかない。
その方法がノートをつけるということ。
ところで、ノートをつけるという行為。
皆さんはどう捉えておられるだろう?
私にとってノートをつけるという行為は忘れるため。
なぜ忘れたいか?
それは、次の新しい情報や知恵を入れたいから。
一旦頭を空にしないと入らないということ。
覚えておくという行為は、新しい情報が入り辛いということでもある。
なぜならそれを入れてしまうと、さっきまで覚えていたことを忘れてしまうから。
だから、常に頭を空にすることはとても大事。
情報だけではない。
空にすることで天から教えを授かることもできる。
いわゆるインスピレーションや閃きと言われるもの。
更には悟りを得ることも。
ノートをつけることにこれほど深い意味があると、どれだけの人が認識しているだろう?
忘れるために書く。
そして頭を空にする。
無になる。
そして、宝物である師の教えは世界でたった一つの自分だけの教科書として残る。
カテゴリ:
練習法
昭和38年大阪生まれ。学生時代、剣道、空手(剛柔流、極真)、旧日本陸軍の団体訓練を受ける。2002年に太極拳始めその後武術の研究を続ける。専門種目:気功、楊式太極拳、双辺太極拳、形意拳。2013年より指導を始め2020年に橿原神宮前に本部道場開設。一条伝統太極拳・綿拳内功研究会主宰
2018年6月2日土曜日
気沈丹田 ~丹田は腸?~
気沈丹田とは、気を丹田に沈めること。
気とは意(意識)であり、
丹田とはパワーの源、或いはエネルギー貯蔵庫でもある。
その部分はお臍から約5㎝下、その奥5㎝ぐらいの部分。
無論体型によって若干ことなるが、
医学的に見ればいわゆる仙骨の前、腸の部分であり、女性であれば子宮も含まれる。
丹田には人を豊かな心へと導くパワーがあり、
夢や願いを叶える自己実現の力も持っている。
丹田に疼くような力を感じる時、それは自分がパワフルな状態であり
物事を良い方向へと引き寄せる力を発する。
太極拳ではこの丹田を開発することを重要視する。
太極拳での戦いは丹田からパワーを発し、そのパワーによって相手の力を吸収しそれを返す力を身につけていく。
自分から攻撃しかけることはない。
いずれもこの丹田を鍛えることは、
心と身体を強くし、健康を増進させ、豊かな心を手にいれることができる。
さて、太極拳の練習をする時、何を意識するだろう?
手の位置?
動作?
歩型?
姿勢?
もちろん全部重要。
中でも一番大事なことは姿勢(軸)と丹田。
まず起勢の時、何を意識するだろうか?
手を前に上げようと意識するのではないだろうか?
もちろん動作を始めて覚える時はまずそれをできるようにする。
そして練習を積んでいくと、無意識でも手は正しい間隔、正しい位置、正しい動きで動こうとする。
無論そうなるまでは徹底的に意識することが大事。
いきなり無の境地になど至れるはずはなく、最初は意識から始まる。
更に鍛錬を積んでいくと、起勢の時、手は無意識に勝手に動くはずだ。
それは起勢限らず、
攬雀尾、単鞭、楼膝拗歩、搬欄捶、十字手、倒輦猴、雲手、踵脚、下勢、どれも全て。
いわゆる無意識でも正しい姿勢で正しい動きが出来るようになることが太極拳で学ぶ最初のステップ。
そして次は、丹田を意識すること。
単鞭は自分に勝手にやらせる。
というより勝手に体が動いてくれる。
その時意識することは丹田と動きを一致させること。
これを内外相合(ないがいそうごう)という。
最もわかりやすい例で言えば、踵脚。
ほとんどの人が足を上げようと思うだろう。
しかし、足を上げようと思わなくとも、足は勝手に上がってくれる。
それよりも意識することは丹田。
足は足に勝手にやらせておいて、意識は丹田に集める。
そして足を蹴り出した時に丹田から気を放射させる。
踵脚は足をあげる運動ではない。
蹴り技。
もっと言えば、丹田から気を炸裂させるところ。
先輩は踵脚の動作を教えてくれる時、足の上手な上げ方ではなく
「こんなふうに波動を飛ばす」と教えてくれた。
先生は「宇宙に気を飛ばす」教えてくださる。
いずれも脚の上げ方など一度も教わったことがない。
いずれも、丹田から気の流れは常に上下左右前後に発せられており、
その力を使って自分自身の体を操っていく。
先程、丹田は腸がある場所と言ったが、それは下丹田の位置。
上丹田は脳の位置、中丹田は心臓の位置、そして下丹田は腸の位置。
脳は常に無意識でも働いており、心臓も同じく無意識に動き続け、そして腸も。
腸に対し脳から指令など送らなくとも、食べたものを自動的に栄養として取り込み、不要なものを排出してくれる。
あと、忘れてはならないのが腸内菌。
腸に住む腸内菌は100兆個以上と言われその数、世界人口より多い。
しかもその重さはなんと1キロ以上あるという。
腸は100兆もの生命が宿っているということ。
うち1割が悪玉菌、善玉菌は2割、
そして善玉でも悪玉でもないどっちつかずの菌である日和見菌(ひよりみきん)が7割。
この日和見菌は善玉が優勢であれば善玉菌につき、悪玉が優勢になると悪玉になるという意志薄弱な菌。
人間社会でもありそうな・・
とかく悪者扱いされる悪玉菌は絶対必要。
なぜなら、悪玉がなければ善玉の力が衰え、それこそ悪玉菌に支配されてしまうから。
人間は常に腹の中で闘っているということ。
まとめると、腸は指令を送らなくとも自ら腸を動かす意識を持っている。
そして、100兆以上もの生命を持っている。
これが腹にエネルギーを感じる理由。
腹を鍛えれば体まるごと健康になる。
腹を鍛えれば太極拳が上達し、強くなる。
とにかく気沈丹田なのだ。
意識を丹田に集中させれば氣がどんどん集まる。
氣は力。
つまり丹田が自分の太極拳の質を上げ、幸運をもたらしてくれる。
私は今でこそ武術を専門としているが、
元はといえば栄養学や予防医学が専門。
分野は違えど、どちらも人の健康を願っていることには変わりない。
丹田を鍛えよう!
気とは意(意識)であり、
丹田とはパワーの源、或いはエネルギー貯蔵庫でもある。
その部分はお臍から約5㎝下、その奥5㎝ぐらいの部分。
無論体型によって若干ことなるが、
医学的に見ればいわゆる仙骨の前、腸の部分であり、女性であれば子宮も含まれる。
丹田には人を豊かな心へと導くパワーがあり、
夢や願いを叶える自己実現の力も持っている。
丹田に疼くような力を感じる時、それは自分がパワフルな状態であり
物事を良い方向へと引き寄せる力を発する。
太極拳ではこの丹田を開発することを重要視する。
太極拳での戦いは丹田からパワーを発し、そのパワーによって相手の力を吸収しそれを返す力を身につけていく。
自分から攻撃しかけることはない。
いずれもこの丹田を鍛えることは、
心と身体を強くし、健康を増進させ、豊かな心を手にいれることができる。
さて、太極拳の練習をする時、何を意識するだろう?
手の位置?
動作?
歩型?
姿勢?
もちろん全部重要。
中でも一番大事なことは姿勢(軸)と丹田。
まず起勢の時、何を意識するだろうか?
手を前に上げようと意識するのではないだろうか?
もちろん動作を始めて覚える時はまずそれをできるようにする。
そして練習を積んでいくと、無意識でも手は正しい間隔、正しい位置、正しい動きで動こうとする。
無論そうなるまでは徹底的に意識することが大事。
いきなり無の境地になど至れるはずはなく、最初は意識から始まる。
更に鍛錬を積んでいくと、起勢の時、手は無意識に勝手に動くはずだ。
それは起勢限らず、
攬雀尾、単鞭、楼膝拗歩、搬欄捶、十字手、倒輦猴、雲手、踵脚、下勢、どれも全て。
いわゆる無意識でも正しい姿勢で正しい動きが出来るようになることが太極拳で学ぶ最初のステップ。
そして次は、丹田を意識すること。
単鞭は自分に勝手にやらせる。
というより勝手に体が動いてくれる。
その時意識することは丹田と動きを一致させること。
これを内外相合(ないがいそうごう)という。
最もわかりやすい例で言えば、踵脚。
ほとんどの人が足を上げようと思うだろう。
しかし、足を上げようと思わなくとも、足は勝手に上がってくれる。
それよりも意識することは丹田。
足は足に勝手にやらせておいて、意識は丹田に集める。
そして足を蹴り出した時に丹田から気を放射させる。
踵脚は足をあげる運動ではない。
蹴り技。
もっと言えば、丹田から気を炸裂させるところ。
先輩は踵脚の動作を教えてくれる時、足の上手な上げ方ではなく
「こんなふうに波動を飛ばす」と教えてくれた。
先生は「宇宙に気を飛ばす」教えてくださる。
いずれも脚の上げ方など一度も教わったことがない。
いずれも、丹田から気の流れは常に上下左右前後に発せられており、
その力を使って自分自身の体を操っていく。
先程、丹田は腸がある場所と言ったが、それは下丹田の位置。
上丹田は脳の位置、中丹田は心臓の位置、そして下丹田は腸の位置。
脳は常に無意識でも働いており、心臓も同じく無意識に動き続け、そして腸も。
腸に対し脳から指令など送らなくとも、食べたものを自動的に栄養として取り込み、不要なものを排出してくれる。
あと、忘れてはならないのが腸内菌。
腸に住む腸内菌は100兆個以上と言われその数、世界人口より多い。
しかもその重さはなんと1キロ以上あるという。
腸は100兆もの生命が宿っているということ。
うち1割が悪玉菌、善玉菌は2割、
そして善玉でも悪玉でもないどっちつかずの菌である日和見菌(ひよりみきん)が7割。
この日和見菌は善玉が優勢であれば善玉菌につき、悪玉が優勢になると悪玉になるという意志薄弱な菌。
人間社会でもありそうな・・
とかく悪者扱いされる悪玉菌は絶対必要。
なぜなら、悪玉がなければ善玉の力が衰え、それこそ悪玉菌に支配されてしまうから。
人間は常に腹の中で闘っているということ。
まとめると、腸は指令を送らなくとも自ら腸を動かす意識を持っている。
そして、100兆以上もの生命を持っている。
これが腹にエネルギーを感じる理由。
腹を鍛えれば体まるごと健康になる。
腹を鍛えれば太極拳が上達し、強くなる。
とにかく気沈丹田なのだ。
意識を丹田に集中させれば氣がどんどん集まる。
氣は力。
つまり丹田が自分の太極拳の質を上げ、幸運をもたらしてくれる。
私は今でこそ武術を専門としているが、
元はといえば栄養学や予防医学が専門。
分野は違えど、どちらも人の健康を願っていることには変わりない。
丹田を鍛えよう!
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