2015年1月20日火曜日

吊り上げるではなく

これまで気功の時に正しい姿勢とゆるみを得るため
頭頂から吊り上げられているというような説明をしてきたが、
それが最近、大きな誤解だということに気付いた。

正しくは“吊り上げる”のではなく、“吊り下がる”です。

物理的には同じなのだが、“吊り上げる”では、首をぐーっと上に伸ばさなければならない感じになるし、ともすれば気が上に上がってしまう。
いわゆる引力に逆らって上に伸びようとするイメージに。

吊り下がるなら、引力に従いスーッと下に沈むようなイメージになり、
頸椎も背筋もまっすぐに伸びるはず。
それに重心は足裏に来るはず。

もしかしたら私の聞き違いだったのかもしれないし、
それとも間違って伝達されてきたのかもしれない。
その辺は定かではないが、いずれも今までずっと自分の中で釈然としなかった。
“吊り下がる”ならすべての理屈は合うし、立禅の意味が増す。

こうしてまず体を十分にゆるめ、そしてイメージで気を流す。

頭頂から宇宙につながるようなイメージ。
いわゆる頭頂からスーッと宇宙に気が登っていき、それがスーッと落ちてきて、また体内を通り、それが地面に流れて行く。
それが地球の核に到達し、またそれが足裏から返ってくる。

こんな風にイメージすると宇宙との一体感を味わえ、そして自分という存在が空気のようなものに感じる。
更に突き進むと“無”の状態になる。

無とは無償の愛であり、無敵であることに気付く。
無敵というのは強いのではなくそもそも敵などいないということ。

このように、イメージ力のパワーは絶大だ。
物質世界の世の中にしろ最初はイメージ(夢、願望)から始まった。

そもそも人間が見ているのは目を通して見たもの。
宇宙の果てがどうなっているかわからないのは目で見ようとしているから。
そもそも宇宙の存在すら無いのかもしれない。