ちょっとマニアックな話になってしまいますが、
今、気功と太極拳を行っているが、自分が最終的に行きつきたいところは“気化”すること。
あるときふと思った。
今、自分があると思っている肉体って本当にあるのだろうかと。
ある日、もし敵と対戦状態になった時、自分が最も有利な形はと瞑想してみた。
その結果は戦うことではなく、自分の肉体が消えてしまうこと。
実は映画マトリックスを見てそのことを感じた。
自分が消えたと思えば、闘争心をもつ必要もなく、相手の動きを事前に読み取り、全ての攻撃を力を使うこともなくかわすことが出来る。
そのうち敵は力尽きて戦闘をやめてしまう。
そもそも人間の体を構成するアミノ酸を分子的にみると、その形は原子と電子になる。
いわゆる、太陽の周りを回る地球のように、原子の周りを電子がぐるぐる回っているわけだ。
その原子と電子の距離は想像を絶する程の距離がある。
例えば原子の大きさを1㎜とした場合、電子までの距離は50mにもなるという。
50メートル??
ようするにスッカスカなわけだ。
だから、目に見えている肉体は実は個体というより気体に近いと言える。
まあ気体の場合は空間を自由に飛び交っているのだが、それが人間の形としてうごかずにいる状態といおうか。
イワシが群れで泳いでいる時に、何か大きな生き物に見えるのと似ているように思う。
話がちょっとヨガ思想的になり過ぎたので無理やり戻します。(笑)
私は今、フォームを重視して太極拳の練習に取り組んでいる。
その理由は、いずれフォームから脱したいからだ。
なら、最初からフォームなど気にせずにやればいいと思うかもしれないけど、
フォームがない世界はフォームがある世界をまずやらないと、それが武術的に活かせるのかどうか解らない。
なので、最初はかっちりフォームを身に付け、
そして、その形の枠を徐々に外して行き、無駄な動きを排し、
やがて気の海で泳ぐよう、自分の中でうごめく気の向くまま、そしてその気を自在に操れるよう、
最終的には気化したいと考えている。
これは誰から教わったことでもなく、自分の中から沸き起こってきた感覚。
そもそも人類の歴史を振り返ると創造と破壊を繰り返している。
どんなに立派なビルを建ててもミサイル一発で木端微塵だ。
子供の頃、積み木やブロック等で想像上の建造物をつくり、そして完成するとそれを思いっきり壊していた。
あの快感はなにものにも代えがたい。(笑)
要するに破壊したいがために作っているのだ。
太極拳にしてもしかり。
今自分がやっていることは破壊するために作っている。
そのためにもまずはちゃんと完成させなければならないのだ。
いつか、ぶっ壊すのが楽しみだ。(笑)