2016年8月18日木曜日

内気で打つ。外気で打つ。

体内を巡っている気を内気という。
一方、体外にある気を外気という。

太極拳も形意拳も、この気を以て打つことになる。

しかし、ひとえに気で打つといっても、様々な種類がある。

今回は、内気と外気について少し触れてみたいと思う。

内気で打つのは体内を流れる気で打つことになる。
体内に巡っている気を、打ちたい方向に流せばいい。

ここで最も大事なことは、体を十分緩めること。
緩めず体を硬くすると気の流れが阻害されるだけで、気で打つことはできない。

そして、気で打つ時の感覚は、打とうとするのではなく打たされるという感覚。
脳から筋肉に指令を送って打つのではない。

丹田から発生した気が、パワーとなるために体の中のあるルートを介して拳へと流れる。
ややこしい説明になってしまったが、
これは知ることではなく感じるものだと思うから。

実際、筋肉で打つ時も、いちいち脳から指令を送って筋肉を動かそうなどと思うだろうか?

この感覚を掴むには、実際に気を打てる師に打ってもらうしかないと思う。
私もそれでその感覚を身につけた。
無論すぐにではなく、その後試行錯誤を繰り返してのことだし、
まだまだ大きなパワーなど出せない。

次に外気で打つということだが、
外気を味方につけると、次々と不思議な現象が起きる。

触れることなく相手の攻撃を捌き、触れることなく相手を打つことができるということ。
無論私にはまだその力は備わっていない。
その力を身につけたくて立禅と套路を繰り返し行っている。

因みにこれらの力は人にダメージを与えるだけでなく
自分や他人の痛みを取り去ったり、治癒力を上げ損傷した細胞の修復を早めることもできる。

「手当て」というが、
頭が痛い時、歯が痛い時、お腹が痛い時、
手を当てると痛みが和らぐがそれがその証拠。
気の力は自分の身を守るためだけではなく、傷ついた自分の体を治すこともできる。

このように太極拳を始めとする内家拳は非常に奥が深い。



追記

20世紀末期、21世紀は物欲に飽き、癒しを求め精神世界を求める人が圧倒的に多くなると予言された。

私もその一人。

物を買うことに今はほとんど興味ない。
20世紀最大の発明品であるパソコンにしても当時百万近くしたものが今では数万円で買える時代。
当時何万円もした電卓やデジタルウォッチが今では100円で手に入る。
物の価値がどんどん下がっている。
モノに囲まれて豊かさを感じた時代は既に終わっているのだ。

太極拳はモノではない。
禅であり、武術であり、最高の健康法だ。
体ひとつあればいつでもどこでもできる。

これからは確実に伝統武術が見直される時代に入る。
現代人が今求めているのは見えるものではなく見えないもの。
未知なる内面の世界なのだ。

物欲がなくなれば人は争うことをやめ、
禅により煩悩を消すことが出来れば自分が傷ついたり人を傷つけようなどとも思わなくなる。

太極拳、またの名を動禅というが、
これにより地球が自然を取り戻し、世界が平和になると私は信じている。