今年に入ってからまだブログを書いてないことに気づいた。
書きたいことはいろいろあるが、
ひとまず今回は引力について感じたことを書こうと思う。
地球には引力がある。
引力があるからこそ体が丈夫になる。
引力が人間に与える恩恵は大きい。
しかし体が衰えてくるとこの引力が人間に様々な支障を与える。
体力の衰えと共に腰が曲がってきたり、
頭を支えきれず首が下がってきて肩こりが生じたり、
歩くのが辛くなり、体重を支えきれず体の節々が痛み出す。
体だけではない。
肌も引力に従い、弾力を失った肌は下へ下へと垂れて来る。
老化現象の始まりだ。
私は過去に大きな交通事故でむち打ちになり、その後遺症は今も尚続いている。
整形外科医にかかった時に先生に言われたことは、「肩こりは引力との喧嘩」と仰られた。
確かにそうだ。
引力によって支えきれなくなった体をなんとか支えようと筋肉を使う。
短時間ならまだいい。
起きている間ずっとその筋肉を使わなければならないのだ。
コリが生じて当然。
辛いが仕方ない。
この体と付き合っていくしかない。
しかし逆に考えれば、首を少しでも傾けると酷い首の痛みと肩の痛みに襲われるから、首を真っすぐにしようとする。
首を真っすぐにすることを虚霊頂頸(きょれいちょうけい)という。
この虚霊頂頸を普段の生活から心がけると、首の痛みや肩こりから解放され、
それだけでなく生活そのものが楽になる。
なぜなら首を真っすぐに伸ばすことで軸が真っすぐになるからだ。
軸が真っすぐになれば、余分な筋力を使わずに済む。
小さな力で動くことができるようになる。
因みにこれは太極拳では絶対必要なこと。
太極拳では化勁を使えなければ太極拳とは言えない。
太極拳では相手の攻撃を受けずに流す。
この時に軸が重要になる。
今日の散手の時間では「撫でる」という表現を使ってみた。
この化勁を使うと、自分はほとんど力を必要としない。
それなのに相手を崩すことができる。
戦おうとしたり、対抗意識を燃やしたら失敗する。
太極拳は中国で生まれた最高の護身術。
戦うために編み出された武術ではない。
当会のことをネットで「戦えるのか?」と書き込んでいる方がおられるが、
一体誰と戦おうというのか?
太極拳は喧嘩の道具ではない。
というより戦おうとしている精神そのものがすでに太極拳ではない。
技を習得するために何年も立禅を行い、
天地と繋がり、
悟りを得、
人間として生まれてきた意味と目的を知る。
これを解脱という。
この境地に至って初めて、
戦わずして相手の戦意を喪失させることが出来ると私は思っている。
太極拳で得られることは、美しい演武やカッコいい演武ではない。
それはあくまでも過程であり、目的ではない。
今までにない感動の歓びが得られる境地に至ることこそが目的であり
それを広め、多くの人々とその境地に向かうことこそが世界平和に繋がると信じる。
そして、
その世界に至ると「争う」ということそのものが完全消失する。
これは私の過去の体験談であり、
今度は武術というジャンルでその境地に向かう修行を行おうとしている。
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書いているうちに書きたいことと違う内容になってしまった・・
またこの続きは次に機会に書こうと思う。