2013年5月29日水曜日

隠された技を見つけ出す

太極拳の型を教えてくれる教室は数あれど、
実際にその型の用法や技を教えてくれるところは実に少ない。

なので、太極拳=踊り というイメージになってしまうんだろう。(笑)
もちろん、太極拳は踊りとしても美しいし、少なくとも私は好きだ。

私は今まで、4つの教室を渡り歩いてきたが、教わった用法はごくわずか。
だから、套路を通しながら、この形は一体どういう技なんだろう?と。

しかし、経験を積んでいくと、濃い霧の中にすっぽり隠れていた技が徐々に見えてくる。
単なる踊りが精巧な戦闘術として見えてくるわけだ。
これが実に楽しい。

この感覚は難しい方程式を解いている感覚や、
パズルのパーツを探してる感覚に似ている。
だから解けた時の感動はとても大きい。

しかも技の用法はひとつではないことも解る。
一つの技でもその応用例は様々だ。

だから、あえて用法を教わらず自分で発見すると、太極拳の楽しみも倍増するといえよう。

大会用練習メニュー変更

先日、組み立てた練習メニューに無理があることがわかった。

楊式刀を1日20回やるのは、無理があるし、あまり良くないかもしれない。
たくさんやろうとすると吐き気がしてくるのだ。(笑)

大好きな楊式刀も毎日20回もやっていると、嫌いになってしまいそうだ。(笑)

なんでもやり過ぎは良くない。
ということで、メニュー変更。

ダメだと思ったらどんどん変更を加えて行くのは成功の鉄則だし。
もちろん自分自身に甘えるための変更はダメだけどね。(笑)

立禅 1日5~10回
三体式 1日片足5分×5回
気功 1日3回
楊式太極拳 1日3回
楊式刀 1日10回

ひとまずこれでやってみよう。
無理なプランを立てるより確実にこなせるプランを立てて、余力があれば単に増やせばいい。

とにかく、やるからには悔いが残らないよう頑張ろう!

挫折と挑戦

陳式太極拳はなんて難しいんだろう。
今日もまた、たっぷりと挫折感を味わった。(苦笑)

先生はきっと、私のやる気が失せないように型を進めてくださるのだろうが、
それまでの型が自分の中で消化しきれていないから、煮え切らない気持ちがどんどん大きく。(笑)

前後、上下、左右と次々と型が変化し、
円を描きながらも、時には直線的な動き、それを緩急をつけて動く。
あまりにも激しく変化していくから、型のスピードに頭がついていかない。

これは、陳式と言えど、楊式のようにゆっくりとしたスピードで徐々に体に覚えこませていくしかなさそうだ。

まあ、考えてみれば楊式太極拳にしても9年以上経った今になって、ようやくそこそこ気持ち良く動けるようになったわけだから、
初めて4か月も経ってない陳式太極拳が上手く出来るわけがないのだ。

富士山の頂上まで登ったと思ったら、また降りて、今度はエベレストに登ろうとしている。
いや、実際には富士山の頂上にもぜんぜん達していないのだが。(汗)

いずれも難しければ難しいほどチャレンジし甲斐があるというものだ。

2013年5月28日火曜日

大地を掴む

今までは意識的に足で地を掴むように立っていたが、
全国大会モードに入ってから、その感覚が明らかに変わってきたことがわかった。

掴み方がぜんぜん違うのだ。
意識的にやっていた頃は、どちらかというと指を曲げる程度。
が、今はぐぐぐっと地を掴んでいる。

実は、これは大会用の演武をしようとした結果であり、完全に無意識。
そして、その効果は大きく、安定性が増し、肩や手の力もぐんと抜ける。
だから、安定しながらもしなやかな演武ができる。
もちろんやってる本人も、とても気持ちがいい。

今まで粗かった動きも緻密になり、丹田にはエネルギーが渦巻く感覚。

それにしても、なぜ私の足はこうなったんだろう?
本能的に地のエネルギーを吸い上げようとしたのだろうか?
それとも、安定性を求めての結果なのだろうか?

とにかく、足で地を掴むということをすると、丹田へのパワーの溜まり方が全然違う。

が、試合では丹田にパワーがあるとかどうかは採点対象にならない。
しかし、このことによって精神が安定し、のびのびと気持ち良く演武出来るということは大きいと思う。

明確な目標があると、いろいろな現象が起きておもしろいです。

2013年5月25日土曜日

気功で若返るために

前回の記事の続きになります。

気功で若返るために大切なことが二つあります。
それはまず悪い気を体内から出すこと。
これを邪気(じゃき)を払うといいます。

次に良い気を体内に入れる。
体外にある気を外気(がいき)といいます。
これを体内に取り込むわけですね。

因みに悪い気が体内に溜まると良い気が体外に出て行ってしまいます。
体内にプールできる気の許容量は決まっていると思ってください。

この悪い気が溜まると、元気がなくなり、精神的にも不安定になり、やがて病気になります。

だから邪気を払い体に良い外気を取り込みます。
この作業を気功といいます。

気に対して懐疑的な方もおられるでしょう。
それはそれで構わないと思います。
その分、私が気を独り占めできますので。(笑)

冗談はさておき、当サークルでは、この気功を重視しています。
私が今まで習ってきた流派では「気功をしないものには太極拳を教えない」というスタイルでしたが、
その理由が私にはよくわかります。
なぜなら、気功を行う教室と気功を行わない教室のどちらも経験してきたからです。

前者では太極拳を行う時、すぐに内気が動きだし外気を感じることが出来ます。
後者ではほとんど気を感じることはなく、フォームをつくることを重視するので、“ゆるめる”ことが難しくなります。

健康・長寿・護身に役立ち気持ちの良い太極拳を行うか、
人に見せて感動を与えるような太極拳を行うかは好みが分かれるようですが、
私は両方です。(笑)

欲張りな性格がここでも出てしまいます。

偉そうに語ってしまいましたが、あくまでも私が今まで学んできたことのおさらいですのでご容赦ください。

気が出るのは50歳から?

先日、サークルで好評だった“気”の話を少ししてみようと思う。

かつて私が太極拳を始めたばかりの時、長老の先輩からこんなことを言われた。
「実際に気が出はじめるのは筋力が衰え始める50歳から」だと。
私はこの思ってもみなかった発言にすごく興味を抱いてしまった。

なぜなら、歳をとればとるほど体力も元気も衰えると思っていたからだ。
だから、歳をとるのも悪くないなと思った。(笑)

それからというもの、日常生活でも極力、無駄に力を使わないように努力した。
かつて最も悪い癖だった、時間ギリギリ行動。
これも改め余裕をもって予定の時間に行くようにした。
これによって無駄に走らなくてよくなったわけだ。

かつての私は本当にひどかった。
高速バス発車時刻に遅れ、すでに発車しているバスの前に大の字になって立ちはだかり無理やり乗せてもらったり、
飛行機の搭乗時刻に遅れ、すでに飛行機のハッチが閉められていたのに、頼み込んで開けてもらったことも。
お蔭で席につくまでの通路を歩くとき、乗客全員に睨まれてしまった。。(汗)

余談はさておき、とにかく普段からゆっくり動くことを実践した。
すると無駄な筋力が落ち、身が軽くなり、日常生活の何気ない動きがどんどんラクになっていった。
今までいかに力やエネルギーを無駄に消費していたかというのがわかった。

ところで、なにもしないで気が増大するだろうか?
それはありえませんね。
歳をとればとるほど、気は衰え病気がちになるのが普通です。

だから、この世に生まれたきたばかりの頃のような元気を得るために、“気”を取り戻さなくてはなりません。
気功とはその“気”を取り戻そうとする行為です。
そして、その気功を正しく取り入れながら太極拳を行うことは、さらに気の流れを高め、身の周りにある気を自分の中にどんどん取り込み、それによってパワーを得ることができるということになります。

私は仕事上、ビタミンなどの健康食品も扱っていますが、それとは異なり気は無料です。
元気になるためのモノがタダならこんないいことはありませんよね。

2013年5月22日水曜日

全国大会に向けて

県大会が終わって、約4か月経過。
全国大会までは一日も休まず頑張ろうと思っていたけど、なかなか切羽詰ってこないと頑張れないもんですね。。

ということでようやく火が灯りはじめた。
男子、剣・刀部門だけでも全国から60人の強者が集まる。
私はというと、初出場で県大会3位という成績。
とても全国レベルに通用するものではない。

が、やるからには諦めたくない。
とにかく楊式刀が好きで、ほとんど独学で練習してきたが、楊式太極拳と楊式刀に関しては、今後何年掛かってでも全国優勝を目指して頑張ろうと思っている。

ということで、大会までのメニューを考えた。

気功:100回(約10000分)
楊式太極拳:100回(約2000分)
楊式刀:1000回(約3000分)
--------------------------------------
合計:15000分

大会までは力を使うような型(長拳や柔術等)は極力省き、
形意拳の跟歩(こんぽ)も音を立てずに半歩寄せるだけにとどめる。
いわゆる太極拳での跟歩ですね。

あと、薬指と小指が開いてしまう癖を直すため、ヘアゴムで両指をとめて矯正することにした。
先日、先輩にも指摘されたが、どうやら9年来の癖になってしまっているらしい。
武術的にもこの二本を離すのは危険だが、見た目も悪い。
すぐに直そう。

サークルの参加希望者も増えているし、なんだか忙しくなりそうだ。

2013年5月21日火曜日

畳一畳で出来る太極拳?

太極拳の良いところは、体さえあれば道具など必要とすることもなく、いつでもどこでも出来ることだ。

太極拳を始めたばかりの時は、楽しくって仕方なく、部屋の中でも、公園でも、スーパーでも、コンビニでも、サービスエリアでも、階段の踊り場でも、とにかくちょっとしたスペースがあると体がウズウズして太極拳をやってしまうという始末。
特にコンビニやスーパーに行くとテンションが上がるのは何故だろう?
当時付き合ってた恋人もそんな私に呆れ顔。(苦笑)

部屋も太極拳ができるようにテーブルをとっぱらったり多少改造したけど、スペースとしてはまだまだ狭い。
特に楊式太極拳をやろうとすると、何度も何度も位置変えをしなくてはいけない。

雲手(うんしゅ)は、足を出したふりをして元に戻すという横歩きムーンウォーカーみたいな感じでなんとかなるのだが。(笑)

以前、三重で習っていた時の先生が「畳一畳あればできる」と仰った。
でも、そのやり方を教わっていない。(汗)

多分、ひとつの技を反復練習するという感じなんだと思う。
例えば攬雀尾(らんじゃくび)、楼膝拗歩(ろうしつようほ)、野馬分鬃(のまぶんそう)等は、弓歩と虚歩の前後の動きをループさせ、延々とその場から動かずに練習できる。
しかも、これがやたら気持ちいい。

下手に套路を通すより無駄な力を抜く練習になるし、なによりとても気を練ることができる。
練習場所は狭ければ狭いほど気持ちいいことができるということだ。(笑)

2013年5月20日月曜日

腰をゆるめる

毎日、型の練習をしながら、最低限気を付けてることがある。
腰をゆるめること。

弓歩で立っている時は後ろ足を伸ばさないといけないので、腰もやや緊張したような感じになるが、
少なくとも虚歩の時はしっかりゆるんでないといけない。

全ての技は腰でコントロールしているわけだから、腰が緊張していると次の動作にすぐに移れない。(と、思った)

通常、人間は、五感で感じたことを脳で受信して、それによって指令を出し、体の各部が動く。
要するに一旦脳を介して動いているわけだ。
しかし、実際実戦でそんなやりとりをしていたら、相手の動きを察知して次の動きに移るまで間に合わないだろう。

条件反射ではないが、熱い鍋に手を触れた時は脳まで信号が行かず脊髄がそれを感知しそしてすぐに指令を送るらしい。
だから大やけどをせずに済むのだ。

又、腹はリトルブレインとも言われる。
食べたものを消化したり吸収したりしているのは脳が指令を送っているのではなく腸自身が判断して自分で行っているらしい。
いわゆる腸は第二の脳なのだ。

だから、実戦では腹(丹田)で考え腹(丹田)で動くという感じなのだろう。(私の勝手な推測です)
だから腰をゆるめておかないと機敏な動作ができないというわけだ。

それに腰をゆるめれば、いろいろ意識しなくとも全てがゆるんで自然と正しくきれいない姿勢になる。
含胸抜背(がんきょうばっぱい)とか立身中正(りっしんちゅうせい)とか尾閭中正(びろちゅうせい)とかイロイロ意識しなくとも腰さえゆるめれば背筋も肩も腰も股関節も膝も全部が緩んでくれる。

いろいろ考えながらやるのが苦手なので、「どれかひとつ」と、絞り込んだ結果だ。

2013年5月17日金曜日

簡化太極拳について

簡化太極拳に関しては様々な意見があり、賛否両論だが、
私はと言うと、今はまだ結論は出さないことにしている。

理由としては、私自身が目指す太極拳を未だ到達していないからであり、そこまで到達した時に改めて簡化太極拳について考えてみたいと。

因みに私が求める太極拳は最終的には瞑想状態で行う太極拳で、自分の体が消えていくような感覚を得、同時に悟りを得たいと思っている。

もちろん、その経過として武術としての太極拳もきちんと身に付けて行きたいと思っている。
見せかけだけの武術ではなく、使える武術だ。
実際に組手をしてみて、その力を出せるようになりたいと。

初めて簡化太極拳を教わった時の感想は、「何故これほど形ばかりにこだわるんだろう?」でした。
伝統太極拳から入った私にとって太極拳は禅であり武術だからです。
いずれもリラックスすることよりもフォームをつくることを徹底され、それがとても窮屈に感じました。

それに演武時間が短いので、気持ち良くなりかけたところで終わってしまうという・・
サビ前で歌をやめてしまうような、
メインディッシュが出る前に食べるのを止めてしまうような、
そんな感じです。。

「楽しいか?」と聞かれれば決して楽しいとは言えませんでした。
クルマの運転に例えるなら、私は車の運転方法を教えて欲しいのではなく、運転の楽しさを教えて欲しいというタイプですから。

少なくとも私は、まだまだ未熟ではあるけれど「太極拳ってこんなに楽しいんだよ」「こんなに気持ちいいんだよ」ということを伝えていきたいなと思っています。

2013年5月16日木曜日

初心忘るべからず

どうも昨日張り切って練習し過ぎたようだ。。
全身筋肉疲労で、太腿は軽い筋肉痛。

寝込んでいた5日間のギャップをなんとか取り戻そうと、陳式立禅を数回行い、圧腿(あったい)も。
85式太極拳を3回通し。
本当は三体式(さんたいしき)もやりたかったのだが、こちらは断念。

特に陳式立禅(低い姿勢の馬歩で行う立禅を私は勝手にこう呼んでいる)が効いたようだ。

これをやると短期間で足腰が安定するから辛いながらもまめにやっているのだが、
1回で長時間頑張るより1~2分を1日に何回もやるほうが効率がいいようだ。

いずれも太極拳を始めたばかりの時、膝が痛くなったり、太腿が筋肉痛になったりしたことを思い出した。
要するに初めての人がこれだけのメニューを急激に行うとどうなるかということを経験できた。(笑)

因みに85式太極拳を1回でも通すと、気道の通りが良くなり、痰の切れも良くなる。
ゆっくり動くので息切れすることもなく、それでいながらじんわりと軽い汗をかく。

太極拳は心臓に負担を掛けることなく代謝効率を良くすることが出来るということが解りますね。

2013年5月15日水曜日

呼吸するように動く

うかつにも今年の風邪とやらにやられてしまいました。。
喉に異常を感じた時点で対処していれば良かったのですが、健康に自信をもちすぎ、つい油断を。。

それにしても病み上がりの太極拳は格別です。(笑)
中5日も空いてしまうとヘナチョコになってしまうと思ったが、逆に余計なものが削ぎ落とされたような感じで、かえって気持ち良く85式*の套路ができました。 (*伝統楊式太極拳のこと)

そこで、ふと感じたこと。
呼吸するように動いてみたらどうかと。
いや、普通の呼吸だとテンポが速くなるから深呼吸するようにやってみたらと。

中には呼吸とリズムが合いにくい技もあるけど、ひとまず吸いながら相手の攻撃を受け流し、吐きながら打つという感じでしょうか。
特に起勢(きせい)、攬雀尾(らんじゃくび)、楼膝拗歩(ろうしつようほ)、倒輦猴(とうれんこう)、分脚(ぶんきゃく)、踵脚(とうきゃく)、玉女穿梭(ぎょくじょせんさ)、野馬分宗(のまぶんそう)は呼吸との相性がいい。
逆に呼吸に合わせて行った方が無駄な力が入ることなく、とてもナチュラルな動きになる。
それになにより気を感じるスピードが圧倒的に早い。

まさに気の海で泳ぐような感じだ。

2013年5月9日木曜日

空気の波紋が見える

昨日、大阪の道場で推手をしている時、ある先輩が先生に吹っ飛ばされ壁にぶち当たっていた。

いつも思うのだが、ずっと見ているわけではないのに、生徒が飛ばされる瞬間に空気がひずみ、その後ドドーンという壁にぶち当たる音が聞こえる。

そのひずみが、空気の波紋のように見える。
まるで漫画のような、或いは攻撃力を大げさに見せるためにCG合成された映像のように。

あれは一体なんなんだろう?

もしかして、あれが頸というものなんだろうか?
いや、気とか頸は肉眼で見ることはできないはずだ。

それとも、壁に当たった衝撃で部屋全体が揺れるのを見てそう思ってしまっているのだろうか。

そういえば、私は幼いころから空気の揺らぎをよく見ていた。
何か一点を集中してみていると、やがてそこからモヤモヤとした煙のようなものが見え、その周りが闇と光が融合したような映像になってくる。

それと何か関係があるのだろうか?

なんか太極拳とは関係のない話になりそうなので、今日はこの辺やめておきます。(笑)

2013年5月8日水曜日

あえて大架式から始める

サークルを立ち上げる前、どの太極拳から始めようか少し迷った。
といっても、伝統楊式太極拳か九十九式太極拳かどちらかといった感じだが。

私が初めて行った教室では、伝統楊式太極拳を大架、九十九式太極拳を小架と呼んでいた。
確かに大架は大きくのびのびとしたイメージで、小架は小ぶりで緻密なイメージだ。

因みに楊式太極拳の基本歩形はいわゆる弓歩(きゅうほ)、
一方、九十九式は中定歩(ちゅうていほ)と言われる形意拳や八卦掌で用いられる歩形だ。

弓歩は前足が実(じつ)になり、後ろ足が虚(きょ)になる。
比率は7:3ぐらい。
中定歩は逆に前足が虚になり、後足が実になる。
比率は4:6ぐらい。

因みに“実”は体重の掛かっている方の脚で、軸足ともなる。
一方、“虚”はその支えになる脚、或いは次の動作に移るための準備状態にある脚を示す。
太極拳ではこの“実”と“虚”をはっきり分けなければいけない。
これを分虚実(ぶんきょじつ)という。

一応、勉強してます。(笑)

私は大架式から始めた。
今思ってもそれが良かったと思うし、サークル活動も大架から始めることにした。

理由としては、動きがシンプルで覚えやすく、しかも実と虚がハッキリしているから、それを体得しやすい。
それに太極拳はまず脚から作っていかなくてはいけないが、大架の場合、脚力やバランス感覚を養うにはうってつけだ。
その分、最初は腿や膝が痛くなるが、それは脚力を養うための通過点であり、慣れてくればラクラクと動けるようになる。

もし、これを労わってばかりいたら、いつまでたっても脚力は養われないし、土台となる脚がつくられなければ、肩や腕に余分な力が入ってしまう。
脚力のなさを上体でかばおうとしてしまい、手の動作が固くなり、おまけに尻まで出てくる。
こうなると気が沈むどころか上にあがってしまい、いつまでたってもフラフラしながらの演武になってしまう。

そもそも人間は使わないものは退化するしくみになっている。
頭を使わなければ能力が低下し、体を動かさなければ体力が低下する。
だから、脚を使わなければ脚が退化してしまうのだ。(私はデスクワークを始めてからこれを痛感した)

スカイツリーが東日本大震災でも倒れなかったのは基礎と土台がしっかりしているからだ。
野球でもボクシングでも、まずは走ることを徹底的に練習する。
脚をつくらなければ、力の抜けた良いプレーはできない。

だから、太極拳を太極拳として習得するなら大架からと。

2013年5月7日火曜日

やりたい中国武術

私が太極拳を始めた時、中国武術は少林拳と太極拳ぐらいだと思っていた。

映画で酔拳や蛇拳というのがあったが、あれはあくまでも映画上の架空の武術だと思っていた。
が、実際にあるんですね。(笑)

初めて行った太極拳教室では、太極拳の他にも武器を使う武術を教えていた。
刀と剣だ。
正直カッコイイと思ったし、
あれをやるためにもまずは太極拳を頑張ろうと思った。

ある日、先生が一人でなにやらとクルクルと円を描きながら見たこともない不思議な型をされていた。
あとで、「あれはなんだったんですか?」と尋ねると、先生は「ん?なんだろう?」と。
先生も無意識だったみたいです。(笑)

あとで、解ったのだが、それは八卦掌(はっけしょう)という中国武術だった。

私は映画等の影響で、昔から円を描くような動きの武術にとても憧れていた。
派手な後ろ回し蹴りや飛び蹴りもカッコイイと思ったが、まるでバレエでも踊るかのように敵の攻撃をかわし、敵の不意をついて吹っ飛ばす。
その息も切らさず敵を蹴散らしていく動きはカッコイイというより“美”を感じてしまった。

だから、カッコイイから美しいに転向です。(笑)

今、形意拳を学んでいるが、私的には八卦掌に進むための課題だと思って取り組んでいる。
(形意拳を極めるために日頃頑張っておられる方には大変失礼なのですが・・)

私は剛より柔、直より円をやりたい。
だから今後、楊式太極拳、陳式太極拳、八卦掌
この三つを極めていきたいと。

太極拳は他に呉式や孫式、武式などもあるが、これらの流派は楊式から派生したものなので、
陳式と楊式をやりこんでいけば自然とこれらの流派も感覚的に理解が出来るのではないかと考える。(あくまでも私の中でだが)
そもそも型だけたくさん覚えても使えなければ意味がないし、それよりも私の最終目標は型のない世界だから。

性格的に100を覚えるより1を極める方が好きだし、
今までいろいろ学んできたけど、結局、毎日欠かさず練習してるのは楊式太極拳だけだから。

楊式太極拳は私にとっては御馳走です。(笑)

2013年5月6日月曜日

少林サッカーでの太極拳

今、洗い物をしながらふと思った。

そういえば、かつて少林サッカーという、かなりふざけた映画があったが、あの強力なドーピング相手チームに勝てたのは太極拳の力があってこそだと思いだした。

ここからネタバレです。(笑)

あの映画での太極拳の活躍ぶりは結構、鳥肌もんだった。
キーパーが倒れてしまい絶対絶命のピンチの時、途中から救世主的存在として太極少女が登場。

炎をあげ強烈な勢いで飛んでくるシュートボールを太極少女がくるりと回転しながらボールを捉え、そのボールを主人公のチャウシンチーにパスし、それからのシュートが決勝打となった。

すみません、サッカーのルールを全然知らないのデタラメな用語を言ってしまったかもしれないが、
とにかくあの映画は100%アリエネーながらも底抜けに楽しかったし、少林拳と太極拳のタッグによって勝てたことがないよりストーリーとしておもしろかった。

今思えば、あの強烈なシュートボールを捉えた技は攬雀尾(らんじゃくび)の履(り)になるのかな?

太極拳では、相手の力を受け流しバランスを崩させたり、相手の力を無力化したり、相手の力をそのまま生かし攻撃に転じたり。
本当によく考えられている。

相手の力を利用するからこちらは全然疲れない。
それに、力を使わず意を使って戦うから
息を切らすことなく相手をバタバタ倒していくことができるわけだ。

やっぱり太極拳ってカッコイイ!

2013年5月5日日曜日

目標は破壊し気化すること

ちょっとマニアックな話になってしまいますが、
今、気功と太極拳を行っているが、自分が最終的に行きつきたいところは“気化”すること。

あるときふと思った。
今、自分があると思っている肉体って本当にあるのだろうかと。

ある日、もし敵と対戦状態になった時、自分が最も有利な形はと瞑想してみた。
その結果は戦うことではなく、自分の肉体が消えてしまうこと。
実は映画マトリックスを見てそのことを感じた。

自分が消えたと思えば、闘争心をもつ必要もなく、相手の動きを事前に読み取り、全ての攻撃を力を使うこともなくかわすことが出来る。
そのうち敵は力尽きて戦闘をやめてしまう。

そもそも人間の体を構成するアミノ酸を分子的にみると、その形は原子と電子になる。
いわゆる、太陽の周りを回る地球のように、原子の周りを電子がぐるぐる回っているわけだ。
その原子と電子の距離は想像を絶する程の距離がある。

例えば原子の大きさを1㎜とした場合、電子までの距離は50mにもなるという。
50メートル??
ようするにスッカスカなわけだ。

だから、目に見えている肉体は実は個体というより気体に近いと言える。
まあ気体の場合は空間を自由に飛び交っているのだが、それが人間の形としてうごかずにいる状態といおうか。
イワシが群れで泳いでいる時に、何か大きな生き物に見えるのと似ているように思う。

話がちょっとヨガ思想的になり過ぎたので無理やり戻します。(笑)

私は今、フォームを重視して太極拳の練習に取り組んでいる。
その理由は、いずれフォームから脱したいからだ。
なら、最初からフォームなど気にせずにやればいいと思うかもしれないけど、
フォームがない世界はフォームがある世界をまずやらないと、それが武術的に活かせるのかどうか解らない。

なので、最初はかっちりフォームを身に付け、
そして、その形の枠を徐々に外して行き、無駄な動きを排し、
やがて気の海で泳ぐよう、自分の中でうごめく気の向くまま、そしてその気を自在に操れるよう、
最終的には気化したいと考えている。
これは誰から教わったことでもなく、自分の中から沸き起こってきた感覚。

そもそも人類の歴史を振り返ると創造と破壊を繰り返している。
どんなに立派なビルを建ててもミサイル一発で木端微塵だ。
子供の頃、積み木やブロック等で想像上の建造物をつくり、そして完成するとそれを思いっきり壊していた。
あの快感はなにものにも代えがたい。(笑)
要するに破壊したいがために作っているのだ。

太極拳にしてもしかり。
今自分がやっていることは破壊するために作っている。
そのためにもまずはちゃんと完成させなければならないのだ。

いつか、ぶっ壊すのが楽しみだ。(笑)

2013年5月4日土曜日

ウォーターバッグ

先日、大阪の道場で先生と散手を行った。
攬雀尾(らんじゃくび)の用法だ。

私が先生の突きを右手、左手の順で受け流し、その後、大きく踏み込みながら両手を合わせた形*で先生の肩に打ち込む。
*擠(せい)の形

その時に感じたのだが、先生の肩に打ち込んでも先生は全くよろけないのだ。
というより、ゴムまりのような、
或いはサンドバッグではなくウォーターバッグ?にでも打つような感覚と言おうか。

結構、力強く打ったつもりでも、ボヨンと吸収してしまうのだ。
先生の足は微動だにしていない。

なるほど。気功と太極拳の鍛錬を続けて行くとこうなるのだなと思った。

太極拳には攻撃がほとんどない。
常に相手が攻撃を仕掛けてきたことを前提に技がつくられている。
いわば護身のための武術だ。

相手の力を借りて打ち返すというパターンが多いが、その上、この打撃を吸収する体が作られてくれば、まさに向かうところ敵なしだ。

そういえば、映画:太極英雄の中でも、チャン老師が敵の攻撃を腹に受けてもゴムのようにボヨンと打ち返していた。
まさにアレだな。(笑)

先生はどちらかというと一見栄養失調気味に見えるほどヒョロヒョロ体型なのだが、攻撃も素早く、打ってもゴムのようでまるで歯が立たない。
もしかして先生はゴムの実を食べたのだろうか。(笑)

2013年5月2日木曜日

刀は指揮棒のように

子供の頃、指揮者になりたいという夢がありました。
学校の合唱コンクールでも指揮者に憧れました。
しかし、勉強ダメ、運動ダメ、いつも大人しい私がクラスの中心的人物になれるわけがありません。

夢が叶ったのは高校に入って2年になった時。
ブラスバンド部で初めて指揮棒を振って、最高の気分を味わった。

が、その4か月後、都合により自主退学したので夢はそこで終わってしまった。

今、7月の全日本出場のために太極刀の練習をしているが、最近ようやく無駄な力が抜けてきた。
刀を強く握るとうまく操れなくなるので、親指と人差し指だけで握るよう、あとの指は添えるだけのような感じで練習したこともあるが、お蔭で指にボッコリと刀ダコが出来てしまった。

その後、練習を積んでいくうちに刀がどんどん軽くなっていく。
そして今や指揮棒を振り回すかのごとく軽いものになった。
伝統楊式太極刀は実際500gあるのだが、今は50gぐらいのように感じる。
きっと必要な筋力が養われたのだろう。

そんなこんなで、始めたばかり頃に比べたら、刀をかなり自在に操れるようになった。
スローも、クイックも、スロークイックも、クイックスローも、刀の軌道も思うがままに。

それはまるで指揮棒を振りながら演舞しているような感覚。
夢の続きは太極刀で再開されたというわけですね。(笑)