2013年8月31日土曜日

決めると腹が据わる

迷ってる時って、きっと気が上に上がっているんだと思う。
片足で立ってみるとわかる。
フラフラする。(笑)

が、迷いが消えると腹が据わる。
しかし腹が据わるってそもそもなんだ?

確実に腹にパワーを感じる。
いわば、この状態こそ気が丹田に落ちているのではないだろうか?
精神的にも自信に満ち溢れた状態。(といってもあくまでも私の中で)

気沈丹田(きちんたんでん)という言葉がある。
気を丹田に沈めるということだが、これが意外と難しかったりする。
ヘンに意識すると余計に気が舞い上がったり。。(汗)

でも、「やる」と決めると、勝手に気が丹田に落ちる。
この状態で片足で立ってみると、長時間安定して立っていられる。
しかし、少しでも心が揺らぐと体も揺らぐ。

整理すると・・
気沈丹田とは
迷いのない状態、
腹が据わってる状態、
自信に満ち溢れた状態
心身共に安定した状態
やる気に満ち溢れた状態

私は楊式太極拳と双辺太極拳歴は10年だが、陳式太極拳はまだ7ヶ月。
同じ太極拳なのに、歩形や手の動きがかなり違ったりして、どうしても気が舞い上がってしまう。
先生について同じ形をつくろうとするといつの間にか肩に力が入っているし、股関節を織り込んで立とうとすると後ろに倒れそうになってしまう。

陳式太極拳でも迷いの状態が消えた時こそ、肩の力が抜け、安定して立てるようになれるのだろうか?
いずれもそうなるためには練習しかなさそうだ。

陳式太極拳でも楊式太極拳のように気持ち良くできるようになるのはいつなんだろうか?

2013年8月28日水曜日

目標

目標を持つことは大事だと思う。

なぜなら、目標に向かおうとする時、普段後回しにしている練習を積極的にやるようになり、短期間で実力を上げることができるから。

例えばそれが大会なら、大会前の練習に入る前のビデオと大会直前のビデオを観るとまるで違う。
というより、前のビデオを観るとあまりの自分のひどさに愕然としてしまう。
それでも、その時は自分でも、そこそこいいと思ってるから厄介だ。(笑)

かといって、目標を持たずに太極拳をするのもまたいいと思う。
毎日、無意識に歯を磨くように、無意識に太極拳をやるようになればしめたものだ。
太極拳が生活の中に溶け込んでいくという感じだろうか。
嫌でも健康になっていくし、体が丈夫になる。

だから、私はあえて人に目標を持つようにとはすすめない。
人それぞれ好きなように太極拳を楽しめばいいと思う。

しかし、私の場合は違う。
人に教える立場だし、ただ、歯を磨くように太極拳をしていたのでは単なる怠け者の指導者だ。
少なくとも私が尊敬する先生は、教えることばかりに熱心な先生ではなく、自分の練習にも熱心な先生だ。
本当に見習いたいと思ってしまう。

そんなこんなで、10月のイベント出場と11月の試合出場を決めた。
ギリギリまで悩んだが、決めた後は妙にスッキリした気分。
なぜなら後は死ぬほど頑張るだけだからだ。(笑)

まあ、それは大袈裟にしても、これで私は普段後回しにしている練習を積極的にやりだす機会を作ったことになる。

最近自分で思うのは軸がずれるようになった。
これは明らかに練習不足だ。
だから軸をしっかりさせるための地味な練習を徹底的にやろうと思う。

試合でのテーマは、スピードと力強さが主体の剛拳の選手が大勢出場する中で、私はスロー&柔で勝負ということになる。
だから套路も超スローモーションのようにゆっくりと練習することになると思う。

未来の自分はどんなふうになっているのだろう?
仮に本番失敗しても今より実力が上がっていることは間違いない。

3か月後の自分に会うのが楽しみだ。

2013年8月25日日曜日

インナーマッスルとアウターマッスル

昨夜のカンフーエクササイズでは、通背拳の基本功である胸元から鞭のように素早く手を振りだす練習を30分間行ったが、お蔭で今日はひどい筋肉痛。
腕を曲げるとボッコリと力こぶが。

いわゆる、絶え間なく連続攻撃を続け相手に隙を与えないような動きとでも言おうか。
見た目は非常にカッコイイ。
が、やるのは物凄く大変。。

もし通背拳に対し太極拳で戦うのであれば、最初の一発目の動きを捉えないと、アウトだと思う。
2発目3発目の鞭が物凄いスピードで飛び出してくるので技をかけている暇がない。

考えられる方法は打たれる前にボディアタック系の技で倒すか、
それとも下勢(かせい)で相手の攻撃をかわし、金鶏独立(きんけいどくりつ)で急所を攻撃し相手に圧倒的なダメージを与えるか、
それでなければ雲手(うんしゅ)などで相手の攻撃をうまくかわしながら逃げまくり、相手を疲れさせるかだと思う。
恐らくあの早い動きの連続攻撃では2分、3分ともたないと思う。(あくまでも私の考察)

そんなことはともかく、
今回書きたかったことはこんなことじゃない。(笑)

このまま外家拳の部類に入る通背拳を続けると、この先どうなるかというのがなんとなく見えてきたということだ。
これまで鍛えてきた赤筋といわれるインナーマッスルよりも白筋といわれるアウターマッスルがどんどん養われていくことになる。
いわゆる筋肉が張ってくることが考えられるのだが、そうなると太極拳での柔らかい動きに支障が出てくるのではないかと言う懸念と、
それによって勁の通りが悪くなるのではという心配だ。
現に今、雲手を行ってみたら、いつものように空気の中に溶け込んで行くような感覚が薄れたように感じる。(単に筋肉痛のせいかもしれないが:笑)

まあ、まだ結論を出すのはぜんぜん早いと思うが、
いずれも私のやりたい太極拳から遠ざかってしまうのであれば考えなくてはならない。

大会を見に行くとどうしても派手な動きの剛拳といわれる外家拳に目が行ってしまうし、憧れてしまう。
しかし、私としては同じ時間を使うにしても、死ぬまで続けられることに時間を費やしたいし
老化によって気のパワーが増すことを楽しみたい。

見た目のカッコ良さをとるか、
中身の世界を追及していくか。

ひとつだけ言えることはマッチョにはなりたくない。
マッチョが強いのは当たり前。
ヒョロヒョロなのに強いのがカッコイイ。

やっぱり内家拳かな。(笑)

武術三昧

昨日は朝から晩までずっと武術三昧だった。

朝9時過ぎから午後3時ごろまでは武術仲間と組手の練習。
夕方からは大阪でカンフーエクササイズ。
すっかり疲れ切って帰りの電車はずっと爆睡。

今回、収穫として最も大きかったのは形意拳の崩拳がとても威力があるということだろうか。
パンチングミットを使って打ち合いをしたのだが、
崩拳に関しては腹に大砲を打ち込まれたような衝撃が走る。

これをまともに喰らったら・・
強烈な痛みでかなり長時間うずくまることになるだろうし、下手をすれば内臓破裂かもしれない。

形意拳の威力は突きではなく、推進力+勁力だという。
滑り出すように突進するのでたっぷりと体重が掛かっているし、しかも拳の位置が丹田に近いから重みがぜんぜん違う。

あとは推手のバリエーションも増えた。
左へ右へどちらの攻撃に対しても化勁で相手の力をそらす練習をした。

起勢(きせい)での崩し合いもおもしろかった。
肘を曲げてやってみたり、肘を伸ばしたままやってみたり。

攬雀尾(らんじゃくび)の用法は、より具体的になり確実に威力が増した。
白鶴亮翅(はっかくりょうし)はいきなり関節技に入るから相手の動きを完全に封じることができる。

思ったことは、14勢までの技で十分戦えるんじゃないかと。
いや、もっと言えば起勢と攬雀尾だけでも十分じゃないかと思う。

あとは、マウントポジションからの攻撃方法も発見。
但し、暗勁(相手に手を触れたまま打つ)に関してはほとんど威力を出せなかった。
やはり暗勁は想像以上に難しい。

カンフーエクササイズでは先々週と同じく練功法と五歩拳、それに通背拳の基本功。
今日は型を行わず30分間延々と通背拳の基本功を行う。
お蔭で腕がパンパンだ。

あと、馬歩ではまだまだ胯を入れることが出来ていないことも発見。
というより早い動きをすると胯がついつい前に出てしまうのだ。
これは早急に直さねば。

ということであまりにも収穫が多すぎて、全部消化しきれていないような気もするが頑張って功夫を高めて行こう。

2013年8月22日木曜日

腰から手が生えているような感覚

私の部屋の壁にはこういうものが貼ってある。



ある武術誌の中にあった小さな図なのだが、それを引き延ばして大きくした。
書いてあることはサッパリわからない。
でも、この絵が伝えようとしていることはなんとなくわかる。

この絵では腰から手が生えている。
肩や肘のような関節もなく、手が蛇のようになっていて、なんとなく力強さも感じない。

これなんだよな。

いわゆる、防御したり、攻撃したりするときは、胸の筋肉や肩や腕などを使って攻防するのではなく、すべて腰から湧き出るパワーで手を操るのだと。

まあ言うは易しで、これがなかなかできない。

実はこれは武術としての攻防法としてだけではなく、演武にも行かせる。
実際股関節、腰(丹田)で動いている演武はとても美しい。

逆に手だけで動いている演舞は見た目もぎこちなく、動きも固くて見苦しい。
腰からやわらかく動けば全体的に風格が出るし、それはそのまま実戦にも行かせるということだ。(と思う)

だから、最初に動くのは腰、股関節、いや丹田だ。
丹田が動くといってもピンとこないかもしれないが、私は絶好調の時は丹田が強烈に動き出す。
頭がよく働いている時は頭の回転が速いとか言うが、
やる気とか意欲とか至福感を感じている時って丹田ぐるぐる動いている。

丹田が動くと、股関節が動き、そしてそれにつられ足や手が動く。
だから、長年修行と積んでいる人の動きをみると、腰(丹田)から動いている。

実際、腰から動くのが一番楽だし、一番力を発揮できるからだ。
これは決して武術の経験で言っているのではなく、バイトで引越屋や運送屋をやっていた時に実感したこと。
重たい荷物を持ち上げたり、押したりする時は腰を入れる。
そういうことだ。

この動きをすると自然と美しくなるのだ。

結果、私が理想としている強く美しい太極拳に近づけることになる。(と思う)

PS
本文中で「腰」という風に表現しているが、わかりやすくするためです。
他のスポーツや武道等でも「もっと腰を使って」とか「もっと腰を入れて」等といいますし、
いわゆる丹田から動こうとすれば自ずと股関節が動き、そして丹田のパワーが手に伝わるという感じでしょうか。
無論、私もこれから開発していくところです。

2013年8月20日火曜日

気功太極拳の精神的効果

今回なぜこのようなタイトルにしたかは理由がある。

実は現在、当会の会員さんお二人が心の病で休会中。
そのうちの一人は恐らくこのまま出て来られないのではないかと思っている。
いずれも一度でも長く休んでしまうと今度出てくるのが大変になる。

例えば、自転車で走ってる時はラクだけど、一度止まってから走り出すには結構力を入れて漕ぎ出さないとダメだが、それに似ている。

因みに私のうつ病歴は人生の半分ぐらいと言っていい。
学生時代は対人恐怖症で、人と目を合わせたり言葉を交わしたりすることさえ怖かった。
お蔭で私の学生時代は台無し。

その後、20代は音楽活動、30代は事業活動で元気に頑張ったが、
40歳近くなった時に、またそのうつ病に悩まされることになる。
それは学生時代のそれよりもっとひどい自閉症となった。
人と目を合わせるのが怖い、言葉を交わすのが怖い、電話が掛かってくるのが怖い。
とにかく不安で不安で仕方のない状態が続く。

私のうつ病歴は長いので、うつ病の人の気持ちが嫌という程わかる。
でも、安心して欲しい。
不安ならそのまま不安のままでいればいい。

不安を取り除こうと躍起になってはダメ。
ありのままの自分を受け入れるのが一番いい。
自分を否定しないこと。
意味があって鬱になっているのだから、そのままの状態でいればいい。
だが、引きこもってしまうのは良くない。

実は私が太極拳を始めたのは、肩こりや腰痛や体力減退だけではない。
完全に心の病だったからだ。

ある日ふらふら~っと立ち寄った図書館で、心理学の本をぱらぱらっとめくった。
するとある言葉が私の目に飛び込んだ。
それは
「体力=精神力」という言葉。

体力が落ちると精神力も落ちる。
逆に精神力が落ちると積極的に動かなくなり結果体力が落ちる。
これらは常に連動しているということ。

私に出来ることは?
心の方はどうにもならないから・・・
そうだ、
体を動かそうと。

そして、その足で近くの公民館に行き、
そこで見つけたのが「太極拳サークル」の張り紙。
これだ!と思った。

私はすぐに入会し太極拳を始めることに。
するとなんということだろう?
常用していたマイナートランキライザーも必要なくなり、それどころか、私の体力や意欲は増す一方。
ここであの時図書館で見つけた本の一節を思い出す。
やはり体力と精神力はイコールなのだと。

それから私のビジネスの売り上げは右肩上がり。
売上は一気に5倍になり、しかもそれが安定して続くことになる。
私はそのお金で海外生活をできるようにまでなっていた。

その前の私は?
サラ金に手を出し、もうどこも貸してくれるところもないぐらい精神的にも経済的にもどん底状態。
毎日ひっきりなしにサラ金の取り立て電話が鳴り響く。
30代後半の頃だ。

当時の私は、毎日100人の人と会い、500人の前で講演し、
2万人のグループリーダーでもあった。
とにかく何人だろうが体力が続く限りどれだけでの人でも相手することが出来た。

その私が対人恐怖症、自閉症に。

話が前後してしまったが、
とにかく自閉症になったら、閉じこもってはダメ。
不安は不安のままでいい。
ただ、外に出て新鮮な空気を吸うことはとても必要。
そして、自分のことを深く理解してくれる人に会うのがいい。

私は、太極拳のチャンピオンを育てるためにサークルを始めたのではない。
生活に疲れを感じている人、不安を感じている人、ストレスを感じている人、ノイローゼ気味になっている人。
そんな人たちに来てもらって、そして心を癒やして欲しいと思ってサークルを立ち上げた。

以前もブログで取り上げたが、「ヒーリング太極拳」だ。

元気が出ない人に安らぎを与えたい、
そして人の笑顔を見たいから、このサークルを始めた。

体を動かそう。
そして太極拳で不安を取り除き、
至福感を味わえる太極拳に到達するよう。

そこへ皆を導いて行くのが私の役目だと思っている。

2013年8月19日月曜日

中国伝統武術大会

昨日は、初めて伝統武術大会なるものを観に行った。
会場は、岸和田の先の熊取町というところ。
バイクで高速を使って約1時間。

いやあ、とにかく凄かった。
もう言葉にならないぐらい。
最初から最後まで全く退屈することなく、それどころか物凄いパワーをもらえた。
あえてイスに座わらず、ずっと立って観戦していた。(これも修行のひとつ)

とにかく、完全に火が燃え移ったという感じで、
観ているそばから自分の体が疼きだすのがわかった。

確信した。
やはり自分のしたいのは伝統武術だと。

選手一人一人に個性があるし、
伝統スタイルを守りながらも自分の持ち味をフルに生かし、そして観ているものに感動とパワーを与えてくれる。

特に目を引いたのは、蟷螂拳、通背拳、八極拳だ。
この三つは確実にチャレンジしてみたいと思った。

通背拳は今月から始めたばかりだが、モノになるにはかなり時間が掛かりそうだ。
というか、練習するたびに手の甲と太腿が痛い。。(泣)

話は変わるが、
会場でバッタリ会った、大刀の名手Wさんからいろいろ話を聞いていると、
選手の中のN選手は実戦でも物凄く強いとのこと。
演武もさながら実戦でも強いというのはとてもカッコイイと思うし素直に憧れる。

ひとまず今日は興奮冷めやまぬ内に、いろいろやりたかったが、夏バテなのか昨日の疲れもあり、1時間半だけ練習した。
軽いストレッチ、鬆身、気功、太極基本功、陳式基本功、陳式套路、通背拳。
本当は形意拳もやりかたったし、発勁の練習もしたかったが、それは明日に回そう。

ひとまず来年か再来年には形意拳か通背拳で出場してみたいと思った。
あくまでも“参加する”というレベルだが。(苦笑)


2013年8月16日金曜日

準備運動と鬆身法

当会で行っている鬆身法(しょうしんほう)は体をゆるめたり、姿勢を整えたり、呼吸を整えたり、気血の巡りを良くしたり様々な効果があるが、気功だけならまだしも太極拳を行う上では十分でない部分がある。
だから、当会では鬆身法(抜筋骨)を行う前に、かるい柔軟運動を行っている。

下から、足首、アキレス腱、膝、ハムストリングス筋、股関節、大腰筋、腰椎、肩、三角筋、大胸筋、肘、手首、頸椎、などなど。
これら体全身の関節と筋肉をほぐすことが目的だ。

逆にこれを行わないで太極拳を始めると故障の原因になるし、実際、私もそれで足首や膝を痛めたことがある。
まあ、それは競技用太極拳の練習中のことだが。

当会で行っている伝統太極拳では競技用太極拳のように激しい体の使い方はしない。
アクロバッティングな太極拳をするためではなく、美容、健康、護身、或いは三昧(さんまい)に到達するための太極拳だ。

いずれも練習時間90分の中に、これら柔軟体操、鬆身法、立禅気功、太極気功、操手、太極基本功、歩法練習、型の練習、技の用法などふんだんに内容を詰め込んでいる。
まるで幕の内弁当のようだ。(笑)

私自身もそうだが、会員さんからもいつも時間が経つのが早いと言われる。
なにしろ90分ではぜんぜん足りないことを、濃縮してやっているから。

因みにこれだけのことをやる理由は、何かに特化した太極拳というより、どんな見方でも、どんなアプローチでも対応できる太極拳を目指したいからだ。
美容目的でも、健康目的でも、表演目的でも、護身のためでも、瞑想のためでもなんでも。

私自身が全部好きだから。
どうせやるなら、太極拳を2倍3倍に楽しんでしまえという感じだ。

2013年8月15日木曜日

水のように風のように

私の気功歴は約10年だが、あくまでも始めてからの歴。
実際はほとんどやってない。
本格的に始めたのは、ごくごく最近で去年の2月ぐらいからだ。

始めて気功を行った時の感想は「なんて退屈なんだ・・」でした。(笑)
毎日デスクワークでじっとしているわけで、体を動したくて始めた太極拳。
教室に行ってまで、またじっとするなんて・・

先生の後ろで「早く終ってくれないかなぁ~」と呟いていた。(笑)

が、今の私は気功をやらずにはいられない。
料理の中でも一番まずかったおかずが今では好きでならないという感じだ。
というより気功をしないで太極拳を始めると物足りなさというより罪悪感を感じるほど。

なぜそうなったかというと、気功そのものが楽しいのではない。
気功をすることによって得られることがあまりにも素晴らしいからだ。

3つにまとめると。

  • 空間との一体感を感じることができる。
  • 手足体が軽くなり浮遊感を感じることができる。
  • 水の感触とそよ風を感じる。

本当はまだまだたくさんあるのだが、この3つが特に私を病み付きにさせる理由だ。

同じ太極拳でも場所によってコンディションが変わるが、気功を行てからやるとそれがなくなる。
例えば自分の部屋ですんなりできたことが公園ではできなかったり、体育館ではできなかったり、
ということがなくなる。
何しろ気功さえ行えば空間を自分のものにできるからだ。

次に、手足が柳の枝葉のように軽くなる。
これはかなり快感。
手の重さを感じなくなってしまうのだ。
踵脚の時、通常は足の重さを感じると思うが、その足ですらフワっと軽くなる。

最後に水の感触とは、水中で泳いでいるような心地よさを空気の中で感じることができる。
あの、肌にあたるサラサラとした水の感覚はとても気持ちいいが、自分に気が集まってくると、とたんに空気なのに水のようなサラサラ感を感じることが出来る。
しかも室内なのに、そよ風さえ吹き出す。

もしかしたら、同じようなことを何度も書いてしまったかもしれません。(笑)
でも、何度も話したくなるほど、この感触が好きで、気功がやめられない。

因みに、やる気のしなかった私がやる気になった方法なんだが、
それは、“真面目にやろうとしないこと”だ。

5分だけしようとか、3分だけしようとか、
いや、なんだったら、30秒だけやろうとか、自分がやろうという気になる時間で始めればいい。

私の場合は30秒だけやろうと思っても、結局30分になってしまう。(笑)
あとは、前述したとおり、“気”の素晴らしい世界に入ることが出来る。

当サークルでは、その空間との一体感や、浮遊感、水の感触を得てもらうためにさまざまな工夫をこらしている。
気功を行う前にからだをほぐす柔軟体操をしたり、
或いは気功を行った後、独自の太極基本功をするなど。

浮遊感や空間をものにするには時間が掛かるが、それを少しでも短縮できることを日々研究している。

2013年8月14日水曜日

双辺太極拳

この太極拳の呼び方にはいつも困る。
元々この太極拳には名前がないからだ。

この太極拳の創始者が、孫式・楊式・武式・陳式太極拳に形意拳、八卦掌等を融合させてつくった太極拳だから、人のつくった太極拳に自分が勝手に名前をつけるわけにはいかないということだったらしい。

要するに元々の太極拳の創始者に敬意を表してという意味だ。
とても立派なことだと思う。

しかし名称がないのはやはり困る。
タイトルには双辺太極拳(そうへんたいきょくけん)と書いたが、他にも九十九式太極拳、正宗太極拳、南京中央国術館式太極拳、或いは単に太極拳などと呼ばれている。

私が最初に習ったところでは、九十九式太極拳とか、単に小架と呼んでいた。

当会でもいずれやる予定だが、どの名称にしようか悩んでいる。
ただ、南京中央国術館式太極拳は長すぎるし、九十九式太極拳というと、他の24式や48式、88式などと同様に捉われそうなので、それは避けたい。
なぜならこの太極拳は数字で呼ばれることの多い太極拳のどれにも属さないからだ。
だから、今のところ双辺太極拳と呼ぼうと思っている。

この太極拳の特徴は、とにかく、脱力して行うところだ。
肩や肘だけでなく、手首も力を抜く。
従って、手はだらりと垂れるようなスタイルになる。

手が下に降りる時は、ぶら~んと垂れさがるような感じだ。
とにかく放鬆(ほうしょう)の域を超えた放鬆だ。
まさに丹田だけで動くという感じ。

因みに歩形は形意拳や八卦掌の三体式の形になる。
体重移動はほとんどない。
突っ立って演武しているように見えるが、実はそうではないんだが。

見た目は決して美しいというものではなく、限りなく無駄な力を抜き去り、溶け始めたソフトクリームのように、とろとろ溶けながら動くという感じだ。

私はこの双辺太極拳を今までに散々やってきたから、どうしてもこの癖が出ることがある。
別の流派の武術を習う時にその癖をうっかり出してしまうと、すぐに指摘される。
他の流派では決して溶けるような動きはないからだ。
(あえて言えば酔拳があるが・・)

しかし、これだけ個性的な太極拳もなかなかないのではなかろうか?

サークルでは楊式太極拳でまず足腰を鍛えながら肩や肘の力の抜き方を覚え、
その後この双辺太極拳で究極の放鬆を体験してもらおうと思っている。

トロけるような感覚と掌に感じる気は更に強く、
ゆらゆら動きながら恍惚感(或いはトランス感)を味わえる太極拳だと思う。

2013年8月12日月曜日

内家拳と外家拳

最近、一番避けていた外家拳をすすんでやるようにと考えるようになった。

それは、あらゆる先生方の話に耳を傾けた結果なのだが、ここで私の中でも陰陽説が出てくる。
光があるところには必ず影があるが
いわゆる外を知らずして内を知ることはできないのではないかと。

外家拳を避けていた理由は、白筋といわれる速筋を鍛えたくなかったからだ。
一般的に速筋を鍛えると気の通り道である経絡が押しつぶされ勁力が出にくくなると考えられるから。

だが、楊式太極拳の開祖である楊露禅にしても、元はと言えば少林拳の名手といわれている。
剛を知っていたからこそ、柔へ進み、そしてそれを発展させることができたのではないかと。

元々、陳式太極拳も外家拳の部類だったという説が強いようだし、
ということは一般的に“太極拳”と言われるあの柔らかい動きは楊露禅から始まったといえそうだ。

当会ではその楊露禅の家系から伝わる傅声遠老師の楊式太極拳を伝統のままに改良を加えることなく行っているが、他の教室や会を見る限りでも、最も普及している流派であるように思う。

いずれも、目を瞑りながら手探りで勁力を探そうとするより、
そのルーツに立ち戻った方が早く知ることが出来、会得することができるのではないかと思うようになった。(あくまでも私の中でだが)

だから、今後は外家拳も積極的に行っていくことにした。
まあ、あくまでも経験としてやってみるということだが。

今習っているのが通背拳をメインに、あとは八極拳と五歩拳。
あとは、詠春拳もやってみたいと思っている。

その中から楊式太極拳を見つめれば、今まで見えなかったものが見えてくるのではないかと。

早い話が、私はもっと柔らかく、空気の中に溶け込んでいくような太極拳がやりたいのだ。

2013年8月8日木曜日

Shall We ダンス?  Shall We タイチ?

しばらく自粛するといいましたが、
やっぱり書きたいことが山のようにあるので再開します。(笑)

実はどうしても書きたくなってしまった題材がありまして。

それはShall We Dance?という映画。

実はリメイクの方を先に観て、その後、オリジナルを観ました。
リメイクの方はシカゴが舞台なのでとてもゴージャスな気分を味わえるし、
オリジナルの方は日本が舞台で、とても親しみを感じるし、とにかくラストが良かった。
今思い出しても鳥肌が。

(この先少々ネタバレ有:笑)

この映画の好きなところは、下心で始めた主人公がどんどんダンスそのものにハマっていくというストーリーはもちろん、
職場や駅のホーム、自宅近くの公園等でついつい夢中になってダンスの練習を始めてしまうというシーンです。
このシーンを見るとおもわずにんまりしてしまうし、私が太極拳を始めたばかりの頃を思い出してしまう。(今でもだが)

ホントところ構わずやってました。
近くの公園はあたりまえ。
コンビニ、スーパー、パーキングエリア、ファミレス・・
もはや体が勝手に動きだし制御不能という感じで。(笑)

仕事中、デスクに向かいながら手だけ動かしたり、
或いはトイレの中でも。

汚い話で申し訳ないが、
便秘気味の時でも便器に座りながら雲手(うんしゅ)をするとお腹が動きだし、その後スムーズなお通じが。(笑)

最近発見したのは、パソコン操作をしている最中に、ちょっと手を休め、手だけでも気を練れば、その後とたんにキータッチが軽くなる。

キーを強く叩くと肩こりの原因になるが、無駄な力が抜けるので、指先で触れるようにキーを打てるようになる。
マウスも同様。
手の中で転がすように軽やかに操れるように。

太極拳は自分の身を守るために編み出された武術だが、
まさか便秘やキー操作にまで役立つとは創始者も想像しなかったのでは?(笑)

2013年8月6日火曜日

都合により・・

しばらくブログの投稿を自粛します。

日々努力していますが、
練習や研究の中での気づいたことや発見したことなどは自分の手元のメモに記録していきたいと思います。

気づきは私にとってかけがえのない宝物です。

いつも読んで下さりありがとうございます。
また、再開する時は宜しくお願いします。

soyokaze

2013年8月2日金曜日

師弟関係

話は前回の続きになるが、
そんなこんなで、私は自宅近くの公園で来る日も来る日も五行拳の3本を繰り返し練習した。
真夏だろうが真冬だろうが関係ない。
お蔭で靴も2足ほどダメにしてしまった。

とにかく、まずはその3本をものにしたかったし、なにより先生に認めてもらいたかった。
日頃練習をしているかどうかをきちんと見てくださる先生だったからだ。
ある日、動画を撮って先生に見せたら、とても褒めてくださり、「これならネットに配信してもいいよ」とまで言ってくださった。
とても嬉しかった。

そんなある日、いつものように公園で3本の練習をしていたら、ある人が私に声をかけてくださった。
「それは形意拳ですか?」と。
これが私と陳式太極拳の先生との出会いだ。

このことは「陳式太極拳との出会い」で書いた通りだが、
この後、私にとって幸運と不幸が同時に起こる。

幸運は、今話した通り、ずっと憧れていた陳式太極拳を教えてくださる師と出会えたこと。
それに地元奈良に越してきて間もない私には地元に武術仲間が一人もいなかった。
だから私にとって地元で師に出会えたことはとても大きかった。

それにもうひとつ。
ずっと太極拳の大会に出ることに憧れていたが、勢いで申し込んだはいいが、
見たことも出たこともない大会・・ まったく要領がわからない。

どんな会場で行われるんだろう?
どんな風に審査されるんだろう?
何が良くて何が良くないのか・・
右も左もさっぱり解らず、とにかく不安で不安でいてもたってもいられなかった。

しかし、その陳式太極拳の先生は大会の審判でもあられた。
しかも、まだ入会もしていない私の演武を見てくださるという。
私はこの時、この先生に深い深い恩を感じた。

お蔭で県大会も無事終え、陳式太極拳の先生に正式に入会を申し込むことになるのだが、
このことが、これまで就いてきた伝統の先生に知られることになり、今までの関係が一気に崩れることになる。

同じ会の中でも私と先生の仲の良さは有名だったし、先生はサプライズで私の誕生日まで祝ってくださる人だった。
正直言えば練習内容や会の方針について自分の中で煮え切らない点はあったが、それでもここまでしてくださる先生の期待に応えたいと本気で思った。

だが、私が陳式太極拳の教室に通い始めてからというもの、関係は気まずくなるばかり。
今までは認め合う仲だったのが、いつの間にか非難し合う仲になっていた。

私は伝統の先生に頼み込むように申し伝えた。
陳式の先生には恩があるから、どうか今教えてもらっている型を覚えるまでは出稽古を認めてくださいと。
しかしその返事はなかった。

先生は私を正式な弟子にと考えてくださっていたようだが、いつしか私のことは友達という位置づけに。
しかし、先生の立場で考えれば確かにそうかもしれない。
自分の信じていた生徒がよその教室に通い始めたとなればおもしろくないのは当然だ。

私は無念ながらも伝統の教室を休会することにした。

その後、私は地元で新しい仲間との出会いを求めるようになっていた。
陳式太極拳の先生との繋がりで、いい関係を築き上げていきたいと。

しかし現実はそう甘くはなかった。

陳式の先生は仰られた。
よそから来たものが地元で友好関係を築き上げて行くには、それなりに時間がかかると。
確かに逆の立場で考えればそうかもしれない。
私にしても、よそから来たものに出しゃばられたらいい思いをしないだろうし、退けようとするだろう。

いずれも、楽しい仲間を求めて今まで一人で頑張ってきたが、また一からやり直しということだ。

仕事の関係で引っ越しが続いたから、常に常に一からやり直し。
10年の太極拳歴の中で師について習ったのは5年ほど。
その間はずっと自宅前の道路や近くの公園で練習を積んできた。

とにかく仲間が欲しい・・

そういう強い想いから、この春からサークルを立ち上げることに。
まだ初めてわずか4か月足らずだが、最高に楽しい仲間が私の周りに集まってきた。
太極拳の「た」の字も知らない人達が、一人、また一人と集まってきて、そしてどんどん練習に意欲を燃やしていく。
それは、かつての自分を見ているようで、とても幸せを感じる瞬間だ。

新しい出会いがあると、必ず別れがある。

これは避けては通れないことだし、結局自分が本当にしたいことを信じ貫くしかないのだと・・
そう思った。

2013年8月1日木曜日

形意拳=五行拳

今は都合により休会しているが、それまで通っていた大阪の道場では日本で初めて台湾から伝わったといわれる気功と太極拳、それに形意拳と八卦掌を教えている。

この道場では、気功から始めることが鉄則で、逆に気功をしないものには技を教えないという伝統のスタイルを徹底的に貫いている。
気功歴10年の私もそれはとても頷けるものである。

最初の40~50分は気功を行い、
その後に台湾から伝わった太極拳を個別練習する。

1~2年を経て太極拳を終えた者は形意拳へと進むのだが、この道場ではすぐには型(套路)を教えてくれない。
まずは五行拳のうちの3本だけを1年以上かけて練習する。

三体式をたっぷり時間をかけて行い、それから跟歩(こんぽ)なしで劈拳(へきけん)を行う。
まずは正確に技を覚えるのだ。
この時点では劈拳のみで転身はまだ教えてもらえない。

ひたすら、劈拳を太極拳の足運びのように跟歩なしの進歩(しんぽ)で行う。
正直飽きる。
だが、これをクリアしなければ決して先には進めてもらえない。

何を目指しているかと言うと、ここでは本物の強さを身に付けることを教えようとしているのだ。
形だけの形意拳ではなく、内家拳最強と言われる形意拳の本物の強さだ。

だから、師匠は弟子に言う。
「決して技を使うな」と。
何故なら、その気なくとも相手を殺してしまうことになるからだ。

毎日、辛い三体式を泣くような思いで続け、
そして来る日も来る日も同じ劈拳(へきけん)、鑚拳(さんけん)、崩拳(ほうけん)だけをやらされる。

生徒の中には不満の声を漏らすものもいるが、その間に辞めていく者もいれば、
辛抱して続ける熱心な生徒もいる。
私はその脱落者の一人だ。
まあ、その理由はお恥ずかしながら道場に通うための交通費と受講費によって生活を圧迫し始めたからだが。。

いずれも丸々1年間、劈拳、鑚拳、崩拳の3本だけしかやらせてもらえなかった。
しかし、ようやくその意味が解ってきた気がする。
やはり先生は、生徒に本当に強くなって欲しいと思っていたのだと。

決して使うことのない技を何年もかけて練習する。
もし使うことがあるとすれば、それは刃物や拳銃等の凶器を向けられた時だろう。
その時こそ何年もの間辛抱して積み上げてきた技を炸裂させる瞬間になると思う。

実際、先生に拳を向けられた時は、恐ろしいほどの恐怖感を感じた。
単なるパンチではないのだ。
何年も何十年も空を突いてきた磨きの掛かった拳だ。
目の前に来るだけで、身動きがとれなくなってしまう。
丹念に丹念に磨き上げられた切れ味抜群の日本刀を目の前まで切りつけられたような感じだ。

形意拳の型もカッコイイと思うし、正直憧れたけど、
形意拳の本来の意味から考えたら、五行拳だけで十分だと思うし、
いや、その五行拳の中の3本だけでも完全に使えるようになれば向かうところ敵なしだと思う。

多分、これは実際に形意拳熟練者の拳や掌の寸止めを経験しないと解らないと思う。
現に師匠も普段は型を行わず3本だけしか練習しないと言っていた。

だから、私の中では形意拳=五行拳なのだ。

***

人それぞれ様々な捉え方や考え方があると思うが、
あくまでも私が経験した形意拳で感じたことです。