2018年6月16日土曜日

過去への依存

最近よく言われること。

「知ってます」
「わかってます」
「今までこうだった」
「自分はこうだから」

とても個性的な発言だし、
師弟関係でなければそれもいいだろう。
今の自分が好きなんだろうし、自信もあるのだろう。
とても素晴らしいことだと思う。

しかし、これに返す言葉はない。
なぜなら本人に変わるつもりはないのだから。

いずれもこれらの言葉の意味は、
こちらが本人のためにしようとしていることを拒絶する言葉。
先程の言葉のあとに入る言葉は
「だから教えて頂く必要はありません」になる。

過去の自分を主張するのは自由だが、
過去は過去。
その枠の中に新しいものは入らない。

新しいことを学びたいなら枠を広げなければ決してはいることはない。
一升にはどうやっても一升分しか入らないのだ。

先程の言葉の2つ目までは論外として、
3つ目と4つ目は「だけど、これからは変えて行きたい」
こうなってくると話は違う。
きっと私は意欲的に指導に力を注ぐだろう。


因みに自分にとっての人生の目標は?

それは、
好きな自分になりたい
自分の可能性を知りたい

今の自分が好きなのではなく好きになれる自分になりたい。
まだまだ全く満足していないということ。

自分の可能性も知りたい。
だから、新しいことにどんどん挑戦したい。

過去は過去。
私にとって過去はいわば燃えカス。
当時は燃えていたが今は燃えていない。
だから灰なのだ。
灰に拘って人生を終えたくない。

思い出に浸るのもたまにはいいが、
思い出ばかりに浸っていては何も変わらない。

自分がどこまで上りつめることが出来るか?
それが自分にとっての人生の目的であり、それが後世に続く道となると信じる。

今の自分に依存して立ち止まることだけはしたくない。
(あくまでも私の考えです)