2017年8月19日土曜日

バランスよく

推手がなかなか上達しないからといって、
推手ばかり練習すればいいというものではない。

ここでも陰陽説が出て来るのだが、
光があるから影ができる。
影の暗さがあるからこそ光の明るさを感じる。

推手も同じ。

推手だけ練習していても、推手に必要なことはなかなかわからない。
呆然と二人で手をぐるぐる回しているだけでは決して推手は上達しない。
粘連随綿の意味を理解しようとすること。

「粘」は相手の手から離れないよう粘りつき
「連」は途切れないように動くこと
「随」は相手の動きに合わせ
「綿」は綿のようにやわらかく相手に触れていること。

このどれかが欠けていても推手は上達しない。

まずは相手の中心を取ってみること。
失敗したら、それは自分の動きに何か間違いがあったということ。

因みに推手の攻撃は攻撃から始まるのではない。
推手の攻撃は無意識に行われ手を合わせた瞬間から始まっている。
具体的なことは奥義に属するのでここでは割愛する。

難しい話は抜きにして、
推手上達に必要なことは立禅や套路にそのエッセンスが全て含まれている。

立禅では何が何でも正しい姿勢で行う。
もし間違った姿勢で行っていたら全く意味がなくなる。
私が指導する通りに実践していただきたい。

套路に関しても正しい歩型や姿勢が安定した軸感覚を生み出し、
また、力みなく動けるようになれば見た目も非常に柔らかい演武になる。
これら全て推手に必要なこと。

では、気功と套路をやっていれば推手は上達するのか?
無論それでも上達するがもっと質をあげるために散手をしたほうがよい。
要はバランスよく練習することが大事ということ。

散手で学ぶことは基本、技の使い方と思われがちだが、
それだけではない。
もちろん技を覚えることも大事だが、その技でどれだけパワーを引き出せるかは
推手でいかに化勁が鍛錬できているかによる。

力任せの推手をやっていては、
散手も套路も気功も、プラスどころかマイナス効果になってしまう。

私は指導する際、重要なことは何度も繰り返し言うようにしている。
自然とそうなる。

しかし人間と言うのは繰り返し言われると、それが当たり前になり、
いずれ耳の中を素通りするようになってしまうから厄介だ。

一期一会ではないが、
一期一語と思って欲しい。

今一度、私がいつも繰り返し指導していることにしっかり耳を傾け
理解しようと努力して欲しい。

当たり前のことだが、私は上達することしか言わない。
そして、上達する人は、それを聞き逃さない。

少なくとも私はいつもアンテナを立て感度はいつもMAXにしている。
学びたい素直な気持ちがあれば、人はそれを与えてくれるものだ。

伸び悩んでいる人は、自分に依存していないだろうか?

何度も言ってきたことだが、
素直こそ最強である。