先日、仲間がこんなことを言った。
鏡を見ないでも自分の感覚でわからないかと。
いわゆる鏡ばかり気にして動くのではなく、自分で自分を感じながら見るという感じだろうか。
そういえば、かつての私はそうだった。
独習期間が長かったことと、練習場所が近くの公園だったということもあり、当然のごとく鏡がない。
だから、自分で自分を感じながら動いていた。
これが実に気持ちいい。
気が付けば瞑想状態というより陶酔状態に入っていた。(笑)
そもそも太極拳の創始者が敵と戦うために鏡を見ながら技のフォームをチェックしていたとは考えにくい。
というかありえない!(笑)
そんな私が鏡を見るようになったのは、東京から関西に引っ越してきて、教室が変わった時だ。
自分では良いと思っていた型を一から厳しく徹底的に直された。
なぜそのようなフォームになるのか疑問を持ちながらも、先生がとても熱心に指導してくださるから私もそれに応えたいと思うようになっていた。
正直、鏡は好きではなかった。
鏡を見ながら動いている状態というのは、いわゆる形を気にしている状態。
気持ちいいはずがない。
中から動いているのではなく、外から動いているわけだ。
しかし、先生も先輩も鏡を見なさいと仰る。
そして、私は気が向かないなりにも鏡を見るようになり、そして鏡と次第に仲良くなりだした。(笑)
いわゆる、フォームが決まらない時は気持ち悪いのだが、鏡に映った自分のフォームが決まっている時は実に気持ちがいい。
が、気持ちのいいが違う。
鏡が気持ちがいいのは、どちらかというとナルシスト状態。
鏡を見ない気持ちよさは、どちらかというと自己陶酔状態。
体を動かすことの気持ちよさに酔ってるという感じだろうか。
結果、同じか。(笑)
因みに私の部屋には大きな鏡が据えてある。
そして、昨夜、仲間の言葉を思い出し、鏡を見ないで動いてみた。
そして定式の時にチラッと見てみる。
特に問題ないようだ。
いや、むしろ鏡を見ない方が自然なフォームになっているような気がした。
いずれも、練習場所に鏡がある環境とは限らないので、鏡がある時はそれをうまく利用し、なければないなりの練習をすればいいと思った。
が、気を付けたいのは、鏡を一切見ない、ビデオも撮らないでやっていると、何かおかしなところが出てくる。
陶酔状態に入ると、首が揺れるようになり、目はうつろになる。(笑)
少なくとも、私が知っている伝統太極拳の先生は、気功や太極拳の套路に入るとそんな感じだった。
私はこれをヒーリング太極拳と呼んでいる。
しかし、これは試合では通用しない。
首が揺れたり、目がうつろになるのは多分減点されると思う。(笑)
自分の癒し向けの太極拳と試合用太極拳は使い分けないとダメだということだ。
少なくとも試合や表演では“見せる”ことをしなくてはいけないのだから。
まあ、一番いいのは美しく、自分でも気持ちいいことなんだろうが。