2016年10月4日火曜日

当会が伝統スタイルに戻した理由

当会を立ち上げた3年半前、
「今までにない楽しくも実践的な太極拳サークルをつくろう!」という想いで始めた。

時代のニーズに応え、やさしく体に負担の少ない楊式太極拳をベースとし、気功、基本功などを行いながら、同時に推手と散手を取り入れた。

実際私が伝統教室で習った散手は楊式太極拳の技ではなく、他の柔術系の護身術。
確かに実戦的だが、楊式太極拳の技を生かさなければ勿体ないと考えた。

しかし、太極拳と言えどその戦術はかなりえげつない。
目をえぐったり、鼓膜を潰したり、後頭部を打ち砕いたり、顔の皮は剥ぎ取ったり、肘や膝などを砕いたり・・残酷極まりない。

又、もっと恐ろしいことに、これら外傷だけに留まらず、勁を使うので、内部を破壊することができる。
心臓、腎臓、膀胱、腸、胃、肺などあらゆる臓器にダメージを与え破裂させてしまう。
出血量が多ければ致死量に至るということになる。
非常に恐ろしい。

いずれもこれらは生死を掛けた戦いの場面で使われる戦術で、護身術としては向かない。
護身術では相手に戦意喪失させることが目的。
大怪我どころか命にかかわるような技は絶対使ってはならない。

だから、当会では相手に重度なダメージを与えるような攻撃を省き、
護身として使える技の研究を行っている。
太極拳で体を鍛え、太極拳で身を守る。
これが当会のテーマ。

さて、話が脱線しないうちに戻すことにする。

立ち上げ当初は、楊式太極拳が終わったら、刀、剣、双辺太極拳の3つから選べるようにしていた。
それが今風だと思ったから。

しかしやってみて解ったことは、やはり徒手(素手)での練習をしっかり練ることが大事だということ。
楊式太極拳をさらっと覚え、すぐに武器を持っても、なかなか使いこなせない。
武器を持つことは誰にでも出来るが、それはあくまでも持って振り回しているだけで、正確に言えば振り回しているのではなく振り回されてしまう。

武器は手の延長と言われるが、いわゆる体の一部にならなければならない。

私は元ベーシストだが、楽器が体の一部にならなければ自分のハートをそのままサウンドにすることはできない。
これと同じように武器も体の一部にならなければ思いのままに操ることは出来ないということ。

だから伝統形式に戻すことにした。
ちょっとやっては飽き、次々とおもしろそうなものに手を出してしまう。
そんなことを繰り返していても、本当の武術の身体操作法を身につけることは出来ないし、
本当の意味での勁を知ることはできないと思う。

勁は美しく演武するための力ではない。
私が思う勁は、この力が相手に伝わるとどうなるかと考えさせられるチカラである。

私としては本当の武術を身につけて欲しい。
しかも現代版の武術として。

今は昔とは違う。
素手や刀を剣を振り回して戦うことなどない。
内乱では飛び道具で戦い、国同士では爆弾やミサイルを使用する。

飛んできた球やミサイルを化勁でかわすことができれば別だが、そんなことは100%無理。

自分に出来ること。
身近なトラブルを自分自身で守る。
それが護身術。

徒手をしっかり練り上げ、武器が使えるようになれば手に持ったものはなんでも同じになる。
カサだろうが、ハンドバッグだろうが、ベルトだろうが、杖だろうが。

武器は手で扱うものではない。
それを覚えるために徒手をしっかり練り、そして武器術を覚える。

これこそが現代風の本物の武術の教えだと私は信じる。

体の使い方、丹田の使い方を身につけることが大事。
3年半指導してきてそういう考えに至った。

もし武器をやりたかったら、それは〝お楽しみ”としてとっておいて徒手を頑張る。
そうすることで自然と基本が身に付くということ。

これが私なりの会員さんへの思いやりであり愛情だと思っている。