私が約2年間制定拳を習っていた時、
その先生は一度も私を褒めてくださったことはなかった。
正確に言えば一度だけ褒めて頂いたことがあった。
「脚上がるようになったね」
それ一言きりだった。
当時は褒められたい一心で、来る日も来る日も我武者羅に練習した。
本当に狂ったように練習した。
そして、出来なかったことを出来るようにし、それを先生に見せるのだが
何も言ってもらえなかった。
そして2年目にきて遂に私はやる気を失ってしまった。
しかし、その時に得られたものは非常に多い。
あの頃の自分があるからこそ今の自分がある。
今思えば先生には私の性格を見抜かれていたのだと思う。
私の欠点は褒められると調子に乗ってしまうことだから。
後で聞いた話だが、
私のいないところで先生は私のことを頻繁に話題に出し、褒めてくださっていたのだそう。
出来ないことを次にはきちんと出来るように練習してくると。
そして今教える立場になって、ようやくその気持ちがわかった。
意欲的な人、出来る人にはついつい期待してしまう。
だから褒めている暇がないのだ。
まだ行ける。まだ行ける。
という気持ちがあるからどんどん課題を与える。
だから、私はこう思う。
無言こそ最高の誉め言葉だと。
課題を与えられるということは期待されているということ。
それだけ買ってくれてるということ。
因みに私は嘘はつけないタイプ。
出来ていれば出来ていると言うし、
出来ていなければうーんと唸ることになる。
因みに唸るのはどうすれば出来るようになるか考えているから。
この時私の頭の中は大忙しになっている。
単に言って聞かせるのではなく、私がどうアプローチすれば理解が深まるか。
それを考えている。
相手を変えたければ自分が変わること。
これは数多くの失敗から学んだこと。
常につねに良い指導をと思う。