2014年1月30日木曜日

寝ながら太極拳

寝ないで頑張るのも素晴らしいと思うが、私はあえて寝る。
というより、寝れば寝るほど調子がいい。
無論寝過ぎはダメだが。

寝ることは体の機能が停止しているのではない。
パソコンのように電源を落とすと全く機能しなくなるのとは大違い。

人間は寝ている間に成長する。
寝ている間に体の損傷を修復しているのだ。

体の疲れを回復するのは寝ている間に筋肉の損傷を修復しているから。
肉体だけでなく脳もしかり。
その日に起こった出来事や練習したこと等、きれいにまとめて頭の中で整理している。
いらないものは消去し、必要なものは重要フォルダに入れられる。

つまり、どんなに練習しても寝なければ、身にならないということ。
そもそも疲れが溜まっていっては運動能力が低下し、練習にも身が入らない。

良く寝て、元気いっぱいに練習する。
これが一番。

ちなみに眠りにつくまえに、脳内で套路を練ると翌日良い結果が得られることも分かった。
嘘でもいいから、頭の中だけでも理想の演武をしてみよう。
潜在意識はそれを本気にとらえ、その力を導き出してくれるから。

2014年1月27日月曜日

型をやらないほうが上手くなる?

試合本番への時間が迫っているというのに、最近ほとんど型をやらなくなった。
やってもせいぜい2回。
なのにビデオを撮って観ると確実に自分の演武が変わってきている。

気功にこだわり、かれこれ11年経つが、それが試合用演武が目的であっても私の考えは変わらない。
なぜなら太極拳は形ではなく内面から湧き出るものだと思うから。
動くと言うより動かされるという感じだろうか。

過去、形ばかりにこだわり練習していたこともあったが、一見きれいに見える演武も、それはあくまでもきれいに見せようとしているだけであって、にじみ出るような柔らかさがぜんぜん見当たらない。
というわけで過去のビデオは見るに堪えないものだ。。

かといって今それが出来ているわけでもない。
あくまでも発展途上であり、やれどもやれどもしっくりこなかった太極拳が、そのしっくりレベルが徐々に上がってきているというだけのこと。

とにかく、まずは気血を十分体の中にめぐらせ、それをぐるぐるまわす。
足の指先から頭のてっぺんまで、そして指先に至るまで、
いや、実際には頭の上の上まで、指の先の先まで気を巡らせる。
長年、気功をやっていると“気”は体内だけでめぐるものではないということがわかってくる。

その状態で体を動かすと、その“何か”が空気とふれあい摩擦を感じる。
これが実に気持ちいい。

サークルで教えるにあたって、まず会員さんに体感して欲しい感覚だ。

2014年1月24日金曜日

楊式太極拳にこだわる理由

これまで様々な武術を携わってきたが、結局、毎日練習するのは楊式太極拳だ。
体が欲するという感じだろうか?

どうしてだろう?
はっきりとした理由はわからないが、演武していて一番気持ちがいい。

のびのびとした動きの気持ち良さ。
ゆっくりと動いているのにそよ風を感じる感覚。
体に気が巡る感覚。
空気の中を泳いでいるような感覚。
空気に溶け込んでいくような感覚。
大河の流れのごとく連綿とした動きによって心が「静」へと導かれる感覚。
風になびく柳の枝のように、川の中で泳ぐ藻のように、
なにものにも逆らわない身をゆだねるような感覚。

これらが楊式太極拳にはある。

現代の楊式太極拳は武術的要素が抜かれているという意見もあるが、そんなことは構わない。
武術云々よりも先ほど述べたような感覚を得られるのは私が知る限り楊式ならではだからだ。
それに武術的要素は自分で開発していけばいい。

武術そのものは習うものではなく鍛錬の中から悟るものだと思うから。

いずれも、一人でも多くの人と楊式太極拳の気持ち良さを共有したい。

2014年1月19日日曜日

何のために?太極拳

先日、体験で来られたある方が、「何のために太極拳をやっているのかわからなくなった」という理由で当会を訪れられた。

私は深く頷いた。
そういう私もある時、それがわからなくなったから、今のサークルを立ち上げた。

要するに、太極拳の型を覚えて一体それがなにになるんだろうということ。
型を覚えるために正確な姿勢や動作を教え込まれる。
だが、その姿勢や動作はなんのために?という素朴が疑問が湧いてくる。
型をやっているだけで楽しいという人も多いようだが、そうでない人もいるわけだ。

もちろん、きれいに演武できれば気持ちいいしカッコイイ。
だが、そこに演武とは直接関係のないと思われることもいろいろと要求される。
それは何かといえば、武術的な動作を身につけるための要求だったりする。
しかし、太極拳を習ったからと、組手をやるわけでもなく、誰かと戦うわけでもない。
というよりその技すら教わらない。

これはあくまでも私個人的な意見なのだが、武術志向でないならば武術的要素は省いてしまっていいように思う。
体操、舞踊としてきれいに演武できればそれでいいのではないかと。
太極拳の枠を超えたもっともっと素晴らしい芸術的な演武が生まれるかもしれない。

まあ、それは極端にしても、健康目的や怪我防止策のための要求であれば必要だが、武術をしないのに武術要素を要求しようとするのはいかがなものかなと。

いずれも太極拳をどのように楽しむかは個人の自由だと思う。

武術として身につけたい。
きれいな演武ができるようになりたい。
健康になりたい。
きれいになりたい。
スリムになりたい。
元気になりたい。
癒しを得たい。
神秘体験をしたい。

人さまざまだ。

因みに私はよくばりだから、全部だ。
でも、順番がある。

まずは健康でなくてはならない。
だからまずは健康志向の太極拳を行う。
健康があって初めて美やスリムなプロポーションが成り立つ。
次にきれいな演武、そして最終的に武術として身につける。

私は太極拳が世界一美しい武術だと思っている。
だから演舞して楽しまれるのはごく自然な流れだと。

せっかくだから、太極拳で大いなる健康を手に入れ、美しく、強くなり、最終的には神秘体験も。
こんなおいしい武術は他にないと思う。

今そのプログラムを模索しながら組み立てているところだ。

1分だけやってみよう

套路や推手をやればやるほど、站椿功(たんとうこう)、立禅(りつぜん)の重要さに気づかされる。
そして、実践する。
明らかに演武が変わる。

が、これらの練習は実に地味だ。
やる気がしない。
この恩恵を実感できればすすんでやるようになるのだが、そうでないうちはどうしても後回しになってしまう。

そんな時、私は1分だけやろうと決めてとりかかる。
1分でもやる気がしない場合は30秒でもいい。
とにかく始めてしまえばいいのだ。

人間というのはわがままな生き物で制限されると超えたくなり、過剰に要求されるとサボりたくなる。
だから、あえてやりたくないことに制限を掛ける。
「決して1分以上してはいけない!」
とか。

そうこう言ってるうちに、私は体がうずきだしている。
今すぐにでも三体式をやりたいと。(笑)

安定した演武は安定して立つことから始まる。
立つことができないものが安定して動けるわけがないのだ。
コマや自転車のように逆のものもあるが、太極拳ではコマや自転車のような遠心力や推進力を利用できない。

ひたすら軸を保ちながら動くしかないのだ。
軸感覚と、足を前に送り出すための筋力と片足で全身を支えるための筋力。
いずれもインナーマッスルだ。

やはり站椿功(たんとうこう)がいいということになる。

2014年1月13日月曜日

相連不断と眼法

楊式太極拳で大事なことは、糸を切らないこと。
これを相連不断(そうれんふだん)という。

最近の自分の演武をビデオで観てわかったことは、まだまだ糸が切れてしまっていること。
起勢から収勢までの動きが一筆書きのようにずーっとつながってなくてはいけない。
これが他の拳法と決定的に違うところだ。
逆に言えばこの動きこそが優雅で美しさをかもしだすのだろう。

あとは眼法。
これも修正しなくてはいけない。
私の太極拳はどうしても瞑想太極拳になってしまう。
が、
これは試合では通用しない。

目線は常に実の手(攻撃に使う手)や敵を見ていなくてはいけない。
私の目は、どちらかというと直線で観ているのではなく、ぼんやりと広い視野でみている。
伝統拳ではこれでいいのだが、この眼法では力強さがまったく伝わらない。

話は変わるが、久しぶりに映画マトリックスのDVDを見た。
ネオが救世主であることに目覚め、死から蘇り、生まれ変わったかのように強くなった時の目はうつろだった。
相手を直視していない。
これで相手の攻撃をすべてかわすのだからカッコいい。

が、何度も言うが、これは試合では通用しない。
真面目にやろう。(笑)

2014年1月11日土曜日

プレイバック

試合向けの練習を始めると、頻繁に自分の演武をビデオに収録する。
そして、その場でプレイバックする。

自分の感覚や、鏡を見ながらの練習もいいが、ビデオに撮らなければ決してわからないことがある。
自分の感覚というのは結構自分に甘い。
鏡を見ながらの練習も、ずっと観ているわけにもいかないので、結局定式(技が決まったところ)のところだけチェックすることになる。

肝心なのは技と技の間だ。
試合では定式のフォームも重要だが、その繋ぎがダメならばダメだ。
実戦でも技の最終形よりも技をかけている動作の方が重要。

ビデオはそれを辛口で教えてくれる。
人はなかなか本当のことを言ってくれない。
しかしビデオは容赦なく本当のことを言ってくる。

そんなこんなで今日もビデオで撮ってみたのだが、演武している最中は「今日はなかなか調子がいい」と思っていたが、プレイバックしてみて愕然。
ひどすぎる。

こんなもんさ。
一流のプレイヤーは自分のプレイをビデオに撮り徹底的にその改善方法を研究している。
私自身もこの数年ずっとそれを続けている。

2014年1月8日水曜日

病み上がりの気功と太極拳

一昨日、年末できなかったバイクを洗車し、きれいになって気持ちよくなったついでにちょっとしたツーリングへ出かけた。
吉野口から御所方面へ。

ところが、バイクで走りながらひとしきり喉の痛みを感じていた。
帰ってから、地域の大気汚染状況を調べてみると天理でPM2.5濃度が24μg/㎡
結構高い。
どうやらこれをたっぷり吸いこんでしまったようだ。
バイクの場合はモロに外気を吸い込むからマスクをしなければウイルスもスモッグも黄砂もガンガン気管に入れてしまうことになる。

ということで、一気に体調不良。
熱はなくとも喉の痛みと鼻水と倦怠感が。
死ぬほどうがいをし、かりんのど飴とトローチと浅田飴をガンガン舐める。
その他にもビタミン剤やハーブなども摂取。
そして早めに寝た。

昨日はまだ本調子ではなかったが、今日は幾分いい。
ということで、練習再開。

正月から今回の体調不良もあって、最近まともに練習できていなかったが、
それがよかったようだ。
しかも風邪は浄化作用があるから、溜まっていた体の毒素が抜けたようだ。

とてもリフレッシュした気分で気功が行えた。
風邪によって痛みの神経が麻痺しているのか、手を長時間上げる動作をしていても疲れない。
太極気功では、手の軌跡が見え、妙に手足が軽い。

次に剣や刀を持ってみてびっくり。
いつもの半分ぐらいの重さにしか感じない。
それが良い演武へと反映したかどうかは別として、体の中にある重いものがすっかり抜け去ったような感覚。

ということで、今日は站椿功をひたすらやった。
下半身を安定させることが出来なければ、柔らかい動きはできない。

大会まであと丁度1ヶ月。
私が目指す太極拳は試合結果ではないけど、柔らかく美しい演武は私のテーマだ。
それでもって強ければいうことなし。

頑張ろう。