ある団体では次のような稽古法を実践しているようです。
それは、
会員が2組に分かれそれぞれが演舞し評価し合うというもの。
他の団体がどのようなやり方で稽古を行うかは自由ですが、
私はこのやり方を好みません。
理由はひとつ。
このやり方では伸びないばかりか人の粗探しをすることによって心が乱れるからです。
かといって、傷の舐め合いもよくありません。
私は太極拳を始めて約半年で楊式太極拳の全套路を覚えました。
入門したばかりの私は瞬く間に先輩方から認められるようになりました。
人に認められたくて努力したのではありません。
ただただ太極拳が楽しかったのです。
私は練習を練習として行うことはあまりありませんでした。
生活そのものが練習になっていたからです。
そして、私が誰よりも早く套路を覚えたのには理由があります。
私なりの最速上達法です。
それは「他人を見ないこと」です。
先生しか見ませんでした。
理由は簡単、
先生が一番優れているからです。
人は誰しも人より優位に立ちたいと思います。
そこでまずやってしまうのが自分より実力が劣る人を見て安心するというものです。
これをやり出すといくら時間をかけても上達しません。
常に自分より劣る人を探しているのですから。
この行いの中に自分が努力するキッカケがあるでしょうか?
上達したかったらまずこのことを絶対に守ること。
「他人の粗探しをしない」
「自分より実力が上の人だけを見る」
これが私の中での揺るぎない最速上達法です。
言い換えれば、
「人を見下さない」
「常に上を見て歩く」
最速上達法は人間としての成長も促します。
実際、2組に分かれて評価し合うというやり方でやっている団体にいた生徒が以前当会にいましたが、
この者の心は常に他人との比較。
人を思いやるどころか仲間のことを自分が優位に立つための踏み台にしていたのです。
人を下に見て優越感に浸る。
一体何の得があるのでしょう?
これを知った時は居たたまれない気持ちになりました。
その者は自分が人より長けていると思う分野(演舞力)だけを伸ばそうとし、
他の苦手なことはことは鼻っから否定。
結局この者は本流の太極拳を身につけることは出来ませんでした。
太極拳は套路が上手に演舞できたら人より上手いということではありません。
演舞力=功夫ではないからです。
太極拳を舞踊として楽しむのも自由。
しかし当会では心と体を強くすることを目的としており、
これこそが武術であると思っています。
仲間を踏み台にするのではなく、
仲間を心から思いやれる広い心の持つ人間になって欲しいと思います。