2016年11月14日月曜日

風の太極拳と水の太極拳

当会で行っている太極拳は楊式太極拳と双辺太極拳。

この違いを一言で言うならどのように表現すればいいだろう?
今までずっと考えてきた。

難しい話は抜きにして、感じたままに言うなら

楊式太極拳は「風の太極拳」
双辺太極拳は「水の太極拳」

楊式太極拳が何故、風なのかというと、

まず套路を練る時、気を感じながら、
そしてその気の感触を味わいながら連綿と動いて行く。
風がなくとも風のような感触を味わい、そして自らも風を起こす。

沈む太極拳ではなく空気に溶ける太極拳という感じだろうか?

推手の時は、相手と触れる感覚が風になびく柳の枝が触れ合うよう。
風で相手の攻撃をいなし、風で打つ。

散手の時は、そよ風のような横風で体を煽られ、
その後、突風に打たれ体が宙に舞う。

私は体重が軽いので、突風に煽られるとしばしば体が宙に浮く。
春一番に吹かれた時も、路肩の手すりにつかまらなければ
糸の切れた凧のように飛ばされていただろう経験もある。
楊式の技で飛ばされるとそのような感覚がある。

だから楊式太極拳を極めようとするなら、「風になれ」ということになると思う。

一方、双辺太極拳は、まるで自分の体が液化したかのように溶けながらゆっくり動いて行く。
師匠の演武は溶けだした水が体から滴り落ちるような感じにも見える。

いつも稽古の時に説明することだが人間の体の60~70%は水で出来ている。
だから硬直した筋肉をゆるめてやることで水のようになることができる。
水は引力に従い上から下へと流れて行く。

だからトロトロ溶けながら套路を練るような形になる。
こちらも楊式にはない気持ち良さがある。
水になるにしても風になるにしても無心になれる。

ベッドに横たわり眠りに入る瞬間、
人間の体の水分が背中側に移動していく感覚を感じる方は少なくないと思う。
それが立っている状態で起きる。

水分が下へ下へ、
足裏にまで落ちて行く。

推手の時、相手と手を合わせると、相手の手が異様に重く感じる。
これ即ち水になっているということ。
双辺推手ならではの感覚。

散手の時は楊式の時のように飛ばす技は少ない。
水の重さを使って上から下へ落としたり、水圧のように打ちこむ。
楊式で打たれた時は気持ちいいが、
双辺で打たれると骨が折れるのではないかというほど痛い。

双辺太極拳を極めようとするなら、「水になれ」ということだと思う。


双辺は脱力することで水になる。
楊式は脱力することで風になる。

人間の体は不思議だ。

中国では人間の体は気と血と水で出来ていると考えられてきた。

その気を使うのが楊式で、水を使うのが双辺。

どちらも体に良く、
そして強くなれる。

太極拳は本当に楽しい。