心意気(こころいき)という言葉がある。
辞書で調べると、「盛んでいさぎよい気だて・気まえ」という意味になる。
この言葉の意味は想像以上に深い。
これを武術的視野から見ると・・
心によって意が動きだし、
意が気を導き、
気が勁を生み出す
ということになる。
もしかしたら心意気の良い人は勁力が強いのかもしれない。
内功を練り出してから、勁(筋力ではない力)を生み出す時に体の中で何が起きているか感じようとしている。
例えば力強い拳を突き出そうとする。
もちろん筋力ではなく脱力した状態で。
この時何が必要かは体が教えてくれる。
大砲にしろ、ミサイルにしろ砲台や発射台がしっかりしていないと、力強く飛ばすことは出来ない。
もし砲台がグラグラだったら砲丸はその威力を失ってしまうだろう。
だから地面にしっかり固定する。
これと同じように、人間も地面にしっかり固定しなければならない。
しかし足を地面に固定することはできない。
地面を掴むこともできない。
ここでゆるむことが求められる。
足を地面に打ちこむことは出来ないが、緩めば足裏と地面との繋がりが大きくなる。
もし人間の体が100%水なら、引力に従って地面に浸透していくだろう。
しかし現実的でない。
ではどうすればいいか?
それは地面に意識を打ちこむこと。
意識ならいくらでも打ちこむことができる。
意識を打ちこめば気が流れる。
気が流れれば勁が生み出される。
この力を利用するのが太極拳を始めとする内家拳で使われる勁力による力(と私は解釈する)
こんな風に自分の体に問いかけてみると様々な発見があっておもしろい。
これも立禅の大きなメリットだと思う。
動くと心も体も動くことに意識が傾いてしまうが、
動かない禅によって得られることは非常に大きい。