2016年5月25日水曜日

含胸抜背とは?

太極拳術十要の中で最も説が別れるのが含胸抜背(がんきょうばっぱい)。

漢字をそのまま読み取ると、胸を含ませ背中を抜くとなる。
背中を抜くというのはほとんど同じ解釈なのだが、
こと「含胸」に関しては解釈が分かれる。

楊澄甫の説明は以下の通り。

「含胸」とは、胸をやや引き加減にして、気を丹田に沈めることである。
胸は張ってはならない。
胸を張れば気が胸に集まって、上半身が重く、下半身が軽くなり、足を蹴り出せば浮き上がりやすい。

とある。

解釈が分かれるのはこの「胸を張ってはならない」の部分だ。
胸を張ってはならないのなら丸めなくてはならないのか?ということになる。

そのように解釈する方も多く、書籍やネットでそのような説明を何度か読んだことがある。
しかし大事なのはその前文。
「胸をやや引き加減にして、気を丹田に沈めることである」の部分だ。

胸を張ってはならないが、引き気味にするとある。
そして、更に大事なことは気を丹田に沈めるということ。

気沈丹田という言葉があるが、私は何故、この太極拳術十要の中にこの言葉が含まれないのか不思議に思ったことがある。

いわゆる含胸抜背とは気沈丹田であり、
気沈丹田は含胸抜背なのではないかというのが私の考え。
気を丹田に沈める過程で胸と背中は十分にリラックスさせなければ決してそうはならない。

試しに今日、弟子に頼んで私の胸を思いっきり掌で打ってもらった。
歩型は肩幅に立ち、腰を少し落とし気功の基本姿勢をつくる。

まずは肩を内側に入れてみる。
何度か打ってもらったが相手の勁が中に入ってくるのを感じ、何度か体制を崩した。

次に肩を内側に入れず、少し引き気味にしてみる。
すると、今度は勁が相手に跳ね返り相手が崩れた。
無論この状態は十分体をゆるめ気を丹田に沈めている。

実際に無敵と思われる達人で肩や背中を丸めている人を見たことがない。
私が今までお手合せさせて頂いた先生や先輩方の中でも肩や胸を丸めている人はいなかった。

結論として、
文字をそのまま解釈するのは危険だと思う。
それによってかえって健康を害したり、
或いは組手等の場面で思わぬ怪我することすらあるだろう。

論より証拠。
頭で考えるより感じることが大事だと思う。

<追記>
その後、気づいたことだが、それまで少林拳を主とした外家拳が主流だった頃、太極拳のような姿勢ではなくどちらかといえば思いっきり胸を張るような姿勢だった。
それに対し、楊澄甫がそうならぬよう胸も背中もゆるめなさいという意味で含胸抜背と唱えたのではないかと。
実際、楊式太極拳の創始者といわれる楊露禅も少林拳の名人だったと言われるし、当時、外家拳系の拳法から太極拳に身を移す者が多かったと考えると尚の事そう思える。(あくまでも私の推測です)