結論から言えばそんなことチマチマ考えていたら、武術としての太極拳として成り立たないし、気にしてる間に敵にやられてしまうだろう。
が、私はサークルで手の位置や足運びを丁寧に指導する。
それはなぜか?
正確な動作を身に付けるため。
太極拳の技はとても精巧につくられている。
10センチ、いや5センチでもずれると技として成り立たない。
特に防御の動作は10センチもずれると確実に自分の身体に攻撃を受けてしまう。
攻撃もしかり。
急所を外してしまったら、相手の反撃によって深刻なダメージを喰らうかもしれない。
だから、なにがなんでもヒットさせなければならない。
野球では投げた球がボールになっても、空振りになっても死ぬことはないが、武術では生死がかかっている。
それに、もうひとつ。
集団演武をした時に形が揃っていないと美しさを損なう。
だから、全員に対しオリジナルに則った同じ動作やフォームを指導している。
ところで、私は自主練をしている時に様々な型を練習するが、
その日によってスピードも、フォームも動作も違う。
手の位置や足運びも違う。
それは動作を気にしながら套路を練っているのではないからだ。
その日の自分の中にあるものが自分の体を動かす。
それに、攻撃する手の位置にしても、日替わりだ。
今日は顔面を狙ってみようとか、今日は心臓を狙ってみようとか。
防御にしても、制定拳で教えられるように必ずその位置に手や足が飛んでくるわけではない。
臨機応変に対応できなければそれは武術とはいえない。と私は思う。
集団演武をする時は基準に則って美しく。
そして自分一人でやる時は心地よさを求めて、瞑想を求めて、技のイメージトレーニングとして・・
同じ套路を練るにしても、毎日違うのだ。
だから、太極拳って飽きないんだな。
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