2016年7月16日土曜日

飽きてしまうということ

これまで何人かの会員さんが途中で飽きてしまいフェードアウトされた。
残念だがこればかりは仕方ない。

一方、毎週2回ずっと通い続けている会員さんもおられる。
本当に熱心だと思うしとても感心させられる。

そもそも飽きるとはどういうことだろう?

仮に私はカレーが好きだが、さすがに毎日食べると飽きる。
しかし、ごはんやみそ汁は飽きることがない。

私が思うに、武術の套路(型)をおかずにしてしまってはいけないと思う。
太極拳で言う套路は気を練り技を練るための鍛練法だからだ。
いわばごはん。

ごはんは生きて行くためには最低限必要なもの。

当会では、養生功を行った後は、毎回楊式太極拳を通す。
いつまで通すか?

答えは一生。

私にとってはごはんを食べなければ生きていけないのと同じで
楊式太極拳を行わないと調子が狂う。

そもそも極意とは、極めた結果得られるものであり、
極めるためには毎日の努力が必要ということになる。

ごはんをゆっくりゆっくり噛んで食べると米本来のうまみが滲み出てくる。
それと同じように楊式太極拳をゆっくりゆっくり練り込んで行くと、どんどん気持ち良さが増してくる。

この気持ち良さを体感せずして辞めてしまうのはあまりにももったいない。

そもそも何故今回このような記事を書きだしたか?

私は試合のために楊式太極刀をこの4年間で5000回以上は行ってきたと思う。
この回数が多いか少ないかはわからないが、
短期間にあまり同じ套路ばかりを繰り返し行うといい加減飽きてくる。
この現象こそが私にとっての危険信号。

太極拳とは生涯を通じて行うものであり、套路はその鍛練法。
鍛練法を飽きてしまってはその道を極めることなどできるはずがない。

だからこそ私はペースを緩めることにした。

ひとつの套路を短期間に集中的に行うのも良いが、その分飽きが来るのも早まる。
健康法として始めた太極拳が飽きてしまったら意味がない。

結局、焦らず毎日コツコツ続けることが大事ということになる。

そして、毎日なにか発見がある。
この発見することがなにより楽しい。