2015年1月30日金曜日

勁力は水であり風である?

試合前日だというのに、最近勁力というものがやたら気になる。

勁力について、私なりの解釈は「筋力ではない力」だが、
ならそれは?

ひとつ言えることは勁力は目に見えない。
気の通り道を経絡というが、
この経絡はレントゲンだろうがCTスキャンだろうが見ることはできない。

そもそも手をかざすだけで相手にダメージを与えられるのだから
物理的に解明することはできないと思う。

私はこの力を師匠から直接受け止め、勁力の存在をしっかりと確認した。
手を動かしていないのにダメージを与えられるということは100%筋力ではないのだ。

それとは別に水打ちというのがあるが、これもどんなものか打っていただいた。
水というとやさしいイメージがあるが、水ほど怖いものもない。
消防車から放出される水をまともに喰らったらどんな感じだろう?

また、これとも違う、風打ちというのがある。
これは私が勝手に名づけたものだが、打たれた時に突風に打たれたような感覚だからだ。
まったく痛くないのにびっくりするほど吹っ飛ぶ。

空気も水も人間にとってはなくてはならないものだし、体にやさしいもの。
その水と空気を操ることによって勁力と成す。

こんなことを研究していると人間の可能性は無限大なんだなと思う。

***

明日の試合は上記のような勁力とは関係ないが、
本番でいかに気を沈めることができるかが大事だと思う。
沈墜勁というらいしいが、これらを操作するのは自分の心次第だと。

2015年1月22日木曜日

自分に従う

試合まであと9日。

試合出場を決めた日からがカウントダウンだが、
残り日数が一桁になってくるとさすがに緊張感も高まってくる。

そして今何を思いどうすべきか?
答えは
「なにもない」だ。

すべきことは自分の心に従うことだけ。

まだまだ細かいところを詰めていきたいならそうすればいいし、
コンディションを整えるため練習時間を減らし、ゆるめでやりたければそうすればいい。
大事なことは自分の気持をありのままに受け入れることだと思う。

今の私はどうか?
まだまだ詰めていきたいと思う自分もいるし、
体調を整えるためにゆるめて行きたいという自分もいる。
だから、詰めながらゆるめていきたいと思う。

よくわからない状況だが、
早い話が最後まで諦めないということと、
それと同時に心身ともにリラックスもしたいということ。

これをハイテンションハイリラックスと私は勝手に呼んでいるが、
この状態こそ奇跡を起こす。

奇跡は最後まで諦めない人だけに与えられる天からのプレゼント。

自分に従う。
そうすれば結果がどうであれ決して後悔することはない。

2015年1月20日火曜日

吊り上げるではなく

これまで気功の時に正しい姿勢とゆるみを得るため
頭頂から吊り上げられているというような説明をしてきたが、
それが最近、大きな誤解だということに気付いた。

正しくは“吊り上げる”のではなく、“吊り下がる”です。

物理的には同じなのだが、“吊り上げる”では、首をぐーっと上に伸ばさなければならない感じになるし、ともすれば気が上に上がってしまう。
いわゆる引力に逆らって上に伸びようとするイメージに。

吊り下がるなら、引力に従いスーッと下に沈むようなイメージになり、
頸椎も背筋もまっすぐに伸びるはず。
それに重心は足裏に来るはず。

もしかしたら私の聞き違いだったのかもしれないし、
それとも間違って伝達されてきたのかもしれない。
その辺は定かではないが、いずれも今までずっと自分の中で釈然としなかった。
“吊り下がる”ならすべての理屈は合うし、立禅の意味が増す。

こうしてまず体を十分にゆるめ、そしてイメージで気を流す。

頭頂から宇宙につながるようなイメージ。
いわゆる頭頂からスーッと宇宙に気が登っていき、それがスーッと落ちてきて、また体内を通り、それが地面に流れて行く。
それが地球の核に到達し、またそれが足裏から返ってくる。

こんな風にイメージすると宇宙との一体感を味わえ、そして自分という存在が空気のようなものに感じる。
更に突き進むと“無”の状態になる。

無とは無償の愛であり、無敵であることに気付く。
無敵というのは強いのではなくそもそも敵などいないということ。

このように、イメージ力のパワーは絶大だ。
物質世界の世の中にしろ最初はイメージ(夢、願望)から始まった。

そもそも人間が見ているのは目を通して見たもの。
宇宙の果てがどうなっているかわからないのは目で見ようとしているから。
そもそも宇宙の存在すら無いのかもしれない。

2015年1月17日土曜日

あと2週間・・今すべきこと

県大会まで2週間と迫った。

そして今すべきこと。

第一にコンディションを整えること。
適度に体を動かし、栄養のあるものを食べ、睡眠をたっぷりとる。

次に、鍛錬系の練習から、リハーサル練習に切り替える。
鍛錬系とはいわゆる辛い練習。
いわゆる立禅・站椿功(たんとうこう)だ。

安定した演武をする上で站椿功は欠かせない。
しかし、試合直前に行っても意味がない。
站椿功は普段から毎日やってこそ意味があるもの。

とにかく練習内容をハードなものからソフトなものに切り替えていく。
体を追いつめていくのではなくゆるめていくのだ。

套路の練習は時間を計る練習も必要だが、
ゆるめるための套路も必要だ。

かといってゆるめすぎも良くない。

心が感じるままに緊張感を受け入れ、自分の心に従って行動すれば
思わぬアイデアや想像もしなかったことが出来たりする。

この時期をどう過ごすかがとても大事だと思う。

2015年1月15日木曜日

指導のこと、故障のこと、気功のこと

最近サークルを行っていて感じたことをいくつか。

まず指導について。
指導するということは責任が伴う。

学ぶ側は自分の好きなように捉え自分の好きなようにできるが、
指導する側はそうはいかない。
正しい技法を教え、悪い癖を正さねばならない。
無論それを自ら身を以て示さねばならない。

だから、サークルの時は雰囲気づくりにも気を配りながら緊張感をもって指導を行っている。
指導者がいい加減なことをすると学ぶ側にも悪い習慣が身についてしまうからだ。

以前、私は「教えることは学ぶこと」と言ったことがあるが、
しかし、それは例えば家族や友達にちょっと演武や技を披露する程度のものであり、
指導するということであればそれはまた別問題。

先程も述べたように指導することに関しては責任が伴う。
これから学ぼうとする人は教えられたことを練習しようとするから適当なことを教えてしまうとその場だけの問題だけでは済まなくなる。
責任重大なのだ。

よって、会員さん同士相談し合ったりする程度なら良しとするが、
指導することに関しては今後指導向けの研修を受けていないものは指導してはいけないものとする。
正しい太極拳を身につけて欲しいと思うからこそだ。

次に故障について。
膝の痛みや故障について訴えてくる会員さんが今までにちらほら。
太極拳はゆっくり動くから膝への負担は小さいと考えてしまいがちだ。
それは大間違い。
ゆっくり動かすからこそ膝に負荷がかかるのだ。
だからこそ正しい歩型と歩法をまず学ばねばならない。

地味でつまらない練習だが、私自身、膝を痛めた経験があるので、サークルでは毎回歩法練習を行う。
耳にタコが出来るぐらい同じことを繰り返し伝える。
皆の健康を願ってのことなのでどうか解って欲しい。

正しい歩型と歩法は正しい太極拳を生むが、悪い習慣がついてしまえばそれはもはや太極拳ではなく、体に悪影響を与えてしまう運動になってしまう。
だから、私が注意すべきことにしっかり耳を傾け、しっかり習得して欲しいと心から願う。

指導する立場にとって膝の痛みや故障の訴えは本当に辛い。
勝手な思い込みで練習を続けることはどうか避けて欲しい。
解らないことがあればメールでもいいのでその都度聞いてもらえればいくらでもお答えします。

それよりも、私は抜筋骨と立禅を行うことを強くおすすめする。
覚えた型を忘れないように家でおさらいするのはいいが、
あやふやなまま套路の練習を行うと足腰を鍛えるどころか関節を痛めてしまいかねない。

抜筋骨は体をゆるめるための体操。
これはいくらやってもいい。
やればやるほど体にいい。
頭も体もスッキリする。

次に立禅。
これもいい。
太極拳の基本中の基本。
そもそも正しく立てないものが正しく歩くことなんか出来ないし、太極拳ともなれば尚更。

まずは両足でしっかり立つ練習をする。
正しい姿勢で立ち、ゆったりとした呼吸で気を沈め、自分自身に力みがないか問いかける。

最近、毎日熱心に気功を行う会員さんがいる。
確かに姿勢が良くなったし、動きも安定してきた。
それになにより、勁力(沈墜勁)が身に付き、彼女を押してみた時にそのことに気付いた。

沈むことを覚えると太極拳の上達は早い。
沈むことは身体だけではなく気も沈める。

ここに時間をかければ柔軟運動と型だけしか練習しないより10倍は太極拳の習得が早くなる。
それを証明してくださっている先生方もおられるし、
私自身もそれを身を以て証明していきたいと思っている。

2015年1月9日金曜日

緊張こそ力なり

これは音楽活動をしてきた時からのことなのだが、本番にしか出せない力がある。
練習の時にはできないのにだ。

人間極限に追い込まれると普段以上の力が出せると言うが、
逆に考えれば本番前、緊張するのはとてもいいことということになる。
緊張しなければ極限状態にならないし、不思議な力も出すことはできないだろう。

でも、ただ、緊張しているだけではダメだと思う。
やっぱり普段の練習あってこそだと。

ここをこうしたい。
でもできない。
だけどやりたい。
そしてそれを繰り返し練習する。

それが練習の時に出来ずに本番で出る。

これは武術のみならず私の人生の中で覚えたことだが、
頭でものを考えず腹でものを考える。
頭で考えるとスピードが鈍る。
しかし腹で考えると圧倒的に速い。
というより自分が想像する以上に速い。

腹の中で何が起こってるか?
大事なことは、
「なぜそれをやってるのか?」

今、試合に向けて頑張ってるわけだが、
でもそれは何故?

頑張ることが当たり前になってはダメだと思う。
自分にとって頑張る理由、頑張り始めた原因こそが、魔力を引き出すパワーのスイッチになるはず。

今だからこそ原点に返ろう。