「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があるが
立禅ではとても必要なこと。
妄想や雑念、邪念を取り除き無になること。
今日、弟子に私の腕に鞭手を何発が打たせた。
弟子は普段から立禅を重点的に行っているだけのことはあり
勁力がまた上がっていた。
重い鞭手がバシバシと、
その衝撃を自分の腕で感じることが出来た。
しかし、私の腕は
痣も出来なければ、打撲も、内出血も、筋肉痛にもなってない。
長年気功を行っていると、気功の体がつくられてくる。
打たれても痛みを感じなくなり、怪我もしなくなる。
まるで目に見えない鎧を身につけているようだ。
そして、攻撃を受ける時は無になること。
「打たれたら痛いのではないだろうか?」
などと微塵にも考えたらそれなりの痛みを感じただろう。
「痛くない痛くない・・」とも考えない。
痛くないと言い聞かせていること自体痛みを恐れていることになる。
これ妄想なり。
何も考えない。
恐れない。
心頭滅却する。
すると火が涼しく感じるよう、攻撃もまた快感へと変わる。