推手をやって、もし相手に負けたときに
「自分は弱い」と思っている人は伸びません。
逆に「相手は強い」と思える人伸びます。
何が違うかと言うと、
前者は自分ができていないこと、
いわば自分のことしか考えていないのです。
ちなみに、自分の弱さを隠すために強がっているのも同じです。
しかし後者は相手が強いと言うことを認めている。
相手を受け入れている。
即ち、相手の強さを学ぼうと言う気持ちがあると言うこと。
私の場合は、他人と推手交流した際、
相手が強い時は素直に強いと認めてきました。
「強いですね」「凄いですね」「流石ですね」「参りました」
こんな具合に。
逆に、
「なんで、自分は弱いんだ」
「なんで、崩されるんだ?」
「なんで、ダメなんだ?」
こんな風に思ったことは今まで微塵にもありません。
この「なんで」という言葉が出る理由は今の自分に依存しているから出てくる言葉です。
今の自分に対し「なんで」と思っているわけです。
今の自分は勝てないのだから、勝てるわけないのに、
全く意味のないことを思ってしまっているわけです。
そうではなく、これからの自分はどうなんでしょう?
未来の自分は?
もしそう思えるなら、「なんで」という言葉は絶対出てこないはずです。
私は今まで60年以上生きてきて、
「なんで」という言葉を口にする人で、
勝ち組の人、成功した人をみたことがありません。
それぐらいこの言葉は自分の成長を止めるNGワードなのです。
私は相手と推手して、相手が圧倒的に強い場合、
相手を認め、受け入れ、そして賞賛します。
それと同時に相手の強さ(技や勁)を可能な限り盗みました。
同じことをやっても伸びる人と伸びない人の違いです。
相手を認めれば成長できる。
自分のことばかり考えている人は成長できない。
これに尽きます。
私は今まで多くの人を受け入れ、そして認めてきました。
その結果が今の自分です。
もちろんまだまだ自分では未熟だと思っています。
だからこれからも先輩方の実力を素直に受け入れ、認め、
そして多くを学ばせて頂こうと思っています。
「謙虚な心こそ最強」なのかもしれません。
「謙虚な心こそ最強」なのかもしれません。