これまでブログに何度も書いてきたが、
私は指導する立場として演武力も必要だと感じ、自主的に目標を掲げそのためにそれなりの努力をしてきた。
そのため演武会等に積極的に参加し、先生や先輩方の演武を研究させて頂いた。
そこで思ったこと。
自分や家族、仲間を守るために生死をかけた戦いで発展してきた武術。
そこには現在、平和国ニッポンでは考えられない、壮大な愛があったように思う。
私は男だから、本能的に「守らねば」という意識が常にある。
その時に自分の身の危険など全く考えない。
いや、正確に言えば自分が危険な目に遭うなどとは一切思わない。
だから今まで仲間や家族、大切な人たちを守るために様々な戦いに挑んできた。(暴力ではなく)
そしてそれはこれからも変わることはないと思う。
その壮大な愛が生んだ武術。
今では芸術として楽しむ時代になった。
美しい演武は人に感動を与える。
人は感動によって生きがいを感じ、生きる活力を得るように思う。
だから表演武術も素晴らしいと思う。
かくいう私も年老いた母を喜ばせたくて、カッコいい演武を見てもらおうと頑張った頃もある。
まだまだ長生きして欲しいと思っているが、動ける間にとことん頑張ろうと。
それが私を生んでくれたお礼だと思ったから。
私に子はいないが、自分の生徒が試合出場し、想像以上の点数をとった時は本当に嬉しかった。
入賞こそ逃したが、それでも本番中、最後まで諦めない姿勢に感動させられた。
本人曰く、先生に恥をかかせたくない。だから少しでもいい演武をしたかったと。
彼女はその意地を私に見せてくれた。
また今年の春に行われた太極拳フェスティバルも素晴らしかった。
2年ほどの先輩会員さんから始めてまだ数か月の会員さんも混ざって最後まで頑張った。
そして本番奇跡が起きた。
リハーサルでは一度も曲のサイズに合わせて演武を終えることが出来なかったのに、あの緊張の場面でそれをやってのけた。
私は感動のあまり涙を抑えるのが大変だった。
表演がこれほど人に感動を与えるのは、古来武術が発展した時代の愛の力が根付いているからではないだろうかと考える。
しかし、だからといって武術の力量を演武力だけで見てはいけないと思う。
少なくとも私は、一見無骨に見える演武であろうと、その中に美と強さを感じる。
そんな風に見えるようになったのも本格的に内功を練るようになってからだが。
いずれも私は自分に従い表演武術にかける時間を意図的に減らし内功を練ることに力を注いでいるが
それはこれから起こることの準備である。
今までそうであったように、時代の大きな流れには決して誰も逆らうことは出来ない。
タイムマシンで過去を変えると未来も変わるというが私はそうは思わない。
大河に蟻が一匹落ちようが落ちまいが川の流れは何も変わらない。
「大は小を兼ねる」ということ。
今までほとんど知られなかった地が世界遺産に認定されるとそこへ人が大勢詰めかける。
伝統ある地は守らねばならない。
それと同じように、伝統武術が見直される時代がもう目の前までやってきている気がしてならない。
愛の力は永遠というが、
かつて家族や愛する人のために命を懸けて戦った武術家の心が今も生きており
その伝統が見直される時代が来ると。