2017年12月10日日曜日

飛んでいる矢は止まっている

ゼノンのパラドックスに「飛んでいる矢は止まっている」という説があるが、
これは時間という概念からその一瞬は止まっているということを示している。

実際に飛んでいる矢を早いシャッター速度で撮影すれば静止して見える。
当たり前と言えば当たり前なのだが。

これとはまた意味が違うのだが、
私は太極拳の練習をしている時、いつもこの矢のことを思い浮かべる。

いわゆる、その一瞬一瞬は止まっている矢のごとく、
立禅(站椿功)の連続であるということ。

太極拳はゆっくり動く。
その意味はゆっくり動かなければ鍛えられない筋肉を鍛え、
極限まで力を抜きゆっくり動くことで氣の力を強めることができるから。

それに太極拳の動きは常に円であることから、
早い動きで練習してしまうと円ではなく直線に近づいてしまうことにも気づくだろう。

円の動きをしっかり体に染み込ませていくには
ゆっくり動くのが最良の方法であることもわかる。

本日、当会で3度目の検定試験を行った。
1度目、2度目と比べると全体的にレベルが上がったと確信した。

特に嬉しかったのは、かつて何度言ってもゆっくり動くことをせず、
まるで早く終わらせてしまいたいと言わんばかりに速くて雑な動きだった人が
今回の試験ではとてもゆっくり丁寧に動こうとしたこと。

私はいつも言う。
「早く上達したかったらゆっくり練習すること」

しかし、何度言っても早く上達したいからと早く動いてしまう。
そして、いつも同じところで同じ間違いをしてしまう。

もうこれは仕方のないことなのだと思った。
せっかちな性格がそのまま出てしまうということ。

そこで私はゆっくり動くことから、静止することをすすめる。
立禅というのは決まったポーズとは限らない。
自分で立禅をつくってしまっていいのだ。
自分の苦手がわかったら、その形の立禅を行えばいい。

少なくとも私はこうして自分の苦手を克服してきた。

止まっている矢のごとく、静止する鍛錬を行う。
そもそも站椿功(立つ鍛錬)は、最初に站椿功があったのではなく
正しい動きを身につけ、勁力を上げるために生まれた鍛錬法であると。

動いてしまうとついつい筋力に頼ってしまうが、
静止すれば立つための筋力だけで済むので、沈む感覚を養うことができる。

こんなふうに、太極拳をやり込んでいけばいくほど、立禅(站椿功)の重要性に気付く。

頭ごなしに「立つ練習をしなさい」と指導するのではなく
「なぜ立つことが重要なのか」と自分で気づくことが大事だと思う。