今日は仲間と6時間に及んで練習した。
その時の会話だが、
人は太極拳の成長段階において、勁力を意識したり、
勁力が目覚めだすと
下手になったように感じる。
いや、実際下手になる。
実はこれはとても大事なこと。
試合を引退してからというもの解放感とともに
自分の中身が劇的に変化してきた。
見た目にはわからないと思うが、明らかにかわってきている。
筋肉を鍛えるための站椿功をやめ
低い架式で演武するのをやめ
ストレッチもやめた。
ただただ、水になり、風になろうとしている。
この過程の中で、一度下手になったような感覚を味わった。
いや、実際下手になった。
体を筋肉で支えようとすることをやめたからだ。
お陰で両足で立っていてもぐらぐらしたり
片足になろうものならぐら~っと倒れそうになる。
生徒からも
「先生、今日ぐらついておられましたが大丈夫ですか?」と言われる始末。
多分こうなるだろうなとは思っていたが案の定だった。
勁力を開発するにはちょっとした勇気がいると思う。
今までやってきたことを捨てて体の使い方を一から変えなくてはいけないから。
逆に今までのやり方にしがみついていると
勁力が目覚めることはないと思う。
すべてを完全にオフにした時
「さあ、どうする?」ということ。
こんにゃくを縦にして立てようとするようなもの。
そんな話をしながらも、
仲間と推手である実験をしてみた。
実験内容は師の許可を得ていないので秘密だが
推手で相手を崩す方法は力の出し方やタイミングだけではないということ。
意識を180度切り替えると、
力を使わず意のままに崩すことができる。
以前、推手交流会である先生が河原に生えている草をむしり取り
その細い茎の先端を私の手に当て力を加えてきた。
ここで驚いたのは、手には確実に力が伝わってくるのに
その茎がまったく折れなかったということ。
勁力というものがどういうものかを知るほんの一例だが、
この世界はとてつもなく深く、そしておもしろい。
それにこのチカラは心と身体をほぐしゆるめてくれる。
そして小さな力で大きな力を使うことができるようになり
武術に限らず生活や仕事にこのチカラを生かせるようになる。
当会ではこのような勁力を身につけるための練習を毎日行っている。
まとめとしては
大きな力を身につけるために、
下手になることを恐れないこと。