先日、十数年ぶりに体調を崩してしまった。
楽しみにしていた武者修行も残念ながら延期。
気功と太極拳を始めて、今まで一度も体調を崩さなかったわけではない。
喉を傷めたり
頭痛がしたり
寒気がしたり
そんな症状が起きたら、
必ず無理をせずにすぐに栄養をとり、しっかり体を休めることにしている。
そうすれば一晩で回復する。
人間は毎日ウイルスと闘っている。
前にも話したかもしれないが、
もしタイムマシンが発明されたとして未来に行ったら、すぐに死んでしまうと思う。
それは、今の自分はこれから次々と生まれる新ウイルスに対する抗体を持っていないから。
もし未来に行けるとしたら、宇宙に行くのと同じように宇宙服を着なければいけないだろう。
いわゆる「今」元気でいられるのは、
常にさらされているウイルスとの闘いに勝っているからであり
それこそが人間の生命力だと思っている。
なぜ私は体調を崩してしまったんだろう?
その後何度も考えた。
皆の健康を願って気功と太極拳を行っているのに私が倒れてしまったら意味がない。
その答えは、自分自身の気功と太極拳が出来ていなかったから。
毎日指導に追われ、
起きている間はずっと会の運営のための仕事を行い、
事務仕事だけではなく、
人と接する仕事だけに、良いこともあればそうでないことも頻繁に起きる。
そういう時私はその場をやり過ごすということを好まない。
無論、自分とは関係ないことはスルーするが、
そうでないことは正面から解決しようと努力する。
そういう性格らしい。
だから問題を問題としてそのまま放置することはしたくない。
今解決できるのならすぐに行動し、
すぐに解決できないことは長期的な計画を立てて一つ一つ解決していく。
そういうことを頭で考えるのではなくすべてノートにつけている。
ノートをつける理由は、常に頭をすっきりさせておきたいから。
いわゆる、人のため・自分のため・メンテナンスノートだ。
しかし問題は常にひとつではない。
重なることもしばしば。
そうなると私は自分のための鍛錬ができなくなる。
いわゆる完全な仕事人間になってしまい、修行者ではなくなってしまう。
そんな日々が重なり体調を崩してしまった。
今回のことで学んだことは、
仕事に懸命になることは大事だが、
「自分の時間をつくる」ということは絶対必要だということ。
それから私は毎日自分の時間をつくるようにした。
調子がいい。
結局、
教える太極拳と学ぶ太極拳は違う。
教えることは自分のための健康法にはなっていないということ。
気功を行っている時間は全てを忘れることが出来
自分としっかり向き合うことができる。
自分の内面と対話することができる。
邪気(ストレスや疲労)が溜まっていればそれらをしっかり払い、
体の中にエネルギーをしっかり取り込む。
これからはどんなに忙しくとも
自分の時間を作ると決めた。