2017年9月29日金曜日

目の前にいる相手はいない

今、怪我によって出場できなくなった私の代わりに
弟子に技を教えイベントで実演できるよう指導している。

自分が技をかけるのとは違い指導するのはなかなか難しい。
しかし見ていると全て自分が経験してきたことであり、
かつての自分を見ているようだ。

例えば太極拳の擠勢。(打擠ともいう)
両手を合わせるように重ね、相手を打つ。

これを始めてやろうとした時、相手はうんともすんとも動かなかった。
一体これはどうやって使うのか??
全く解らなかった。

そして何か月か経った時に、だんだん打てるようになってきた。
そして数年が経ちその威力が増してきた。
そして遂には相手を何メートルも遠くへ飛ばせるようになった。

いずれも最初はなかなかうまくいかない。
そこでいくつかのことに気付く。

立禅の重要性。
歩型の重要性。
套路の重要性。
推手の重要性。

これらがきちんと出来ているかどうかを一発でテストすることができる。
いわゆるこれらがきちんと出来ていれば技は掛かるということ。

もうひとつ。
技は掛けようと思うと掛からない。

掛けようという意識の中にすでに力みが生じてるからだ。
それは相手にも伝わってしまう。

だから、
どうするか?ではなく、
どうしたいか?ということ。
現実を見るのではなく未来を見る。

目の前に相手がいる。
そうすると誰もが相手を倒そうとするだろう。
自分が相手より体格や腕力が勝っていれば倒すことはできる。
しかし逆なら?

倒そうとしても逆に倒されてしまうだろう。
壁を殴ったり体当たりするようなもの。

そもそも目の前にいる相手は本当にいるのだろうか?

もし〝いない”と思うことが出来れば、相手の体格や力など考えることもない。

例えば相手が大男なら「無理じゃないか?」と思ってしまうだろう。
そう思ってしまった時点で技は掛からない。

まず結果を先に作る。
あとは無心でそこに向かうだけ。

昔フィーリングという言葉が流行ったが、
技はフィーリングでやるもんなんだ。
少なくとも私は。