2017年9月5日火曜日

ゆっくり動けないものは速くも動けない

私が太極拳を始めて間もない頃先輩から教わったこと。

今は他界され天国に召されたが
先輩が教えてくださったことは今でもずっと心に残っている。

速く動きたいと思うならゆっくり動くこと。

これは私がピアノやベースなどの楽器をやっていた頃に何度も経験したこと。
速くて難しいパッセージを弾こうとする時、速く弾こうとすると速く弾けない。
しかしゆっくり練習していると、同じ時間をかけてもゆっくりの方が圧倒的に速くすらすら指が動くようになる。
楽器をやっていた頃速く上達したい気持ちでどうしても速く弾こう速く弾こうとするのだが、どんどん指に力が入り、次第に肩がこりだす。
全くもって悪循環だった。

ということは?

一見ゆっくりで弱弱しささえ感じる太極拳はその速く動くための鍛錬であることがわかる。
むしろ速く動く練習をしている者よりも速く動けるようになる。

私はまだまだだが、他の太極拳の先生方の動きを見ていると、ゆっくりなのだが、信じられない程速い動きができることを何度か目にしてきた。
その動きはもう目では追えないほど。
手が何本にも見える。

また、緩み方を知らなければ力を出すことも出来ない。
私は普段から力まず緩むことを徹底指導しているが、
それは緩んだ方が大きな力を出せるようになるからだ。
逆を言えば小さな力で済むということ。

それでもまだ筋力に頼ろうとしている人もいる。
その気持ちもわからないでもない。
しかし、もっと速くもっと大きな力を身につけるためには、
今までの習慣を捨てなければならない。

完全に力を抜いてしまったら立てないではないか?
と言われそうだが、確かにそうだ。

ある日ある年配の会員さんに「力を抜いて」と言ったら、
いきなりくにゃあ~っとなってその場崩れそうになるほどよろめかれた。
まるでミニコントでもやってるような場面だったが、
力を抜くというのは無駄な力を抜くということであって、完全に力を抜くことではない。

このムダは省くことを脱力と言う。
どうか誤解のないよう。

そして無駄な力が抜けた時に、
最終的には体を支えるための最小限の筋力となる。

こうならないと入ってこないものがある。

気のパワーだ。
気のパワーはゆるんだ状態の体に入ってくる。
体の中にスキマを作ってやらねばならないといういこと。

頭もそう。
頭の中でごちゃごちゃいろんなことを考えていると、決して悟りは得られない。

悟りとは宇宙と繋がること。
習ってもいない知識が頭の中に入って来る。
大きな感動と共に恐れが消滅し喜びに満ちた状態になる。
会う人すべてを理解でき、すべての人を愛することができるようになる。
どんなに勉強しても決して得られないこと。修行あるのみ。

太極拳を10倍楽しもうと思ったら、
まずは無駄な力を省くこと。
この脱力を繰り返し最後に鬆開(しょうかい)という境地を目指す。

私はこのムダを省くため、今、ひたすら立ち、ひたすら歩いてる。
するとどんどん肩が軽くなり、体が軽くなり、
そして中から燃えるようなエネルギーが生み出されるのを感じる。

とはいうものの、まだまだ力んでしまうこともしばしば。
更に修行に励もう。