2021年9月25日土曜日

間違えてはいけない「太極八法五歩」

最近、「太極八法五歩」なる套路が新たに制定されたようだが、
この套路に関しては正直心配がある。

太極八法五歩とは本来、太極拳で使う勁であり、套路の名称ではない。

私が懸念するのは、この套路を覚えたことによって八法が使えるようになったと勘違いする輩が増えるのではないかということ。

8年間指導してきて、私が一番手を焼くのが知識先行型の生徒を指導する時。
知識だけは立派なのだが、それが姿勢や動作、技に全く反映されていない。

それ故に、どれだけ懸命に指導しても、本人は解ってるつもりになっているから、知識フィルターによって指導したことが除去されてしまう。
これが一番厄介なのである。

間違えてはいけないのは
「知ってる」と「使える」は全然違うということ。

私の場合、太極八法の「掤勁」は20年近くやってきてようやくその感覚を掴み始め、その可能性はまだまだこれからだと感じている。

「履勁」に関しても同様。
名人は触れずに相手の攻撃を無力化することが出来るからそれに比べれば私などまだまだ。

「擠勁」はかなり難しい。
私の知る限りでは力で打っている人がほとんど。
本当に擠勁を使える人は100人に1人もいない。それぐらい難しい。

次に「按勁」これも難しい。
触れた状態で相手を数メートル吹っ飛ばすパワーがある。
それだけのパワーを出せる人がどれだけいるだろうか?

そもそもこの「四正」(掤捋擠按)に関しては4つの異なる性質のものではない。

すべて掤勁に上に成り立つものであり、掤が使えなければすべての勁は使えない。
その掤勁の感覚を掴むのに20年近く掛かかると言うこと。

だから、もし「出来た」と思ったら「出来ていない」と思った方が良い。


四隅に関してはどうだろう?

採挒肘靠だ。

因みに「採勁」と「挒勁」は同時に使うことが多いので、本来であれば「採挒勁」と考えるべき。
手を掴むだけの動作というのは基本的に太極拳にはなく、必ず他の勁と組み合わせる。

「肘勁」と「靠勁」はその名の通り、肘打ち靠打ちだが、これも力を使って打つのではない。

何度も手本を見せながら繰り返し指導するのだが、それでもまともに肘勁と靠勁が使える人はごくわずか。

更に五歩に関しても単なる前後左右だけの動きではない。
足を前後左右に動かすだけなら、犬でも猿でも出来る。

そこには体幹の使い方や気の流し方、呼吸法などが必要になってくる。

太極八法の勁を出すにはこの五歩が絶対必要であり、この五歩を使える人は私が知る限り1000人中1人いるかどうか。

そもそもこの「五歩」で体内に流れる気のエネルギーや、それを頭頂まで意識出来ている人がどれだけいるだろうか?


本題に戻るが、こんな風に太極拳の勁を修得するには毎日鍛錬しても何十年もかかると言うこと。
それを太極八法五歩を覚えたからといって修得したと思うのは間違いである。
套路を覚えたいだけなら、それはそれで良いと思う。

そうではなく、本人が修得したと勘違いしてしまうと、どんなに教えても全く入らなくなってしまうということ。
(ここまで話しても気付かない人がほとんどです)

太極拳武術家に天才はいません。
裏技やコツもありません。

太極拳の技を使えるようになるには日々の鍛錬しかないのです。

誤解を招きやすい套路名称によって、これ以上勘違いする人を量産しないで欲しいと言うのが本音です。

なぜなら太極拳の修行によって得られる素晴らしい体験や可能性を遠ざけてしまうから。

太極八法五歩という言葉に安心したり踊らされないこと。

動かない車の鍵を渡されたようなもので、
その車にはエンジンもミッションも搭載されていない。

本当にこれらの勁を使えるようになりたかったら、勁が使える師につき、正しい指導を受け、ひたすら毎日鍛錬を行うのみで、これこそが太極拳の醍醐味です。

暗記力や計算力が速い人、運動神経が優れいている人が早く修得できるわけではないということは、
太極拳は誰にとっても平等な武術であると言うことです。


#太極八法五歩 #掤捋挤按採挒肘靠 #進退顾盼定 #十三勢



2021年9月4日土曜日

太極拳でどこまで身を守れるか?

最近刃物で殺害されるという事件が多発しています。
もし、自分の目の前に刃物を持って襲ってくる人物がいたらどうしますか?
災難は突然訪れるものです。

このようなニュースを目にする度に自分ならどうするだろうか?と考えます。

最近広島の駐輪場で起きた殺傷事件は無残としか言いようがありませんが、
被害に遭われた方には心からお悔やみ申し上げます。

この事件に関しては、突然刺されたのかどうかは今のところ解っていませんが、
もし抵抗出来たのなら、辺りの自転車を押し倒し犯人が怯んだ隙に逃げるか、刃物を奪うか。
女性であってもその気になれば自転車を持ち上げ投げることぐらいはできるはずです。
石やバッグを投げたり、傘や杖で突くということもできるでしょう。
相手が男性なら急所を狙いましょう。
太極拳には奪凶器術もありますが、それは最後の最後に使うべきです。
相手が十分怯み丸腰状態になった時点で技を使うべきだと思います。

とにかく殺気を感じたら一目散に逃げることです。
ヘッドホンで音楽を聴いたりスマホに集中するのはやめましょう。
格好の的になってしまいます。

ここまでお話した暴漢から身を守る方法をまとめてみます。

「殺気を感じる」「逃げる」「物をぶつける」「物を投げる」「傘や杖で突く」「急所を狙う」「技を使う」

まず太極拳で身に付く力は「殺気を感じる」力です。
長年やっていると数十メートルぐらい離れていてもドアや壁越しでも嫌な空気を感じるようになります。
その時点で防衛準備に入ることが出来ます。

「逃げる」ことに関してですが、太極拳をやっていると自然と立つ力だけでなく速く走る力が身に付きます。
普段からランニングやダッシュなどしていないのに、これが太極拳の不思議なところです。

「物をぶつける」「物を投げる」というのは太極拳の技そのものです。
長年鍛えた体幹の力(インナーマッスル)で大きな力を出すことが出来ます。

「傘や杖で突く」は太極刀や剣、棍の技が使えます。
打つ、いなす、突くなどのコンビネーションで相手を無力化することが出来ます。

「急所を狙う」に関しては太極拳で狙うのは急所がほとんどです。
どこを打てば大きなダメージを与えることが出来るか、当会では技の稽古の時に指導しています。

「技を使う」は、怯んだ相手が襲ってきた時に使えます。
攔雀尾の太極八法五歩を使えれば十分です。
最近、「太極八法五歩」という套路が制定されましたが、これは技ではなく初心者用の套路です。
この套路を覚えても技は使えませんのでお間違いのないよう。

因みにこの太極八法五歩を巧みに使えるようになるには毎回稽古で推手と散手の稽古をする必要があります。
型だけ覚えても技は全く使えないということを覚えておきましょう。

いずれもこれら心無き殺人者によって罪のない人々が殺されるという報道を見る度に居たたまれない気持ちになります。
災難は突然やってきます。
そして警察が駆けつけるのは事件が終わってからです。

災難から身を守るため、護身術によって備えることは生きて行く上でとても大切なことだと思います。

#太極拳 #太極八法五歩 #攔雀尾 #護身術 #奪武器術 #奪凶器術 #殺傷事件 #殺人事件








2021年9月2日木曜日

氣は重い?軽い?

氣を説明する時、私はエネルギーと説明します。

エネルギーは私たちが生きて行く上で絶対欠かせないもの。
それが失われていくと心身共に衰え、ゼロになると死に至ります。

結局、氣とはなんでしょう?

例えば電磁波で目で見ることが出来るのは可視光線のみです。
赤外線や紫外線、ガンマ線、X線などは目で見ることはできません。
しかし確実に存在します。

地球上にはこれら目にみえない電磁波や磁場、重力など、常に身の回りに存在します。

これらを人間が機械を使わずコントロールできたら?

これらの力を瞑想によってコントロール出来るのが気功です。

私がこれまでの修行の中で体感することが出来たエネルギーを全て書き出します。

熱、磁場、磁力、電気、光、気圧、風

さて、氣は重いのでしょうか?
それとも、軽いのでしょうか?

正解は、
どちらもです。

重いと思えば重くなり、軽いと思えば軽くなります。
意によってコントロールします。

私はこれを太極拳に活かしています。

相手の動きを感じ取ったり、予知したり、相手を身動きとれないようにしたり、
攻撃する場合は、手が自分の意識したものに変化します。
鉄球、ハンマー、刀、剣、ナイフなど。

化勁を使う場合は、水、煙、ゼリー状の液体、風、磁石などに変化します。

なんだか信じられない話かもしれませんが、信じる必要はありません。
単に体感すればいいだけのことですから。

気を操ることが出来る仙人は、寿命を延ばしたり、生き返ったりする力だけでなく、敵に襲われた時は腕が剣に変化したと伝えられます。
なんともファンタージな話ですが、
私はこれを師から体験させて頂いています。

本当に腕が剣になるわけではありません。
しかし腕が剣や刀などの刃物のような硬さと切れ味に変わります。
そこに触れるとこちらが刃物に触れるかのような感覚があります。

このような力を出せるようにするためのトレーニングが当会の超気功クラスです。

型を覚えて動いているだけでは体操や舞踊と変わりません。
太極拳を武術として使えるようにするなら気功は決して切り離すことは出来ません。

型を覚えたら、その型の使い方や力の出し方を知りたくありませんか?

私が太極拳の修行を続けるのは型のレパートリーを増やしたいからではありません。
型だけ覚えても何にもなりません。
型を100%使えるようにし、更にはその形さえも超えたいと思っています。

太極拳は手品でもいかさまでもありません。
それを証明すべく本当の力を引き出すための太極拳を追求し日々研究しています。

失われつつある伝統太極拳を再び繁栄させるために。