2025年3月29日土曜日

からをわる

丹田は誰でも感じることができます。
感じることが出来ないのは感じようとしていないだけ。

また、感じることの妨げになっているのは、丹田を覆う殻があるからです。

その殻は…

力み、恐怖心、虚栄心、羞恥心、頑固さ、雑念、エゴ、コンプレックス、過剰思考、固執

等など。

すべて煩悩です。

これらが自分の可能性を塞ぎこんでしまっているのです。

それでも、これら煩悩と共に生きたいでしょうか?
私は経験の中から必要のないものだと悟りました。

丹田はたまごのようなもの。

丹田を開放し、自由になり、自分の可能性を広げたかったら、
単に殻を割るだけでいい。

思い切って割ってしまえばいいのです。

すると体がスッと軽くなり、
心がキラキラ輝きだし、
丹田のパワーを感じることができます。

捨てられないのなら、割ってしまえばいい。

毎日指導していて、そう思うことが多々あります。

私はそれを言葉で指導することもありますが、
どちらかといえば態度で示しています。

指導する時は先生らしく振舞うのではなく、自分らしく振舞っています。
いわゆる素のままです。

「先生らしくない」と思われるかもしれませんが、
言葉巧みに指導するより、
「見せる」ことが私にとって最高の指導だと思っているからです。

太極拳で新しい世界を見たいと思うなら、
殻を割る。

そして自由になって欲しいと思います。



2025年1月16日木曜日

聞く、やる

今日はちょっと驚いたことがありました。

入会して半年僅かのTさんの気功の動作を見ていたのですが、
姿勢がとにかく綺麗。
背中が真っすぐ伸びており、どの動作をしていても崩れないのです。
私が知る限りこれほど早期に姿勢を獲得した会員さんは初めてです。

後に他の指導員に聞いた話、
先日、検定対策講習会で合格必勝法をお話したのですが、
それを早速実践されたとのこと。
僅か30分程の講義でしたが、
私の講習会の話を聞いてとても感動されたとのことでした。

その方法は、
私が僅か半年間のトレーニングで初出場ながら全国大会入りした時のやり方。

私は必ず上達する方法を指導します。
それをすぐに実践する人もいれば、何年経っても始めない人もいます。
前者の上達スピードは圧倒的に速く、群を抜いています。

太極拳に限らず、私は今まで様々な試験や資格等に挑戦してきましたが、
先生や先輩のアドバイスは絶対に聞き逃しません。
そしてそれを必ず実践します。
そして、そのほとんどが早期に目標達成に繋がりました。

聞くも、
聞き流すも、
やるも、
やらぬも自由。

本気で上達したいなら成功経験者に習うことが一番なのです。



2024年12月28日土曜日

ただ真似る

昨夜中級クラス無事終わりました。
中級クラスでは、普通クラスの次へのステップとして用意されているクラスです。
普通クラスで行っている4種目に対し一定以上の力をつけたら参加出来ます。

私が太極拳を始めたばかりの頃、同様に4種目の稽古を行っていました。
先輩方の楊式剣の演武を見て「これやってみたい」と思ったのが当時最も意欲を掻き立てられた出来事でした。
同時に師に太極拳の技を掛けて頂いた時の感覚は、20年以上経った今でも鮮明に覚えています。
その不思議な技に驚き、完全に魅了されました。

その後は無我夢中で練習しました。
「早く先輩に追いつきたい」「早く先生に近づきたい」という一心で。

私は約半年で楊式太極拳の全套路を覚えました。

何をしたか?
実に単純です。

師の動きを真似る。

これだけです。

稽古に来るたびに「見ては真似見ては真似」の繰り返しでした。

太極拳をやっていると思わぬところで壁にぶつかることがあります。
しかしその壁は自分自身で作り出していた幻想であることに後で気づきます。
そもそも壁などないのです。

ある程度太極拳を経験した人はどうしても途中まで作った粘土細工に手を加える形で直そうとします。
その形が間違いであっても。
だから抜け出せなくなるのです。

ダメならやり直す。

これでいいのです。

これは逆を言えば「失敗を引きずらない」ということにもなります。

もし、今思わぬところで壁にぶつかっていると感じているなら、
ダメなことを引きずっていませんか?

ダメなものはダメなんです。

さっさと諦めて、また先生の動きをみて真似ればいいのです。
実に簡単なことなのです。

それなのに、どうしてハマってしまうのか?

それは自分を捨てらないからです。
今まで頑張ってきた自分が可愛いばかりダメな部分も残しておきたいという妙なトリックに引っかかってしまうのです。

もう一度言います。

ダメならさっさと諦めてやり直す。
師の動きを真似る。

これだけのことです。

そうすれば日々進化することができます。
時間を節約出来ます。
太極拳の世界がどんどん開けてきます。

そして同じ動きが出来るようになったら次は「師の空気を真似る」です。

太極拳で一番楽しいのはここからです。

2024年12月1日日曜日

光と影

私が師匠から学ばせてもらったのは氣です。

一般的に人は人を見る時どこを見るでしょう?
恐らく本人そのものではないでしょうか?

私の場合は人を肉体の存在としてみることはあまりありません。
その人から出ている光や煙をみています。
一般的に言われるオーラですね。

「そんなものを見ていては学べないじゃないか?」と言われそうですね。

こう考えてみてはどうでしょう?

人の形や動作を見る時、アウトラインを見ているはずです。
いわゆる外側です。

しかしオーラを見ていてもラインを見ることは出来ます。
そうです。インラインです。

オーラを見れば、オーラも見え、体の形もぼんやり浮かんできます。
そうやってみることで、全体の動きが見えてきて、
しかも気の流れなども感じることが出来ます。

私が師から学びたかったのは、師の気の体です。
いわゆる雰囲気をまず真似ようとしました。

その結果どうなったかというと、確かに雰囲気が似てきて
先輩方からは「先生みたい」と言われるようになりました。

その一方、動きが滅茶苦茶になりました。
見えているオーラが大きかったので、それをそのまま再現しようとしたのでしょう。
動きが大きくなりすぎて大きく乱れてしまいました。

先輩や師からそのことを指摘された時は、ショックでしたが、
受け入れるしかありませんでした。

それからは師の動作を細かく見るようになりました。
そして徐々に正しい動きを身に付けました。

さて、これは遠回りだったでしょうか?

いいえ、そうは思いません。

この順番で合っています。

人から影響を受ける時って、
その人そのものより、その人から出ているオーラだと思います。
だからオーラを真似ようとすることは自然な流れだと思います。

もし最初の時点でそれをやろうとしなければ、
時間と共に師は単なる先生になってしまいます。
憧れの存在ではなく、教えてくれる人になります。

そうなるともう師のオーラ(氣の体)を見ようとはしなくなるでしょうね。
それどころか動作さえ見なくなることすらあります。
いわゆる依存です。

私は未だに当時、師が放っていた氣をハッキリと覚えています。

そして「あの体から放たれている氣はなんだったんだ?」と今でも自分に問いかけます。

動きもカッコよかったけど、
出ている氣がカッコよかった。

あの感じに近づきたい。

そんな気持ちで今も修行に励んでいます。

***

2021/1/1撮影




2024年11月12日火曜日

自分を弱くする落とし穴

自信が亡くなった時、自分より弱い人を探すことがあります。

これは自分の弱さを誤魔化すために
相手より優位に立ちたいという心の表れです。

残念ながらこれをやっているうちは成長することができません。
当然です。
自分より弱い人を見て満足しているのですから、伸びようがありません。

強くなりたかったらどうすればいいか?

以前推手交流会でも伝えましたが、
強くなりたかったら強い人と出来る限り時間を共にすることです。

人だけではありません。
モノや情報、食べ物、全てです。
すべてをパワーのあるもので身を固めます。

テレビでネガティブなニュースを見て安心する人がいます。
対岸の家事の如く、自分事ではなく、
「自分でなくて良かった」と安心するのです。
本当にそれでいいのでしょうか?

弱い人を見て「可哀そう」と思ったり哀れんだりすることもあるでしょう。
しかしずっとそこに居てはいけません。
時間を共にした分だけマイナスパワーを受取ってしまいます。

気が付けばネガティブなものばかりを選んでしまう。
そして心がどんどん萎んでいきます。

なぜそうなったかは、必ずキッカケがあるのです。

自分の立場を確立するために、弱い者を選ばないように。

最近の言葉で言えば「マウントをとる」です。
実際に相手に対し言葉を掛けなくとも、
そう思っていること自体がマウントをとっているのです。

あなたが相手している人は本当に相手のためでしょうか?
もしかしたら自分のためかもしれませんね。
これって意外と気づかないものです。

強くなりたかったら強い物だけを観て、強くなるだけのことをする。

あなたが知っている著名人の中で、
誰でも良いので強い人を思い浮かべてみてください。
そういう人たちが弱い人を見て安心しているでしょうか?
いいえ、常に自分より強い相手を見ているはずです。

太極拳をはじめたのは、単に套路を覚えるためではなかったはずです。
最初の動機を見失ってはいけません。
「初心忘るべからず」です。

健康になりたい。
強くなりたい。
若さを維持したい。

そう思って始めたのではないでしょうか?

自分の周りを弱者で固めてお山の大将になってはいけません。
口に出さなくとも心の中でマウントをとることは
本当に意味で器の小さい人がすることです。

強く美しくなるためにも自分の周りをパワーのあるもので固める。

これは強くなるための鉄則です。

そうなれば弱い人を自分の比較対象としてではなく、
今度は実際に助けてあげることのできる人間になれます。

素晴らしいことだと思いませんか?



感情を味方につけよ

内家拳で大事なことは、相手を受け入れることです。

決して相手に抵抗しようとしてはいけません。

自分より大きな力を持つものに対しては、力では歯が立たないことを理解しましょう。
「大は小を兼ねる」です。

もうひとつ、内家拳で大事なこと。

それは自分自身を受け入れることです。
決して自分の心(感情)に逆らってはいけません。
稽古を続けていけば、確かに技術は身に付きます。
しかし、技術だけでは十分な力を出すことはできません。

人間には喜怒哀楽がありますが、
楽しいこと以外の感情が邪魔なものだと思っていませんか?
長年修行を積んだ武術家は、感情の使い方を知っています。

因みに喜怒哀楽とは、
人間に起きる自然な感情「喜び、怒り、悲しみ、楽しみ」のことになります。

実際、感情は4つだけではありませんが、
ひとまず喜怒哀楽の4つに絞るなら、ほとんどの人はこう感じるでしょう。

喜>心地よさ
怒>心の乱れ
哀>我慢
楽>すべてを忘れることができる

上記のような意識では、ただ今を生きているだけで、未来に繋がっていません。

私にとっての喜怒哀楽を端的に言えば以下のようになります。

喜>油断するな
怒>頑張り時
哀>頑張り時
楽>油断するな

嬉しい時や楽しい時はもちろんいい気分です。
しかし、同時に「油断するな」「慢心するな」という警告灯が点灯します。
ここで気持ちをゆるめてしまうと、あっという間に身に付けた力を失い、
転落してしまうからです。(何度も経験しました)

だから、こういう時は「油断するな」「次に繋ごう」と考えるようにしています。

また、怒りや悲しみに関しては、その感情に溺れてしまってはいけません。

人間に喜怒哀楽が与えられたのは、進化するためだと私は思っています。
怒りや悲しみを感じるのは奮起する時であり、
私が最も頑張れる時は、常にこの二つの感情が沸いている時です。

怒りを感じるから周りに当たり散らかす。
悲しいから何もしなくなる、我慢する。

これでは何も変わりません。

そもそも怒りを感じているのは、
自分や相手との格差やギャップを感じているからではないでしょうか?
怒りを感じるのは、この格差を埋める時であり、
そのために怒りという感情が沸いていることがわかります。

哀しみは人や物を失った時に起こる感情です。
生きていく上で失うことを避けることは絶対にできません。
受け入れるしかないのです。

そして、これらには必ずメッセージがあります。
難解な場合もありますが、意識していればその答えにたどり着くことができます。
(私はいつもそうしています)

失うということは、創造するために必ず必要な感情であることに気づきます。
太平洋戦争の後、日本が急速に復興し経済発展したのは、
「失ったから」だと理解できます。

失うことは避けられないことです。
だから受け入れるしかなく、受け入れるべきタイミングだと認識し行動に移します。

こんな風に、実力者は自分の感情を自分へのメッセージだと認識し、
それを活かしています。

沸き起こる感情を抑え込んではいけません。

とはいえ、感情的になるのは違います。
感情的になるのは、その感情がなぜ沸き起こるのかを理解しようとしていないからです。

とにかく感情を受け入れることが
自分を成長させてくれる鍵となることは間違いありません。

平穏でいることは確かに心地よいことですが、
自分の成長を望むのであれば、
多少の荒波に立ち向かう心が必要だということが解ります。

いわば、感情は自分を成長させるための強力な味方なのです。





2024年10月13日日曜日

太極拳に適した人とは?

太極拳に有利な体型はあるだろうか?

私が太極拳を選んだのは、
極度に体力が衰えていて、
こんな自分でも出来ることを探した結果が太極拳だったからです。

私の選択は大当たりでした。

太極拳を始めてから自分に自信が持てるようになったし、
体力も一気に復活した。

当時、体力をつけるために始めたが、
とにかく太極拳の世界に強く惹かれた。
寝ても覚めても太極拳のことばかり。

仕事中だろうが、
トイレ中だろうが、
お風呂の中だろうが、
手が自然と太極拳の動きになってしまう。

ある時はスーパーで、
コンビニで、
駅のホームで、
サービスエリアで、
公園で、
階段の踊り場で、

もうホントにどこでも太極拳をやりたくなる。

完全にドハマりしました。

練習しようなんて思ったことない。
そう思う前に体が勝手に動いてた。
起きている間はずっと練習だったわけです。

本当に好きになるってそういうことじゃないでしょうか?

「好きこそものの上手なれ」
という諺があるように、
上達したかったら好きになってしまえばいいってことです。

なかなか上達しないのは
心を開放してないから。

自分は、
覚えが悪い
頭が悪い
体が硬い
体力がない
体が小さすぎる
体が大きすぎる
歳だから

全く関係ないです!!

もうごちゃごちゃ考えるのはやめましょう。

考えたところで何のメリットもないし、
逆にデメリットしかありません。

そもそも太極拳は女性やお年寄りでも、
敵から身を守るために編み出された武術なのです。
だから体型とか歳とか関係ありません。

内乱が多かった時代、
うかうかしていると武器を持った敵が殺しにくるのに、
「歳だから」とか、
「体が小さいから」とか、
言っている場合でしょうか?

自分を守るため、
家族を守るため
とにかく闘わなければならないのです。

合気道の創始者である植芝先生は身長156㎝
またその弟子である名人塩田先生は更に小さく154㎝
それでも大男をかるく投げ飛ばします。

大きい人が強いのは当たり前。
小さい人が強いからカッコいいのです。

私のことを「手足が長いから見栄えが良く見えていいな」
と言われたことありますが、
本人はぜんぜんそんなこと思っていません。
逆に邪魔なぐらいです。
初速はは手足が短い方が圧倒的に速いです。

今日限り出来ない理由を考えるのはやめましょう。
なんのメリットもありません。
ただ時間を浪費するだけです。

毎日出来ることの積み重ね。

この辺のことは今まで散々語ってきましたが、
結局、変わる人は変わるし、
変わらない人は変わらない。

変わらない人は変われないのではなく
変えようという気がないのです。
そして、さらに変われない理由が、
自分では変わろうと思ってると信じ込んでいることです。

厳密には変わりたい自分が
変わりたくない自分によって引き止めてしまっているのです。

私はこれからも変わります。
つい最近の自分の行いでも
顔が真っ赤になるぐらい恥ずかしいと思うぐらいなのに、
そんな自分に依存する理由なんて1ミリもありません。

自分がこの世に生まれてきたのは進化するためだと思っています。
進化すれば見える世界も変わる。

アマプラやネフリなどで見るSFは所詮つくりもの。
しかし進化した自分がみる未来はホンモノです。

そんな体験が出来るなら、もうやるしかないと考えてしまいますね。

結局、太極拳に最も適した人とは
歳とか体力とか体型とかの差ではありません。

「太極拳が好きな人」です。

これが最強なのです。