双辺太極拳は99式からならなる太極拳。
歩型は最初から最後まで形意拳や八卦掌の歩型である中定歩(前4後6の比率)なので
架式は高く、その分どうしても地味に見えてしまう。
しかし、この太極拳には形意拳の凄まじい破壊力と、八卦掌の禽拿法や俊敏性、それに太極拳の化勁をうまく融合させ、とことん戦闘能力を追求したまさに闘うために生まれた太極拳。
見た目そう見えないのが面白い。
双辺太極拳は台湾ではかなり盛んで、短くまとめた競技用套路もあり、それで競技も行われいている。
競技用套路は確かに美しい。
荒々しい双辺太極拳を美化するとここまで美しくなるのかというほど。
しかしその動きを見ると戦うための要素がほとんど消されてしまっている。
それはまるで戦車から砲台や機銃を全て取り外し、高級車のごとく美しい光沢塗装に塗り替えたようなイメージだろうか。
美しいが実に弱弱しい。
双辺太極拳は踊るためにつくられた太極拳ではない。
大切な家族を武装した敵から守るためにつくられた内家拳を総動員した太極拳。
太極拳から套路だけを抜粋しそれを美化し舞踊にするのは、それはそれでアリなんだろうが、
少しばかりでも技を知っている私から見るとなんともったいないことをしているのかと思ってしまう。
それにその技を使えるようにするため、たっぷり站椿功を行い、じっくり套路を練り、推手、散手で実践的に使えるように鍛錬して行く。
技に磨きをかけるための鍛錬こそが武術で最も大事な部分であり、だからこそ優れた技は舞踊を遥かに凌ぐほど美しい。(と私は感じている)
しかし美しく見せようとする練習法の実際はストレッチと筋トレ主体。
これは内家拳の鍛錬法ではなく、踊りのためのいわば準備運動。
今後太極拳は武術として発展していくのだろうか?
それとも舞踊として広まり親しまれていくのだろうか?
創始者の気持ちを考えると、複雑な気持ちになるし、
少なくとも私は武術として伝えていきたいと思っている。
なぜなら強くなることは美しくなることだから。