信じたいか、信じたくないかでいいと思う。
「気」の存在の話である。
科学的に証明できないものはあり得ないと思う人もいれば、
科学的に証明できるものは容易いと考える人もいるだろう。
私は気の存在を信じてるんじゃない。
信じたいんだ。
そもそも元気とか、病気とか、気に掛けるとか、気を使うとか、気のせいとか、気がするとか、
信じてなくとも我々は普段から「気」という言葉を多用している。
「気のせいだろう」とある人が言う。
なら、その気とは何?
気を認めていることにならないだろうか。
「気を使う」といいのもなんだろう?
気を使われると嬉しかったり、或いはちょっと迷惑だったり、
なら、その気とは何?
科学的に証明できないものは存在しないと断定してしまうと、宇宙の存在そのものを否定してしまうことになる。(と思う)
つまり自分自身をも。
人は一から人間を作り出すことはできないのだ。
気は人にやさしい。
気に包まれるととても心地よく、そして勇気が湧いてくる。
当サークルでは、気を集めるための準備から始め、そして気を集め、練り、そして発する練習をする。
ろうそくの火を消したり、人を吹っ飛ばしたりそういうことをするのではない。
誰でもが欲しいと思う、優しさや、勇気、力強さ、幸福感を得るために気を集める。
その方法は?
逆に考えれば優しさや勇気が得られた時の状態から時間をさかのぼってみれば、どうやってそれを手に入れたかがわかるはず。
気は信じたい人、信じる人を好み、そして自分の周りに集まってくる。
少なくとも私は気と仲良しだし、お蔭でいつも元気だ。