2015年2月26日木曜日

武術の始まりは棒術?

いろいろな文献を読み漁っていると、どうやら武術の始まりは棒術らしい?

確かになにもなかった時代敵と戦おうと思ったら、素手より何か手にもって戦った方が有利だ。
それが、もし生きるか死ぬかの戦いなら尚のこと。

そんなわけで、最近、形意棍の練習を始めた。
形意拳もまた棍術から始まったという説が強いようだ。
難しいが初めてみると実に楽しい。

棍を振り回しながら何度も脛に棒を打ちつけてしまい、そのたび激痛が走るが、これも上達するための一歩ということで。。

棍は刀や剣と異なり切れる部分がないから取り回しが良い。
打ち落としたり、振り上げたり、回したり、突いたり・・
いろいろ動作を覚えていくと、確かにこれが徒手の技につながっていく。

形意棍だから歩法も重要。
跟歩を使うから、棒を扱う時の遠心力だけでなく、そこに推進力が働く。
しかも棍に気を通せるようになったら、相当な力を生み出すことができるだろうとも思う。

棒で勁力を出すのは難しい。
だからこそ練習になりそうだ。

徒手(素手)と並行して、刀、剣、棍もしっかり練習していこうと思った。

2015年2月24日火曜日

勁力は一日にしてならず

太極拳を知らない人、始めたばかりの人は数カ月で太極拳を習得できると思うようだ。
まあ、私もそのひとりだったのだが。(苦笑)

中には「〇〇太極拳を〇カ月でマスター」などという広告もあるようだが、
太極拳を数カ月でマスターできたら世の中太極拳の達人だらけということに。

太極拳の型そのものは半年から一年で覚えられるでしょう。
そして5年もすればそこそこ自信もついてくる。
しかし、5年ではまだ太極拳とは言えないと思う。
20年、30年続けている先輩方もまだまだだと仰るぐらいだ。

「千里の道も一歩から」というように
じっくり取り組むのがいい。

そして日々少しずつ自分の中で変化していくのを感じるのがいい。
それこそが太極拳の楽しみだと。
ご馳走を、すぐに食べてしまうのではなく、10年20年かけて食べるような感じだろうか。

とにかく焦らぬこと。
「急いては事をし損じる」というが、太極拳にぴったりの諺だ。

私は太極拳を始めて12年になるが、まだまだ自分の演武も中身も全く納得できていない。
でも毎日少しずつ変わってきていることも事実。
この少しずつがいいのだ。

筋力は一日でもつけることができるが勁力は決して一日ではつかない。
でも勁力は筋力よりもはるかにスピードが早くしかも破壊力も凄まじいと言われる。
それがどれだけのものなのか?

その感覚を得る時こそ私にとっての唯一の楽しみだ。

2015年2月21日土曜日

楊式太極拳が他流と違う点

楊式太極拳以外はほんの少しかじった程度だが、
陳式、呉式、孫式などの流派と比べ
楊式太極拳はひたすらゆっくり連綿と套路を練ることに徹する。

陳式太極拳のように発勁動作がない代わりに、
確実に違った感覚があるが、それは柔らかい気に包まれるような感覚だろうか。

ゆっくりと呼吸するように動く。
途切れることなく連綿と。

例えば、狭い部屋の中で套路を練っているとどうしても壁にぶつかってしまい
その都度下がってはやり直さないといけない。
こうすると折角繋がっていた糸が切れてしまう。
仕方のないことなのだが、だからこそ連綿と動くことの重要さに気付かされる。

昨日、Mさんの要望で25分かけて伝統楊式太極拳を二人で練ってみた。
今にも止まりそうなほどゆっくりとした動きなのに、体がどんどん熱くなってくるのがわかる。
気がつけば、やさしくもしっとりとした気に包み込まれ、ゆるやかな動きの中に気の摩擦を感じる。

ゆっくり動くと片足になる時間が多くバランスが難しくなるはずなのに、
なぜか回っている独楽のように軸が安定する。
とても不思議な感覚だ。

今日はさらに5分延長して30分かけて套路を練ってみた。
そしてまた新たな感覚が得られた。

これからは套路の回数をこなすことよりひとつの套路に時間をかけてみようと思う。

実は試合向けに繰り返すだけの套路ばかりしていて、なにか大事なものを失った感覚があるし、
見えない壁にぶつかっている感じもする。

いずれ楊式太極拳を1時間かけてやってみたいと思った。

2015年2月17日火曜日

くだらないことかもしれないが

講師の立場としての喜びってなんだろう?

それは、
教えたことを理解してくれたり、
体を動かすことに喜びを感じてくれたり、
健康を取り戻してくれたり、
生活が変わったことを実感してもらえたり、
生徒が進んで練習したり、上達したり・・

やはり与えたことによって返ってくるものがあると嬉しい。
だから、私はいつも出来る限り丁寧な指導をしようと心掛けている。

そして、もうひとつ。
生徒から褒めらえること。
私の演武が好きだと言ってくれたり、
強いと言ってくれたり、
教え方が良いと言ってもらえたり。
とても嬉しい。

生徒時代、私は、先生は上手くて当たり前と思ったこともあるけど、
先生にしても毎日努力されている。
それに私が最初に師事した先生は頻繁に私に自分がどう変わったか尋ねられた。
私はその都度感じたことを先生に伝えた。
確かに先生は日々進歩されていた。

先生というのは生徒を認めるのが役目なのだが、
先生もまた生徒が誇れる先生になりたい。
それも太極拳も何も知らない素人ではなく目の前にいる生徒に認められるのが一番嬉しい。
なぜなら生徒は先生のことを一番よく理解しているからだと思う。

私は今もだが、最初に師事した先生の演武が一番美しいと思ったし、カッコイイとも思った。
それに先生の人間性や雰囲気も好きだった。

最初に師事した先生がとても良い先生だったが
これも縁なのか、とても恵まれていると思った。

2015年2月9日月曜日

自分で打とうとせず自分に打たせる

最近、自分のパワーが上がってきているような気がする。

触れるぐらいの感じで打ってるはずなのに、相手が勢い吹っ飛んでしまう。

だから最近は会員さんに対しては、打たずに打つふりをするようにしている。
もしかしたら自分の力をコントロールする力を備えなくてはいけない時期に入ったのだろうか。

パワーはただ強いだけではダメだと思う。
自在にコントロールできなければそれは真の強さとは言えないと思う。

これが勁力かどうかはわからない。
ただ、先日武術仲間から相当な威力だと言われたので、今後はますますセーブしなくてはいけないと思った。
普通の人の胸に打ってしまうと胸骨が陥没するだろうと。

実は私が身につけたいのは攻撃の威力ではない。
攻撃するまでの力を身につけたい。
いわゆる聴勁と化勁。

基本、私は闘争心もないし暴力も好きではない。
人を傷つけたくない。
平和をこよなく愛するタイプだ。
だから危機に直面したら打たずして争いを沈めたい。(決してカッコつけているわけではなく)

ところで、
打つ時の私の感覚だが、私自身が打っているという感覚ではなく、
私に打たせているという感じだ。

営業の仕事をしている時もそうだった。
私がトークするのではなく、私にトークさせているという感覚だった。
このような状態で営業するとおもしろいほど契約がとれる。

全然話が違うようだが、私は同じだと思っている。
有能なセールスパーソンは宇宙からパワーを取り入れる方法を知っている。
武術のキャリアはまだまだ短いが、51年間無駄に生きてきたわけではないし、
今度は武術の分野でその力を発揮できるよう修行を積んでいきたいと思っている。

今後自分がどう変わっていくかが楽しみだ。

2015年2月5日木曜日

0から?100から?

一昨年の春から気功と太極拳の指導を始めてまもなく2年になろうとしている。

始めた頃、自分はどんな指導を心がけようと思っていただろう?
それは今でも変わらない。

ゼロの状態から教える。
始めたばかりの時は何もわからなくてあたりまえ。
自分にしろ最初はなにもわからなかったのだ。

だから、私は指導時に、出来ないことが出来るようになったら必ずその生徒を評価する。
本人は出来ないことを出来るよう頑張ったのだから、その努力を認めたい。

逆にやってはいけないこと。
それは今の自分と比較すること。

こうなると出来ない生徒を見て「どうしてできないんだ?」と、きっと苛立ちを感じてしまうだろう。
その挙句、感情的になり生徒を強く叱ってしまう。
やがて生徒は叱られないようビクビクしながら暗い気分で渋々努力するかもしれないし、
逆に叱られることに慣れてしまうかもしれない。

同じ努力をするにしても叱られないよう努力するのはあまり良い結果をもたらさないだろう。
それとも、叱られることに慣れてしまったら、その生徒の成長はそこでストップしてしまうだろう。

同じ指導でも指導法によって生徒に与える影響は大きい。

私は前者の足し算方式で指導したい。
自分と比較して出来ないところを指摘しまくる引き算方式で指導したくない。

決してテクニックではなく、
そこに愛があるかどうかだと私は思う。

私は武術歴も指導歴も決して長くない。
修行も始まったばかり。
でも、だからこそいつでも始めたばかりの初々しい気持に戻ることが出来る。

初心忘るべからず。

これこそが私が持ち続けたい心構えだ。

2015年2月3日火曜日

いつから始める?

1月31日に無事県大会も終え、一段落。

結果は3種目とも記録更新できたが順位は変わらず。
理由はわかっている。
自分を追い込むことが足りなかった。
だから今回の結果は自分でも納得のいくものだった。

ひとつ嬉しかったのは楊式刀で自分の目標点数に載せられたこと。
順位は2位だったが、本番前からその点数が欲しい欲しいと強く念じた。
念じることが奇跡を生み出すことを改めて経験した。

念じると言えば、今回当会から初出場のMさんが予想以上の点数を叩きだしたこと。
本番で出せる実力は7割ぐらいと言われるが、
Mさんは全くもって練習通りの演武を行った。

本番直前に私は彼女に「いつも通りに」という言葉を送ったが
あの緊張した空気の中で本当にいつも通りの演武をやってのけた。
本当に見事だった。

私は彼女の指導を担当したが、私が担当したのは指導だけではない。
それは、いわゆる「信じること」だろうか。

さて、試合は終わったが、
終わったということは始まったといいうことでもある。
翌日から練習を開始し、昨日は全国大会向けの練習も行った。
まだ2日しか経っていないが、昨日先輩に良きアドバイスを頂き、すでに私の演武は変わり始めている。(と思う)

大会の練習はいつからはじめるのがいいのだろう?
私の場合は大会が終わった直後から。

およそ本番2週間ぐらい前になると、そわそわと練習し始める方々を多く見かける。
それはそれでいいことなのだが、
2週間前からでは自分の納得いく演武に仕上げるのは難しいし、なにより疲れてしまう。
どんなに実力があっても疲れてしまっては本領発揮できない。

それより歯を磨くがごとく毎日コツコツと試合向け練習をするのが一番だと思う。

仮に2週間前から套路を1日に10回繰り返したとする。
10回×14日=140回

半年前から毎日套路を2回通したとする。
2回×182日=364回

この差は倍2.6倍だが、実際はそんなものではない。

短期間に集中してやるのも悪くないが、本番の実力は短期間で練り上げたものより毎日の積み重ねが出る。
習慣化してしまえば、本番でも習慣として行えることになる。

だから、試合向けの練習を始めるのは迷わず“今”ということになる。

と、自分に言い聞かせてみたくて書いてみた。