2024年11月12日火曜日

自分を弱くする落とし穴

自信が亡くなった時、自分より弱い人を探すことがあります。

これは自分の弱さを誤魔化すために
相手より優位に立ちたいという心の表れです。

残念ながらこれをやっているうちは成長することができません。
当然です。
自分より弱い人を見て満足しているのですから、伸びようがありません。

強くなりたかったらどうすればいいか?

以前推手交流会でも伝えましたが、
強くなりたかったら強い人と出来る限り時間を共にすることです。

人だけではありません。
モノや情報、食べ物、全てです。
すべてをパワーのあるもので身を固めます。

テレビでネガティブなニュースを見て安心する人がいます。
対岸の家事の如く、自分事ではなく、
「自分でなくて良かった」と安心するのです。
本当にそれでいいのでしょうか?

弱い人を見て「可哀そう」と思ったり哀れんだりすることもあるでしょう。
しかしずっとそこに居てはいけません。
時間を共にした分だけマイナスパワーを受取ってしまいます。

気が付けばネガティブなものばかりを選んでしまう。
そして心がどんどん萎んでいきます。

なぜそうなったかは、必ずキッカケがあるのです。

自分の立場を確立するために、弱い者を選ばないように。

最近の言葉で言えば「マウントをとる」です。
実際に相手に対し言葉を掛けなくとも、
そう思っていること自体がマウントをとっているのです。

あなたが相手している人は本当に相手のためでしょうか?
もしかしたら自分のためかもしれませんね。
これって意外と気づかないものです。

強くなりたかったら強い物だけを観て、強くなるだけのことをする。

あなたが知っている著名人の中で、
誰でも良いので強い人を思い浮かべてみてください。
そういう人たちが弱い人を見て安心しているでしょうか?
いいえ、常に自分より強い相手を見ているはずです。

太極拳をはじめたのは、単に套路を覚えるためではなかったはずです。
最初の動機を見失ってはいけません。
「初心忘るべからず」です。

健康になりたい。
強くなりたい。
若さを維持したい。

そう思って始めたのではないでしょうか?

自分の周りを弱者で固めてお山の大将になってはいけません。
口に出さなくとも心の中でマウントをとることは
本当に意味で器の小さい人がすることです。

強く美しくなるためにも自分の周りをパワーのあるもので固める。

これは強くなるための鉄則です。

そうなれば弱い人を自分の比較対象としてではなく、
今度は実際に助けてあげることのできる人間になれます。

素晴らしいことだと思いませんか?



感情を味方につけよ

内家拳で大事なことは、相手を受け入れることです。

決して相手に抵抗しようとしてはいけません。

自分より大きな力を持つものに対しては、力では歯が立たないことを理解しましょう。
「大は小を兼ねる」です。

もうひとつ、内家拳で大事なこと。

それは自分自身を受け入れることです。
決して自分の心(感情)に逆らってはいけません。
稽古を続けていけば、確かに技術は身に付きます。
しかし、技術だけでは十分な力を出すことはできません。

人間には喜怒哀楽がありますが、
楽しいこと以外の感情が邪魔なものだと思っていませんか?
長年修行を積んだ武術家は、感情の使い方を知っています。

因みに喜怒哀楽とは、
人間に起きる自然な感情「喜び、怒り、悲しみ、楽しみ」のことになります。

実際、感情は4つだけではありませんが、
ひとまず喜怒哀楽の4つに絞るなら、ほとんどの人はこう感じるでしょう。

喜>心地よさ
怒>心の乱れ
哀>我慢
楽>すべてを忘れることができる

上記のような意識では、ただ今を生きているだけで、未来に繋がっていません。

私にとっての喜怒哀楽を端的に言えば以下のようになります。

喜>油断するな
怒>頑張り時
哀>頑張り時
楽>油断するな

嬉しい時や楽しい時はもちろんいい気分です。
しかし、同時に「油断するな」「慢心するな」という警告灯が点灯します。
ここで気持ちをゆるめてしまうと、あっという間に身に付けた力を失い、
転落してしまうからです。(何度も経験しました)

だから、こういう時は「油断するな」「次に繋ごう」と考えるようにしています。

また、怒りや悲しみに関しては、その感情に溺れてしまってはいけません。

人間に喜怒哀楽が与えられたのは、進化するためだと私は思っています。
怒りや悲しみを感じるのは奮起する時であり、
私が最も頑張れる時は、常にこの二つの感情が沸いている時です。

怒りを感じるから周りに当たり散らかす。
悲しいから何もしなくなる、我慢する。

これでは何も変わりません。

そもそも怒りを感じているのは、
自分や相手との格差やギャップを感じているからではないでしょうか?
怒りを感じるのは、この格差を埋める時であり、
そのために怒りという感情が沸いていることがわかります。

哀しみは人や物を失った時に起こる感情です。
生きていく上で失うことを避けることは絶対にできません。
受け入れるしかないのです。

そして、これらには必ずメッセージがあります。
難解な場合もありますが、意識していればその答えにたどり着くことができます。
(私はいつもそうしています)

失うということは、創造するために必ず必要な感情であることに気づきます。
太平洋戦争の後、日本が急速に復興し経済発展したのは、
「失ったから」だと理解できます。

失うことは避けられないことです。
だから受け入れるしかなく、受け入れるべきタイミングだと認識し行動に移します。

こんな風に、実力者は自分の感情を自分へのメッセージだと認識し、
それを活かしています。

沸き起こる感情を抑え込んではいけません。

とはいえ、感情的になるのは違います。
感情的になるのは、その感情がなぜ沸き起こるのかを理解しようとしていないからです。

とにかく感情を受け入れることが
自分を成長させてくれる鍵となることは間違いありません。

平穏でいることは確かに心地よいことですが、
自分の成長を望むのであれば、
多少の荒波に立ち向かう心が必要だということが解ります。

いわば、感情は自分を成長させるための強力な味方なのです。





2024年10月13日日曜日

太極拳に適した人とは?

太極拳に有利な体型はあるだろうか?

私が太極拳を選んだのは、
極度に体力が衰えていて、
こんな自分でも出来ることを探した結果が太極拳だったからです。

私の選択は大当たりでした。

太極拳を始めてから自分に自信が持てるようになったし、
体力も一気に復活した。

当時、体力をつけるために始めたが、
とにかく太極拳の世界に強く惹かれた。
寝ても覚めても太極拳のことばかり。

仕事中だろうが、
トイレ中だろうが、
お風呂の中だろうが、
手が自然と太極拳の動きになってしまう。

ある時はスーパーで、
コンビニで、
駅のホームで、
サービスエリアで、
公園で、
階段の踊り場で、

もうホントにどこでも太極拳をやりたくなる。

完全にドハマりしました。

練習しようなんて思ったことない。
そう思う前に体が勝手に動いてた。
起きている間はずっと練習だったわけです。

本当に好きになるってそういうことじゃないでしょうか?

「好きこそものの上手なれ」
という諺があるように、
上達したかったら好きになってしまえばいいってことです。

なかなか上達しないのは
心を開放してないから。

自分は、
覚えが悪い
頭が悪い
体が硬い
体力がない
体が小さすぎる
体が大きすぎる
歳だから

全く関係ないです!!

もうごちゃごちゃ考えるのはやめましょう。

考えたところで何のメリットもないし、
逆にデメリットしかありません。

そもそも太極拳は女性やお年寄りでも、
敵から身を守るために編み出された武術なのです。
だから体型とか歳とか関係ありません。

内乱が多かった時代、
うかうかしていると武器を持った敵が殺しにくるのに、
「歳だから」とか、
「体が小さいから」とか、
言っている場合でしょうか?

自分を守るため、
家族を守るため
とにかく闘わなければならないのです。

合気道の創始者である植芝先生は身長156㎝
またその弟子である名人塩田先生は更に小さく154㎝
それでも大男をかるく投げ飛ばします。

大きい人が強いのは当たり前。
小さい人が強いからカッコいいのです。

私のことを「手足が長いから見栄えが良く見えていいな」
と言われたことありますが、
本人はぜんぜんそんなこと思っていません。
逆に邪魔なぐらいです。
初速はは手足が短い方が圧倒的に速いです。

今日限り出来ない理由を考えるのはやめましょう。
なんのメリットもありません。
ただ時間を浪費するだけです。

毎日出来ることの積み重ね。

この辺のことは今まで散々語ってきましたが、
結局、変わる人は変わるし、
変わらない人は変わらない。

変わらない人は変われないのではなく
変えようという気がないのです。
そして、さらに変われない理由が、
自分では変わろうと思ってると信じ込んでいることです。

厳密には変わりたい自分が
変わりたくない自分によって引き止めてしまっているのです。

私はこれからも変わります。
つい最近の自分の行いでも
顔が真っ赤になるぐらい恥ずかしいと思うぐらいなのに、
そんな自分に依存する理由なんて1ミリもありません。

自分がこの世に生まれてきたのは進化するためだと思っています。
進化すれば見える世界も変わる。

アマプラやネフリなどで見るSFは所詮つくりもの。
しかし進化した自分がみる未来はホンモノです。

そんな体験が出来るなら、もうやるしかないと考えてしまいますね。

結局、太極拳に最も適した人とは
歳とか体力とか体型とかの差ではありません。

「太極拳が好きな人」です。

これが最強なのです。



2024年9月18日水曜日

ワクチン接種おすすめしません

私の周りにはコロナワクチン接種者、身接種者どちらもおられますが、
結局皆さん軽症ながらコロナにかかっています。
しかも何度も。

重症化を防ぐことが出来ているかどうかと言えば、
私の知る限り何も変わりません。

それどころか強い副反応が出て、何か月も動けなくなった方もいます。
皮膚の状態を見せてもらいましたが、自分の目を疑うほど酷いものでした。

そもそもワクチン製造には10年掛かると言われていなかったでしょうか?

それなのに、「はい。できました」と言われて喜んで打つ。

本当にこれでいいのでしょうか?

ドラマや映画の伏線回収する力があるのなら
世の中の動きの伏線回収もしましょう。
世の中、辻褄が合わないことだらけだということに気づきましょう。

特に日本人は物事を広い視野で見るべきです。

目先の情報に振り回されるのはもうやめましょう。

それでもマスコミを100%信じてしまいます。

理由は簡単、影響力が強いからです。

人をコントロールする最も手っ取り早い方法はなんでしょう?

そうです。恐怖を煽るというものです。

近隣の国の状況を知れば頷けるでしょう。

国に逆らったら即粛清。
自由など一切ありません。
生まれた時からアリのように国の為に一生働かされるのです。

人は恐怖から逃れたい生き物です。
一度恐怖心を持つと不思議なもので更に恐怖を求めてしまいます。
恐怖から逃れたいはずなのに恐怖を求めるなんておかしな話です。

しかし、それが人間の弱さなのです。

それですっかりコントロールされてしまう。

では、恐怖から逃れる方法は?

楽しいことに目を向けることです。

生まれた時は夢と希望に満ちていたはずです。
いつの間にか夢も希望も失い惰性の日々を送ってしまうのは
情報によってコントロールされてしまうからです。

ワクチン打つより毎日お笑い番組見ているほうが
よほど免疫力が上がって健康になれるかもしれませんね。

レプリコンワクチン
日本で10月1日から接種開始?

アメリカで開発されたのに自国では認可されず、
ベトナムでも認可されず、
世界で日本だけが認め、何の疑いも持たずに来月から始めようとしている。

一体、何の罰ゲームなのでしょう?
ロシアンルーレットで最後の一発の引き金を引こうとするようなものです。

調べるとこのワクチンを打つと更に重症化することが懸念されています。
それも当然、未知のワクチンですから。

無料の案内が届くと、
「これで助かる」と安心し、つい打ってしまう。

そうやって従来のコロナワクチンでも重症化したり、死者が出たりしているが
そのことはほとんど報道されない。

この機会にもっともっと世の中を知るべきではないでしょうか?

私はコロナワクチンもレプリコンワクチンも打ちません。

無料どころか、
例えお金を積まれても打ちません。

ワクチンなどなくとも人間には強い免疫力があります。

無料に飛びつくのはもうやめましょう。
無料なわけがないのです。
しっかり我々が働いて収めた税金から払わているだけです。

それでも世界初のモルモットになる方がいいでしょうか?

もし未知のワクチンを打って重傷化したら国は最後まで責任をとってくれるでしょうか?

もし死んでしまったら生き返らせてくれるのでしょうか?

今後またワクチンによって死者が出たという情報を聞きたくないです。
もううんざりなのです。


ここでもう一度考えてみましょう。

なぜ太極拳をはじめたのか?

ワクチンに頼るためだったのでしょうか?

そうではなかったはずです。

健康になりたかったからではないでしょうか?

そんな気持ちで太極拳をはじめたのだから、
自分を信じ、
いかなる病気も氣のパワーで吹っ飛ばしましょう。

氣とは生命力、
いわば生きるためのエネルギーです。

強く生き抜くために必要なのはワクチンではなくエネルギーなのです。

***












2024年9月13日金曜日

若さ自慢

本日も朝から深夜までフル稼働でした。

花吉野での講座は今日は小人数でしたが、一人一人丁寧に姿勢を直すことが出来ました。

長年気功を実践するとどうなるかというお話と、
それによって丹田がどうなるかというのを手で触って感じてもらいました。

いつも言われることですが
「先生のお腹はゴムまりみたい」

突いても殴ってもゴムのように跳ね返され、逆に打った方が手を痛めることすらあります。
いつのまにかこのような腹になりました。

話は変わりますが、
当会で現在稽古に参加されている方で最年長は76歳のHさんです。
毎週他府県から往復4時間掛けて稽古に来られますが、そのことを全く苦にすることもなく、理由にすることもなく、しかもとても意欲的に稽古されています。

私が太極拳を皆さんに伝えたいのは、死ぬまで人生を楽しんで欲しいからです。

歩けなくなったらどうなりますか?
行きたいところにも行けなくなります。

寝たきりになったらどうですか?
好きなことは何も出来なくなります。

老化は足から来ると言われますが、その足腰がビックリするほど鍛えられるのが太極拳です。
しかも高齢からでも始められるのが高齢者の太極拳愛好家が多い理由です。
太極拳をされている方は年齢問わずとても元気です。

私は自分の年齢を言うと皆から若いと驚かれます。
これが私が太極拳をやる理由です。

前回もお話しましたが、
太極拳を始める前は5分と歩けなかったのに、
今では延々と歩けるし、階段を掛け上がり、
走っている学生たちを追い抜くことも出来ます。

信じられますか?

特別なトレーニングは一切やってません。
太極拳しかやっていません。
で、この体とこの若さです。

こんな風に太極拳をやっていることによって若さを自慢できる人になって欲しいというのが私の願いです。

Hさんは最年長でありながら歳を理由にされたこともなければ、
若い人に負けないぐらい稽古の時に懸命に吸収しようとされます。
疲れた顔を見せたり、
落ち込んだりしているのを見たことがありません。
いつもキラキラされています。

因みに私の両親は80代後半になりますが、歳を理由にしたことは一度もありません。
父に関しては、ちょっとでも気を使おうとすると「年寄扱いするな!」と怒られる程です。
しかも私より歩くのが速い!

母に対しても歩けない時、手を貸そうとしても頼ろうとしません。
もう頼ってもいいのにと思うのですが、まだまだ気持ちは若いようです。

両親は兎も角、
歳を理由にせず努力されている人生の先輩を見ると心底カッコいいと思うし、
本気で見習いたいと思います。

「歳だから」
ではなく
「歳だけど」
と言えるようになりたいです。

そうなれるのが太極拳です。

私がその生き証人となります。
是非ご一緒に太極拳で人生を謳歌しましょう。





2024年7月4日木曜日

体力と気力が落ちたら辞める?!

先日当会員Nさんのお母様が入会されました。

70近いとは思えない程、スリムで若々しいお母様でしたが、
先日転倒によって怪我をされ、それを理由に太極拳を始められることになりました。

丁度、お母様と入れ替わるように本日某会員が退会しました。
退会理由は「怪我によって体力と気力が落ちたから」とのこと。

Nさんのお母様と全く同じ理由なのに、
この方は太極拳を辞めることを選択されました。

今や誰もが知っている通り、体力と気力を取り戻すことが出来るのが太極拳です。

病気になれば病院に行きます。
そして、病気にならないように太極拳を始めるのです。

この方は太極拳で得られる効果が全く解っておられないのでしょう。
残念なことです。

因みに私は21年前、体力とメンタルが衰退したことを理由に太極拳を始めました。
毎日起きる頭痛、肩こり、腰痛、
そして5分も歩くことが出来ないほど体力が落ちていました。

メンタルも落ちていました。
かつて営業をしたり、セミナー講師をしていた私が、
人と目を合わせることすら怖くなってしまったのです。

本当に落ちるところまで落ちました。

しかし今はどうでしょう?
歩くことが困難どころか、今では階段ですら駆け上がります。

そして鋼のようなメンタルを身に付けました。
今こうして道場を維持しながら講師活動もバリバリやっているのがその証拠です。

特に太極拳は軸を鍛えます。
コケない体をつくるには太極拳が一番いいです。
その理由や原理などすべて実践を交え説明出来ます。

体力の衰えやメンタルの衰えを感じている方は、
是非一度当会で行ってる伝統太極拳の体験に参加されてみてください。
続ければ必ず今以上に元気にパワフルになれます。














#気功 #太極拳 #病気 #若返り #エイジング #転倒防止 #怪我の予防 #免疫力増大 #治癒力増大

2024年5月29日水曜日

最大の敵は「依存」

やさしい先生だからこそ頑張ろう。

(ここで言う「先生」とは師であり指導員のことです)

厳しく叱ったりすることがなくとも、
先生によって表現は様々
生徒に上達して欲しい気持ちはどの先生も同じです。

決して出来ているから叱らないのではありません。
特に初心者(最初の1年)は「出来ていなくて当たり前」と思って取り組んで欲しいです。

太極拳はすぐには仕上がりません。
套路の順番を覚えたことは太極拳を覚えたことにはなりません。
順番を覚えてからがようやく太極拳の始まりです。

順番を覚えたことは英語でいうアルファベットを覚えた程度のレベルだと思ってください。
まだ英語は喋れないのです。

太極拳をそれなりに習得するには月まで歩いて行くぐらいの時間が掛かると思ってください。
月まで徒歩で約10年掛かります。

順番を覚えた後にすべきことは山ほどあります。
太極拳の修行おいては一生学びがあります。
どんなにやっても飽きることがなくいくらでも楽しさがあります。

先生がやさしいからと甘えてはいけません。

厳しい先生は本気で上達して欲しいという気持ちが素直に出ているのです。
優しい先生も本気で上達して欲しいという気持ちは変わらず、
厳しい先生に比べ辛抱強く耐えている(見守っている)のだと思ってください。
出来ているからやさしいのではありません。

やさしくとも指導されていることを一言も聞き逃してはいけません。
自分の勝手な解釈で出来ていると勘違いし先へ先へ進もうとしないことです。

今、先生に言われたことを直すために
その部分を何度も何度も徹底的に繰り返しましょう。
出来るようになればきっと先生は認めてくれるでしょうし、
褒めてもくれるでしょう。

いわば、褒められないのは叱られているのと同じことだと思ってください。

私が最初に出会った先生はやさしい先生でした。
一度も叱られたことはりません。
しかしそれに甘えることはありませんでした。

やさしい先生だからこそ
「先生に同じことを言わせない」
「先生に教わったことを出来るようにしよう」
「先生の期待に応えたい」
「先生に認められたい」
「教えてもらった感謝の気持ちを結果で返したい」

そんな気持ちで取り組みました。

結果、私は半年で楊式太極拳を覚えました。
周りの先輩達に驚かれました。

自分を一番ダメにするのは「依存」です。
「甘え」は成長を止めます。

自分で自分の尻を叩き、先生の期待に応えるべく努力すれば、
それが先生にとって一番嬉しいことなのです。

私は、希望であればどれほどでも厳しく指導出来ます。
学生時代は鬼教師による精神教育で学問や道徳、礼儀を叩き込まれました。

もし本気で上達したかったら遠慮なく言って下さい。
厳しく指導します。
落ち込んでも泣いても容赦しません。

その代わり上達することは保証します。

どちらがいいかは自分で決めて下さい。


2020年4月9日撮影

2024年5月26日日曜日

2時間と10年は同じ

かつて出会ったある老師が次のように仰いました。

「初日に習った2時間と10年は変わらない」

その時はピンとこなかったですが、時間が経つにつれこの言葉の意味がとてもよく解るようになりました。

当会では最初に姿勢、脱力法、歩形、歩法、套路、推手、散手を90分の稽古で学びます。
そして10年経っても私は同じことを教えるでしょう。
初日に教えることと10年後に教えることはなにも変わらないのです。

何年やっても何十年やっても基本は不動です。
そしてその上に様々な技術や勁を学び感覚を身に付けていきます。

因みに私は一度しか合ったことのない師から教わったこともそのほとんどを覚えています。
覚えたいという意欲がありましたし、
「忘れてはならない」と思いその後しっかりメモをとりましたから。

その教えは10年経っても20年経ってもずっと私の中で生きています。

何が言いたいかというと、
「今」を大事にして欲しいということです。

「そのうちできるようになるだろう」
と漫然と練習をしていても上達することはありません。

大事なことは教わった基本をしっかり頭に叩き込んでそれを実践しようとする意欲です。

師は必ず重要なことを教えてくれます。
それを聞き逃してはいけまぜん。

仮にその時に解らなくとも解らないなりにメモに取っておけば、いずれ解る日がきます。
そして解った時、それが大変貴重な宝物であることに気づきます。

せっかく貴重な時間を割いて稽古に参加しているのですから、
わずか90分集中することで一生ものになる技を身に付けることも出来るのです。

もちろん体を動かしたいということで参加するものいいでしょう。

しかし、上を目指すなら、
だらだらしたり、ぼんやりしながらやるのではなく、
しっかり意識を高めましょう。

そうすれば90分の稽古が自分にとって生涯の財産になるでしょう。



2024年5月1日水曜日

太極拳は足

本日、初級クラス、個人レッスン3つ無事終わりました。

今日感じたことは、歩法の重要性です。
「太極拳は足」と言われますが、長く太極拳をやっていると本当にそう思います。

実際に発勁する時、手で押そうとしますが、これでは十分な力は出せません。

発勁は天地と調和した状態から一気に足裏から接触点までの圧を高める感じになると思いますが、その時に重要になるのが「足」です。
なので、単に足を前にストンと置いて体重を載せるだけではダメなのです。

歩法はきれいに歩くためではありません。
十分なパワーを引き出すために重要な要素です。

このような正しい歩法を身に付けると足腰が驚くほど鍛えられ、ちょっとやそっとではコケない体を作ることが出来ます。
老後に向け是非身に付けたい力です。

もうひとつは勁力の波です。

勁力というのは考えて出せる力ではなく逆に考えないで出せる力です。
だから考えてひょいと引き出せる力ではありません。
故にその感覚を体で覚えるしかないのです。

「パワーが出ない」
「パワーを出そう」
「今日は調子が出ない」
どれも雑念です。

こんなふうに雑念が沸くと力が分散してしまいます。
力を集めるには、何も考えないことです。
欲を出さないこと。
頭も体も空っぽにすれば、「何か」が体に中に入ってきて、そして出て行きます。

因みに「空っぽにしよう」とも考えてはいけません。
難しいですね。

#奈良 #気功 #太極拳 #勁力 #歩形 #歩法 #脱力 #無



2024年3月24日日曜日

弱さを認める

自分の弱さを認める。
弱さを隠そうとしない。

イイカッコしたがる人がいますが、
イイカッコしようとする心そのものがすでに力んでいる状態なのです。

背伸びしようとすれば足が疲れます。
イイカッコは疲れるのです。
それなら踵を降ろし足裏全体を地に着けた方がラクではないですか?

私の場合、常にありのままの自分でいるよう心掛けています。

「先生らしくない」と思われているようですが、構いません。
世界中に無数の先生がいる中で、
一人ぐらい先生らしくない先生がいたっていいじゃないですか。

だから、今後も立派な人を演じるつもりはありません。

そもそもイイカッコしたところで何のメリットもありません。

そう言いながらも
全くそういうところがないかといえば、そんなことはありません。
やはり人間ですからカッコつけたい時もあります。
しかしそういう時に限ってミスします。
これが余計にカッコ悪い。

自分の弱さを認めましょう。

そうすれば肩の力が抜け、
体全身の余分な力が消えていくでしょう。

ここからが太極拳の本当のはじまりです。

さあ、
弱くて、
力も抜き切った自分に何ができるでしょう?

この時に太極拳の本質が見えてくるはずです。

太極拳やりたかったら、
イイカッコしたり、
やせ我慢したりのをやめましょう。

自分の弱さを認めることが太極拳の強さのはじまりなのです。



2024年1月26日金曜日

集中する

会員さんの練習を見ていると、今自分がすべきところを放ったらかしにして他人がやっているところをしようとしたり、まだ進んでないところを「見て欲しい」と言ってくる会員さんもいます。
おそらくYouTube等で似たような型を見つけて覚えてくるのでしょう。

指導者の立場からすれば、一番やって欲しくないことです。
(気持ちは解りますが)

私が高校受験の時、音大付属高校に進みたかったのでピアノの先生について習っていたことがあります。
先生は受験のため私のレベルに合った曲(ソナチネ7番)を選んでくれ練習するようにと言われました。

当時ピアノを弾くことが楽しくてならなかった私は懸命に練習し、どんどん指が動くようになりました。
そうこうしている内に自選曲では物足らなくなり、もっとレベルの高い曲をやりたくなりました。
そこでなんとなくソナチネ1番を引いてみたら初見で割と弾けたので、「これにしたい」と思ってそれから猛練習を始めました。
この曲を弾いて先生を驚かせてやろうという気持ちもありました。

そして先生の前で「1番を練習したので聞いて欲しい」と伝え弾き始めました。
その時の先生の反応は決して良くなく、その表情はどんどん険しくなり、引き終わった後、一度も怒ったことがない先生が怒りだしました。

「まだ7番もちゃんと弾けないのになにをやってたの?!」と。

その後、先生は1番を引き出したのですが、そのピアノはまさに怒りのピアノでした。
私はやさしい先生を怒らせてしまったとをとても後悔しました。

そして私は高校受験に失敗しました。
3校全てです。
「桜散る」の通知を見て涙がボロボロ溢れ出てきました。

受験に失敗したのはピアノだけではなく
本番でトランペットがうまく吹けなかったからです。

トランペットの先生も普段はとてもやさしい先生でしたが、
受験のためにマンツーマンレッスンを申し込んでからは人が変わったように厳しくなりました。
私が受験に合格出来るよう懸命に教えようとしてくださったのでしょう。

まあとにかくクラシック音楽への道は敗退に終わりました。

ところでピアノの先生は何故あれほど怒ったのでしょう?
それは私のために選んでくれた曲の練習を放ったらかして別の曲を練習してしまったからです。
ピアノの先生も私のレベルを見て、合格出来るよう最も適した曲を選んでくれたはずです。

まあ多感な時期でしたから、自分の才能に溺れてしまったり、美人の先生の前でいい恰好したいという気持ちもありました。
まさに雑念だらけです…

とにかく今すべきことに集中する。
それが出来るようになったら、次に進む。
その繰り返しです。

与えられたことをきちんとやれば先生も認めてくれるでしょうし、
私もそうしてもらうのが一番嬉しいです。