先々月の師匠稽古に参加させて頂いた時、
師匠が「自分が光になる感覚」と仰った。
やはりそうかと。
私は最近、立禅気功を行う時、特に光になるイメージに集中している。
そして、実際私の中で起こることは光よりもプラズマのようなものが発生いる感覚に近い。
これが何なのか今の私にはまだ解らないが、
とてもエネルギーに満ちた状態になる。
そんな風に意識しなくとも、自分が光になれたのは未だに一回だけである。
あれは、私の進むべき道を示してくれたお導きだと思っている。
とても貴重な体験だった。
以前もブログに書いたが、その時の状態は全く恐れも闘争心もない世界。
相手の動きがすべて手の取るようにわかり、
相手の攻撃をいなそうとするのではなく、いなしている自分がいるという感覚。
そして打とうとするのではなく打つべきタイミングで打っている自分がいる感覚。
いわゆる無の状態。
これが体内に光が宿った時の神秘的なパワー。
因みに光は物質ではない。
エネルギーだ。
それに光はまっすぐ進む。
強力な光を体に当てれば、その光(光子)は体内を貫通するだろう。
手の平に懐中電灯をかざすと手の甲に光が漏れてくるのと同じように。
そして、光に似たもの。
それは電磁波だったり放射線だったり。
X線にしろ、体内を貫通するから体内の写真を撮ることができる。
このように考えると体内で起こるプラズマのようなものは気の感じ方の一つではないかと。
その状態で筋力を最大限ミニマム状態にして、
ゆっくりゆっくり手を前に差し出すと、
掌から磁力の束のようなものが発射されているように感じる。
あいにくこの状態に持って行くためには、立禅を何十分と行った後だ。
これを数秒でチャージする力を身につけられればと思う。
いずれも非常に集中力が必要。
立禅で無の状態にならなければ得られない。
だから立禅を行う時は仕事のことも生活のことも心配事も一切考えてはいけない。
逆に言えばそれらから解放される時間でもある。
それにしても、私が一時でも得た、あの光の無限のパワー。
あの感覚は忘れようにも忘れられないし、
いずれ自在にそのパワーを使えるようになりたい。
どうも最近話がマニアックになってしまうが、
この世界に入るともう引き返すことが出来ないぐらいハマります・・