2020年12月30日水曜日

カッコ悪さを心掛ける

普段私が心掛けていることです。

といっても今は習慣化していますが・・

因みに格好悪さを目指し始めたのは武術を始める前からでした。

例えば人前でスピーチする時など完璧にやろうとするのではなく、「どれだけ不完全にできるかやってみよう」と心がけていました。

ハードルを足元まで下げるんです。
こうすることでリラックスすることが出来、すらすら喋ることが出来ました。

このことは武術にも取り入れています。

カッコ良くやろうとは絶対に思いません。
そんなことを思って自撮りすると、とんでもない映像を目の当たりにすることになります。

カッコイイというのは結果であり、目標ではないと思うからです。

カッコ良くなるためには、カッコ悪いことをどれだけやったか?

これに尽きると思います。

因みにカッコよくやろうとするとどうなるでしょう?

ガチガチの動きになります。
勁力落ちます。

良いことはひとつもありません。

動きが滑らかで勁(ちから)が出せる状態は自然体です。
もっと言えば超自然体です。

超自然体の中に人目の意識はありません。

逆を言えば人目を意識しなくなれば、動きが滑らかになり勁力が上がるということになると思います。

目指すはカッコ良さではなく、超自然体です。



2020年12月24日木曜日

動中求静の次は静中求動

動中求静の次は静中求動を目指す。

そもそも動中求静とは雑念のない超脱力状態で、天地と繋がりながらゆっくり動くことを意味していると私は解釈しています。

私は風と水が大好きですが、風に吹かれたり、波にゆられたりしていると、ずっとでもそうしていたくなります。
その時の心の状態は雑念がまったくなく、とても安定しています。
上がることも下がることも自由自在にできる状態といいましょうか。

太極拳ではまず套路を覚えます。
できるだけ早く覚えてしまいましょう。

太極拳はゆっくり長く続けることが大事といわれますが、套路をゆっくり覚えるということではありません。
套路を覚えた段階ではまだ太極拳の力の半分も出せていないということが後に解るようになります。

套路を覚えたら「覚えなきゃ」という気持ちを捨てましょう。
なんなら忘れたっていいのです。

私は忘れてもいいように、自撮りした動画を保存してあります。
忘れたらそれを見て思い出すようにしています。

なかなか覚えられないという人は目標を立てていないのではないでしょうか?

「いつまでに覚える」と決めるんです。
そうすれば覚えられます。
逆に覚える気がないなら10年経っても覚えられません。

とにかくさっさと套路を覚えてしまいましょう。
なぜならその後にやることが山ほどあるからです。

歌に例えると、歌の歌詞を覚えただけでは歌にはなりません。
単なる棒歌いになってしまいます。
歌詞を覚えたら気持をこめて歌えるよう心と技術を磨きます。

太極拳も同様に、套路を覚えたら、心で動けるよう技を磨きます。
心を磨くために技を磨き、技を磨くために心を磨きます。

因みに技だけ覚えてもなんにもなりません。
DVDや動画サイトを見ながら技を覚えても、その技は使えません。
覚えただけの技は自分より上手の相手に利用されてしまうだけです。(経験談)

本題に戻しますが、
動中求静は套路を覚えてしまわないと意識できないことです。
静中求動はもっとです。

雑念のない超リラックス状態で動くには、なにがなんでも套路を覚えてしまわなくてはなりません。
忘れたくとも忘れられないぐらいに。

そして次に、止まっているかのように見える動作の中で、呼吸、脱力、気の流れ、重さの流れなどを意識するステージに上がります。

この世界は実に素晴らしいです。

手足ビリビリし、体が風船のように膨らみ、体の中を気が突き抜ける感覚、空間に溶けて行くような感覚、不安も恐怖もまったくない心が膨れ上がったような感覚、体全身が光体になったような感覚・・

もし太極拳を始めて数年でこのような感覚があるとしたら、それは嘘かもしれません。
知識が先行し架空の真実を作り出すことがあるからです。(私は何度も騙されました)

信じることも大事ですが、疑うことも大事です。
「未来を信じ今を疑う」という感じでしょうか?

とにかく、素晴らしい世界に入るためにも套路をさっさと覚えてしまいましょう。

早く覚えるための方法はひとつ。
目標を定めること。

是非、共に素晴らしい太極拳の世界を楽しみましょう。

※まとまりのない文章になり申し訳ありません。



2020年12月11日金曜日

ゆらぎ

大河の流れの如く。

楊式太極拳ではこのように例えられることが多いです。

他にも
繭の糸紡ぐように。(引き出すように)
金魚をすくうように。

などの表現を使い指導していますが、毎回こんな風に伝えても実際やるとなるとなかなか難しいようです。

「頭ではわかってるけど体が言うことをきいてくれない」

よく聞きく言葉です。
実はこの言葉の中に答えがあります。

いわゆる頭で動こうとするからうまくいかないのです。
体に気が流れ、勁(ちから)生み出させる根源は「心」です。

だからどんなに考えても無理なのです。
もっと言えば考えてはいけないのです。
頭を空っぽにし、心に聞きます。

心の状態が安定していなければ連綿と動くことはできません。
逆を言えば心を鍛えるために体をゆっくり動かしているのです。

人間の行動は心が支配しています。
心の状態が大切ということになります。

指導中、落ち込んだり、自分を責めたり、イライラしたり、ムッとする人をその場で叱ります。
そんな心の状態ではうまくいくものもうまくいかなくなるからです。

今出来ないのは当り前なのです。

そしてうまく行かない時はこう考えて欲しいです。

「うまく行かない方法が解った」と。

うまくなるためには、うまくいかないことをたくさん知ることが絶対必要です。

私自身も常に新しいことに挑戦していますが、出来ないことで落ち込むことはありません。
落ち込んでいる時間がもったいないからです。

常に「今は出来ない」「ならどうすれば出来るようになるか?」
そう考えるだけです。

話を戻します。

楊式太極拳に求められる、大河の流れのような動きは、心の状態をそうすることが大事です。
荒波を立ててはいけません。

1/f ゆらぎをご存じでしょうか?
自然界にあるゆらぎです。
川のせせらぎ、風に揺れる草や木の枝、雨音、蝋燭の炎、などのゆらぎです。

このゆらぎは心をとても安定させる力があります。
いわば心を安定させる力は自然界にいくらでもあるということです。

ということは自然と一体化することが、最強の力を得ることなのかもしれませんね。

心を豊かに安定させるためにも、自然界のゆらぎのように途切れることなくゆっくり動いてみましょう。

この行いは自己開発や自己変革ともとれますが、
いわば心のルネッサンス(再生)であると私は思っています。



2020年12月2日水曜日

自分を恐れない

太極拳で上達するための最短方法はなんでしょう?

私なら迷わずこう答えます。

「自撮りすること」

もちろん、動作を覚えるための方法としてです。

動画は嘘をつかないんです。
しかも動画は過小評価してくれます。
とても厳しい採点をしてくれます。

動画にはオーラまでは映りません。
モニターに映っているのはただただ生生しい無様な自分の姿です。
※私自身のことです

「いい感じかも?」

本当にそうでしょうか?
そう思ってるのは自分だけでは?

大体そういう時に限って自撮りしてみると、地獄に突き落とされます(苦笑)

逆に、
「まだまだだろうな」

こんなふうに思った時に自撮りしてみると、割と良かったりします。

何が言いたいかと言いますと、
自己評価ほどあてにならないものはない!
ということです。

動画を撮って自分で見た時に、「先生が言ってたことは本当だったんだ」知ります。

「自撮りして見るのが怖い」
そう思ってるなら早速自撮りしましょう。

「もうちょっと上達してからにしよう」
その上達する方法が自撮りなのです。

自撮りを先延ばししていいことなんか一つもありません。

つい最近撮った動画でも自分自身の動きを見てガッカリしました。
駆け出しのころは毎回撮り、その都度どん底に突き落とされました。

もし動画を見てもそれがよく見えてしまうのなら、1年前に自分で良いと思った動画を見てみましょう。
或いは先生方の動きと見比べてみましょう。

どうでしょう?
見る力も実力と共に上がっていきます。

自分から逃げていては決して上達しません。
自分を恐れず立ち向かいましょう。

すべて私の体験談です。



2020年12月1日火曜日

練習場所がない!

本当にそうでしょうか?

練習する場所がない。
練習する時間がない。
こういう声をよく聞きます。

逆に私にとっては練習出来ない場所を探す方が難しいです。

家の中なら、居間、台所、廊下、洗面所、トイレ、お風呂、すべて私の練習場所です。

特にお風呂はおすすめです。
湯船に浸かりながら気功を行うと大きなリラックス効果が得られます。
辛いことが続き心が疲れ切っていた時もこうやって心の状態を回復させていました。

外でもどこでも練習します。
マンション住まいですが、外に出たらすぐに廊下があるので、そこで軽く崩拳を打ちます。

エレベーターで降りる時も密室なのでここぞとばかり龍形拳の站椿功を行います。
外に出たら他人に気づかれないよう八卦歩法で歩きます。

近くの公園、駐車場、路地、寺院どこでも練習します。

スーパーやコンビニの中でも練習します。
もちろん套路ではなく太極歩法や八卦歩法を他人に気づかれないようさりげなくやるのです。

実は「他人に気づかれないように」というのはとても大事です。

なぜなら太極拳は武術だからです。
相手に動きや技を見せてはいけないのです。

そう考えるとどうでしょう?
練習できない場所を探す方が難しくありませんか?

トイレに座っている時も雲手や起勢、攔雀尾などをします。
デスクで仕事中の時は座りながら全套路通します。

練習する場所がないと言っている人は単にサボりたい言い訳を探しているだけではないでしょうか?

家族の目があるから練習できない。
関係ありません。
家族がいるからこそ、興味をもってくれたらいいなと思いながら練習します。
最初は鬱陶しがられますがね(苦笑)

しかしここで怯んではいけません。
中途半端にやるから、鬱陶しがられるのです。

毎日続けてみてください。
「熱心だな」に変わります。

ということで、練習出来ないことなんてないのです。
練習を練習と思わなくていいのです。

なんとなくやればいいのです。

私は、映画Shall we dance(日本版)が好きで何度も観ました。
主人公が、仕事中、職場のトイレ、駅のホーム、夜中の公園で練習するシーンがありましたが、あれを見るとかつての自分を思い出し、なんとなくじわっときます。

映画ではハッピーエンドで終わりましたが、私も同じようにハッピーエンドで終わる人生にしたいと思います。

***

「何故、電話ボックスの写真が?」と思われるかもしれませんが、学生時代プロのトランぺッターになりたくて、練習場所に困り苦肉の策が電話ボックスでした。
あれほど大音量を発するトランペットでも練習できない場所はないのです。


















#太極拳
#気功
#奈良
#練習場所
#電話ボックス

2020年11月21日土曜日

「見る」より「感じる」

太極拳は健康体操?

そう思っている方が多いようですね。

しかし私は違いました。
最初から神秘的な技を使う武術だと思っていたので、
太極拳を始める時はとてもドキドキワクワクしていました。

なぜ武術だと思っていたのかはわかりませんが、学生時代なんらかの資料でそれらしいものを見たのかもしれません。

そしてそれは的中しました。
はじめて出会った師は筋金入りの武道家だったからです。

準備運動を終えた後、全員で陽式太極拳の型を通すわけですが、先生、先輩方と一緒に動きながら、今までに見たこともない不思議な動きにワクワクし、同時にこんな踊りのような動きで一体どうやって技をかけるのか??
そのギャップに強烈な興味を抱きました。

型を通した後は個別に指導していただけるのですが、その時間がとても好きでした。
毎回ひとつずつ新しい技を覚えるのが楽しくて楽しくて夢中になっていました。
そして時折「この技ってどうやって使うんですか?」という質問に師は快く答えて下さり、実際にその技を肌で感じさせてくださいました。

今でも一番強烈に印象が残っているのが玉女穿梭(ぎょくじょせんさ)です。
名称の意味は「機を織る美人」という意味になるらしいですが、確かに動きがそれらしく美しいです。
しかし技はそんなイメージをぶち壊してくれます。

師に対し打ち出した拳が、ふわっと空を舞い、気が付けば師は私の側面に。
次の瞬間横腹を打たれ、そのまま床に崩れてしまいました。
のれんをくぐったらいきなりオバケが出てきたかのように、ゾっとしました。

この体験談は今までに何度も書いてきたかと思いますが、今回なぜこの話を出したかといいますと、
太極拳は動画では絶対学べないということを伝えたかったからです。

当時と異なり今は、書籍やDVDも豊富ですし、動画サイトでは無料でそれらを見ることもできる便利な時代になりました。

ここでお尋ねしたいことは、
「そのことに安心していませんか?」ということです。

これらを読んだり見たりすることで、自分が出来るようになったと錯覚してしまうということです。

料理本や料理番組をどれだけ見ても、実際に食べてみなければその味は決して解りません。

太極拳も同じです。
活字や動画の世界とは全く違います。

技の掛け合いにしても、弱く打った時と強く打った時とでは技の掛かりが全然違います。
強く打てば打つほど、強く技が掛かりそのダメージは大きくなります。

最近ではスマホなどの普及で、その場で写真を撮ったり動画を撮ったりすることもできます。
どうしても動きを覚えられない時は、動画を撮らせてあげるようにしています。
しかしすぐにはそうしません。

理由は簡単です。
簡単に与えてしまうとそのものの価値が下がり本人も無意識にその動画の価値を下げてしまうからです。
帰ってからその動画を観ながら練習する人がどれだけいるでしょう?

写真にしても同じです。
ボードに書いたことをすぐにメモに取る人、写メを撮る人、何もしない人がいます。
結果は順番通りです。

太極拳はアナログのように見えますが、細かく分析していくとデジタルになります。
1と0、即ち陰と陽になります。

しかしそのデジタル太極拳をデジタルで覚えようとしても無理です。
どこまでもアナログスタイルで覚えるのが最速方法です。

「見る」より「感じる」
やはりこれが最強です。



2020年11月16日月曜日

気づき

 「太極拳のお陰で」

そんな声を聴きたくて、会の運営を懸命に維持しています。

病気しない。
怪我しない。

そんな丈夫な体を手に入れて欲しくて、この会を立ち上げました。

何故なら私がそうだったからです。
心も体もボロボロの状態からここまで元気になれたのは太極拳のお陰だからです。

太極拳に依存してはいけません。
依存は心も体も弱らせます。
太極拳によってもっと強くなろうと思ってください。

「太極拳で体を壊した」
あり得ません。
指導した通りに稽古しているでしょうか?
師の言葉を無視し我流でやっていませんか?


あなたが今耳を傾けていること。
それは自分の十年後に役立っていることでしょうか?

あなたが今聞き流していること。
もしかしたら一生の財産になることかもしれません。

何を見て、何を見ないか?
何を聞いて、何を聞かないか?
何に感じようとして、何に感じようとしないか?

どちらを選択するかで人生大きく分かれます。


あなたが今選んでいるものは将来の発展につながることですか?
もしかして破滅への道を選んでいませんか?

嘘をつくことが楽なことだと思っていませんか?
人のせいにすることが楽なことだと思っていませんか?

自分の胸に手をあてて考えてみてください。

嘘をつくと苦しくないですか?
人のせいにすると苦しくないですか?

正直に生き、起こること全てが自分に必要なことだと思えば、心が軽く晴れやかになります。

ほとんどの人がこの落とし穴にはまってしまっているのです。

最も大事なことは気付こうとすることです。

太極拳という禅によって、気づきを得て欲しいと思います。



2020年11月12日木曜日

部屋のどこでも出来る太極拳で万病を追い払う

徐々に夜の冷え込みが増してきましたが、決して体を冷やしてはいけません。

「冷え」は万病の元といっても過言ではないです。
風邪の症状や間接の痛み、インフルエンザやノロウイルス、MRSA等の感染症に掛かりやすいのも寒い季節です。
冷えは筋肉を収縮、硬直させ血行悪化を招きます。
血液は常に生命維持に必要な酸素と栄養を体の隅々まで運んでいるわけですから、その血液の流れが悪くなると体調が悪くなるのは当り前です。
だからこそ適度に体を動かすことが大事なのです。
私は子供の頃とても寒がりでした。
寒い季節になると体全身が冷たくなり、冬になるとコタツにもぐり込んだり、ストーブの前にしがみついたりしていました。
その時患っていたのが小児喘息ですが本当に辛かったです。そして、この寒がりは30代までずっと続きました。
しかし太極拳を始めてから異変が起きました。
寒さを感じなくなってきたのです。
部屋にはストーブもこたつもなくエアコンだけですが、冬場の設定温度は18~19度ぐらいです。
部屋の中で太極拳をはじめるとぽかぽか体が温かくなるので、エアコンを消してしまうこともしばしば。
なにより、寒くとも風邪をひきませんし、膝、肩こり、腰痛等の関節痛を起こすこともありません。
太極拳はゆっくり動くので音を立てることもありませんし、周りに迷惑もかけません。
しかも定歩の基本功なら畳半畳のスペースがあれば稽古できます。
極端な話、洗面所やトイレや廊下などのスペースでもできます。
もっと極端な話、ゴミ屋敷でも出来ます。足の踏み場さえあれば出来るのですから。
実際、私は洗面所でもトイレでも廊下でも稽古します。
道具などなにも要らず、しかも足の踏み場さえあれば出来る太極拳で、大きな健康が買えるとなれば、こんなにいいことはないとは思いませんか?
体の状態が衰えると心の状態も衰えます。
最近、情緒不安定な人を多く見かけます。
情緒不安定だけでも生活に支障を起こしますが、心の状態と体の状態は常に同じなので病気を起こす引き金になってしまいます。
一緒に道場で太極拳をやりませんか?
体も心もポカポカになり、病気知らずになりますよ!



2020年11月1日日曜日

もし太極拳に出会えてなかったら?

私が太極拳を今まで続けてきた理由と、これからも続ける理由を一言で言うなら、「安心が得られる」ということでしょうか。

そう思うことは今までに幾度もありました。
そしてその度に、太極拳への感謝の気持ちが強くなります。

人は常に健康を願っていますが、健康のありがたみをどれほど実感出来ているでしょうか?
健康というのは突然現れません。
不調や怪我は突然現れますが、健康は徐々に得られるもので、健康になっていく自分にはなかなか気づかないものです。

私が太極拳を始めたばかりの頃、自分では全く気付かなかったのですが、ある人に「姿勢がよくなった」と言われました。
まったく自覚がなかったので、その言葉をすぐに受け入れることは出来ませんでしたが、今思えば姿勢がよくなったお陰で人生が大きく変わったことに気づきます。

気功指導の時に私がいつも言うことですが、「健康な人は姿勢がよく、病気がちな人は姿勢が悪い」ということです。
姿勢をみればその人の健康状態がすぐにわかります。

姿勢の悪さは体力の衰えや運動を怠ってきた結果であり、自分の体を支える力が弱くなっているからです。
地球の引力により私たちは地球上で自由な生活が送れるのですが、その引力に負けると姿勢が崩れてきます。

足裏を大地に、百会(頭頂)をまっすぐ天に向ける。
これだけで絶大な力(健康)が得られます。

もし太極拳に出会ってなかったら私はどうなっていたでしょう?

外を自由に歩けなくなっていたでしょう。
毎日酷い頭痛に苦しんでいたでしょう。
毎日酷い腰痛に苦しんでいたでしょう。
毎日酷い肩こりに悩んでいたでしょう。
頻繁に風邪をひいていたでしょう。
神経痛にもがき苦しんでいたでしょう。
季節ごとに花粉に苦しんでいたでしょう。
酷い宿便に悩んでいたでしょう。

更に言うなら、
バイクで転倒した時、もしかしたら死んでいたかもしれない。
呼吸器系の痛みが激化し、癌によって死んでいたかもしれない。
流行の感染症にかかって死んでいたかもしれない。

想像しだしたらキリがありません。

冒頭で太極拳を続ける理由を「安心が得られる」と言いました。

では保険に入れば安心でしょうか?

保険は何かあった時にお金を支払ってくれるだけであって、何か起こらないように保証してくれるわけではありません。
もし仮に交通事故で手足を失ったとしたら、自分の手足は一生戻ってきません。
極端な例を出しましたが、実際、頭の片隅でそんなことを考えることがあります。

もし太極拳に出会えてなかったら?

そんなふうに考えると、始めた頃より自分が強くなったこと、健康になったこと、美しくなったことに気づくかもしれませんね。

健康は突然やってきません。
だから太極拳の有難みになかなか気づけないのです。

当会に於いて定期的に稽古に通っている会員さんは皆さんとても元気です。
その元気な顔が見れるからこそ、やりがいを感じるし、今後の意欲に繋がります。

太極拳を続ける理由は「安心が得られるから」といいましたが、
太極拳指導を続ける理由は「安心を得て欲しいから」という願いからです。



未知なる力

当会では伝統稽古に則り毎回稽古で散手(技の用法)を行っていますが、その理由は「結果から原因を知る」ということを目的としています。

ゴールが見えなければ走る意味も解らないし、走ることすらしようとは思わないでしょう。
太極拳も同じで、毎回稽古で行っている気功や套路、推手はどのような目的で行っているのか解らなければモチベーションも上がらないでしょうし、太極拳の修得にも時間が掛かってしまいます。

太極拳で身に付く力は、通常のスポーツやトレーニングではほとんど身に付かない力です。
これを「勁力」と呼びます。

人間は20代半ば過ぎると否応なく老化が始まり、それに伴い体力が衰えて行きます。
体力が衰えると引力に勝てなくなり、転倒したり、立つことすらままならなくなります。

太極拳で身につける力は、引力に勝つ力ではありません。
引力と同化する力です。

難しく考える必要はありません。
指導者の下で正しく太極拳の稽古を行っていれば自然と身に付く力です。

しかし、指導されていることを無視し我流で稽古すると勁力を身につけるどころか思わぬ怪我をしたり体を傷めることもあります。
これは太極拳に限ったことではなくどのような運動、スポーツでも同様です。

さて、太極拳で身に付く力はなぜ他のスポーツやトレーニングでは得られないのでしょう?

それは太極拳の動きに理由があります。
太極拳をイメージする時、「ゆっくり動く」と思い浮かびませんか?

気づかれたかもしれませんが、この「ゆっくり」に秘密があります。

太極拳の他に太極拳ほどゆっくり動くスポーツやエクササイズが他にあるでしょうか?

普通で考えるなら誰もが欲しい力は、大きな力とスピードだと思います。
しかし太極拳は真逆のエクササイズを行います。

しかも熟練すればするほどゆっくり動くことを自分自身に求めるようになります。
それはゆっくり動くことによって得られる未知なる力に気づくからでしょう。

勁力には筋力のように限界がありません。

とはいえ勁力は人を傷つけるための力ではありません。
自分を守るための力です。

最近の車にはそのほとんどにエアバッグが搭載されています。
これによって運転者や搭乗者の死亡事故は激減しました。
過去を振り返ると、50㏄バイクはヘルメットなしでも乗ることが出来、車はエアバッグなど搭載されておらず、シートベルトさえ義務付けがありませんでした。
今から考えると無謀だったと思わざるをえません。

しかし人間はどうでしょう?

車に跳ねられても人間にはエアバッグがありません。
だから車道に出る時は、左右確認を行い、車が走ってこないかどうか十分確認する必要があります。
もしよそ見でもして、車に跳ねられでもしたら、重傷を負うか、或いは死亡に至ってしまうでしょう。

太極拳で身に付く力は、危険をいち早く察知し回避する力です。
同時に体が丈夫になり、怪我の回復が早くなります。
誰もが欲しい力だと思います。

太極拳を始められる方のほとんどが40代前後の方です。
理由は明確です。
体力の衰えを感じる世代だからです。
20代30代は無理が効きますが、40代になると無理が効かなくなります。
そこで本能的に体を動かすことをしなければという衝動に駆られるようになります。

武術は本来最高の養生法でもあります。
その中でも太極拳は最も健康効果が高いと世界中で認められています。

勁力は老化に伴う体力低下を補ってくれます。
そして、その力は次第に筋力以上の力を出せるようにまでなります。
その力は決して暴力に使うのではなく、自分自身を守るために使います。

なぜなら24時間365日、常に自分を守ってくれるのは警察でも警備会社でもなく自分自身だからです。



2020年10月30日金曜日

可能性

当会では、本人の意思を常に尊重します。

例えば、指導員になれる人が特別優れているわけではありません。
本人が指導員になれるよう人一倍努力した結果です。
そうなるまでには涙ぐましい努力があったということです。

プロモーションビデオへの出演や演武会の選抜メンバーに関しても同じです。
特別能力があるからではありません。
そこには本人の意思と努力があるということを忘れないで欲しいです。

いわば強い意思さえあれば才能如何問わず誰にでもなりたいものになれるということです。

仮に本人に演武力があるからといって、私から出演を無理強いすることはありません。
指導員にしても同じです。
それ相応の実力があっても本人の意思を尊重します。

私自身も、特別に頭脳や運動神経が優れいてたわけではありません。
学生時代の私を知っている人なら、当時、どれほど勉強も運動も人一倍劣っていたかを知っています。
思い出しても情けなくなるほどです。

今の私が他人からどう見えているかはわかりませんが、今の私は太極拳によって培われた自分です。
私も人間ですから人から評価されれば当然嬉しいですが、常に人から評価されたいと思っているわけではありません。

カッコいい言い方になってしまうかもしれませんが、自分の可能性を知りたいだけです。
小さな種が天を突くような大木になるように、ひとつの細胞だった自分がどれほど大きく広がれるのか知りたいのです。

今回、何故このような文章を書こうと思ったかは、自分の能力に甘んじて欲しくないという気持ちから始まりました。

「自分は人より優れている」
こんなふうに思って欲しくないのです。

自信を持つことは良いことですが、他人より優れていると思った時点で成長が止まります。

「もっと出来る」

そんなふうに思える人間になって欲しいと思います。



2020年10月19日月曜日

最短!太極拳の套路の覚え方

套路がなかなか覚えられないという人はちょっとした工夫でサクサク覚えられるようになります。

因みに私は24式太極拳を3日で覚えました。

套路は太極拳の総合鍛錬法なので順番や動作は早く覚えてしまいましょう。
その後、姿勢、呼吸、脱力を心がけながら心と体と技をじっくり錬磨していきます。

さて、套路の覚え方です。

①ボイスレコーダーを使って套路名称をゆっくり音読で録音する。(十分間隔をあけて)
②繰り返し聴く。
③レコーダーを再生しながらそれに合わせ覚えたところまでの動作を繰り返し練習する。

これだけです。

この方法なら暗記が苦手な人も、自分で読み上げた套路名称を繰り返し聴くだけで覚えられます。
掃除しながら、料理しながら、洗濯しながら、お風呂に入りながら・・

因みに他人の声より自分の声の方がいいです。
他人の言うことは聞けなくとも自分の言うことは聞けますよね?(笑)
今や誰もが持っているスマホのボイス機能を活用しましょう。

套路名称が頭に入ったら、それに合わせて動いてみましょう。
こうすることで、動作と名称を同時に覚えることが出来ます。

***

因みに当会では套路名称はすべて日本語読みしていますし、日本語読みを推奨します。
理由は、カタカナ中国語で覚えても中国人には通じないし、自分でも意味が解らず、合理性に欠けるからです。

太極拳の套路名称は比喩が使われていることが多いので、日本語で読めばパッとイメージしやすくなります。

私は24式太極拳を中国人の先生に習いましたが、テキストに書かれているカタカナ中国語と、先生の発音とは全く聞こえが違いました。
(ある生徒さんがカタカナ中国語を使っていましたが、その時、先生は怪訝そうな顔をされていました;)

例えば、「ドンジャオ」は「トゥンチャオ」と発音しますが、そもそもイントネーションが違います。
ドンジャオ(→→)と発音しても通じません。
トゥンチャオ(⤴⤵)と発音します。
日本語のように棒読みでも通じるのではなく、中国語や英語はイントネーションで聴きとっているからです。

ドンジャオでは太極拳を知らない日本人にも中国人にも通じません。
蹬脚(とうきゃく)と読めば「あー、脚を上げる動作だな」とすぐに解ります。

今や太極拳は世界中に普及していますが、英語圏では英語名で読んでいます。
例えば、単鞭はSingle whip
これを「シングルホイップ」などと読んでしまうと笑われてしまいます。
「センゴゥウェッ」という感じで発音します。

とまあ余談が長くなりましたが、
とにかく套路はこの方法でサクッと覚えてしまいましょう。

そこから細かな動作を覚え、丹田がグルグルと動き出し、内から外へ膨張感を感じるようになるまで徹底的に練り上げます。

覚えるまでは頭のトレーニング。
覚えてからは心と体のトレーニングになります。

是非やってみてください。



2020年10月16日金曜日

やわらかくなることが強くなること

太極拳で大事なこと。

弛める~開く~繋ぐ~通す

このことをどれだけの人が意識出来ているでしょうか?

私としては動作を覚えた会員さんが少しでも早く次のステップに上がれるよう、毎回のように伝えることなのですが、
実際にそれが伝わっているかどうかは微妙です。
動作を見る限り、どうやらこれらの感覚を身につけるにはある程度時間が掛かりそうです。

本を読んでいて難しい言葉がたくさん出てくると、文字だけ追って全く頭に入らないことがありますが、
言葉の雨を降らすだけでは結局何も伝わらないのと同じです。

だから、指導する時は専門用語を出来るだけ省き、可能な限り日常生活で使う言葉を使うようにしています。

さて、結果はどうでしょう?

人は目の前に出された多くの料理に対し、嫌いな物を避け、好きなものだけにかぶりつこうとしますが、太極拳でも全く同じことが起きます。

流派や型の問題ではありません。
必要だと思って説明しても、好きな言葉だけが耳の鼓膜を通過し、そうでないものは跳ね返してしまいます。

もしかしたら言葉は必要ないのかもしれません。

指導してきてわかったことは、
套路を覚える速さと感覚を掴む速さは比例しないことです。

暗記や計算が得意な人もいれば、それが苦手な人もいます。
逆にそれらが苦手でも、音楽を聴いたり、絵を描いたりするのが好きな人もいます。

いずれもひとつのことを修得しようと思うなら、スポンジのように頭も体もやわらかくすることです。
自分の頭の中だけで学ぼうとしたり、暗記力だけに頼ろうとすると遅れをとるだけです。

禅では「無」になることを求められますが、「捉われ」から自分を解放し、無の状態になることは、先ほども言いましたようにスポンジのようになることです。
形はあるのですが、中身はスカスカです。
たっぷり水を含ませることが出来ます。

その「水」は太極拳に必要な知識、感覚、パワーです。

冒頭で、「弛める~開く~繋ぐ~通す」と説明しましたが、
太極拳で勁(チカラ)を出すことが出来るようになることと、太極拳を学ぶことは同じことのように思えます。

まずは太極拳を楽しみましょう。



2020年10月9日金曜日

女性は勁力を持っている

「女性は潜在的に勁力を持っている」

そんな話を先日のカルチャーで話していました。

なぜ女性は勁力を持っているのか?
それは男性に比べどうしても筋力が劣るからです。

男女平等が謳われ始めてから女性社員のお茶くみ、コピー取りという位置づけは崩壊しました。
現代の女性は男性と変わらないほどの仕事をこなしますし、それ以上であることも多々あります。
家事にしても夫婦で分担するようになり、逆を言えば家で力仕事をすることもたくさんあります。

私は以前美容の仕事をしていましたが、当然クライアントは全員女性です。
それ故に、数多くの女性を見る(観察する)機会に恵まれました。
その時に感じたことは、女性は男性より努力家であり、男性よりチカラを持っているということです。

働く女性は、仕事と家事を両立させながら、肌や髪のお手入れから、メイク、ダイエット、服選び、もう本当に大忙しです。
だから旦那が家でゴロゴロしているとイラっとしてしまうのでしょうね(笑)

私が成人してからのことですが、私が必死で開けようとしても開けられないジャムのキャップを、母親はいとも簡単に開けてしまいました。
この時に確信しました。
女性は潜在的に男性以上の力を持っていると。

またIT関係の仕事をしている時の話ですが、秘書代わりに書記をしてもらっていた女性がいたのですが、私の早口トークと同じスピードでキーボードを打つのには本当に驚かされました。その場で議事録完成です。
当時のIT仲間の中でもそのスピードは断トツでしたが、私の猛烈な速さのスピーチをすべて文章に変換していました。
(因みに今の私は太極拳に合わせゆっくりトークです:笑)

とにかく、そのしぐさを見ていると、無駄な力を使っていないのです。
男は腕の力をめいいっぱい使おうとしますが、女性の場合は肩にも力が入っていないし、肘もだらりとしています。
一体どこの筋肉を使っているのか?
不思議でした。

今思えば体全身の力を使っていたのだと思います。
ジャムのキャップで言えば、その瞬間だけ全身のエネルギーをキャップを開けることに総動員したのでしょう。

これは明らかに勁力です。
というより勁力的な力の使い方です。

つい先日もこんなことがありました。

道場の鏡を磨くのを女性会員のY子さんと一緒に始めたのですが、私がようやく1枚の鏡を磨き終えた時、Y子さんは5枚の鏡を磨き終えていました。
これにはぶったまげました(笑)

まあ、完璧ではなかったにしても、力仕事である鏡磨きを私よりずっと華奢なY子さんが私の5倍のスピードで仕事をこなしたことになります。

ところが何故でしょう?
こと太極拳になるとその力を出せないのです。
出せないのではなく「出し方が解らないだけ」なのだと思います。
なぜなら前述した通り、女性のほうが勁力があるからです。

力で動こうとしない。
肩肘をゆるめる。
必要な部分にエネルギーを集める。
体全身の力を使う。

こういう力を使う時、太極拳らしい姿勢や動きになっているはずです。

当会に来られる会員さんは、きっとそういう力を身につけたいと思って訪れられるのだと思います。

勁力は全身力であり気力なり。

力を入れようとしなければ勁力を出すことが出来るようになります。



2020年10月5日月曜日

四十肩と五十肩について

四十肩と五十肩について考えてみました。

今まで様々な人と接してきて四十肩や五十肩で苦しむ人を見てきました。
腕を上げることが出来ず、本当に辛そうです。
見ているこちらも辛くなります。

さて、四十肩や五十肩の症状が起きる原因とはなんでしょう?

医学的には間接包が収縮することで起きるとされていますが、関節の動きをスムーズにするための潤滑油を包む袋が潰れてしまったような状態になるわけです。

オイルを入れないで車を動かそうとすると車は壊れてしまいますが、まさに肩がそのような状態になっていることになります。

25年間予防医学を勉強してきて、私の知る限りで言えば、これら関節の症状の根本的な理由は、老化による体力低下と栄養不足です。

栄養に関しては魚介類を食べましょう。これらに間接に必要な栄養が詰まっています。
魚介類が苦手なら、サプリメントで摂取する方法もあります。グルコサミンやコンドロイチン、EPAなどです。

体力低下に関しては、説明すると長くなるので簡単に言えば、酸化によるものです。
人間でなくとも物でも何でも必ず劣化します。
劣化の原因のほとんどは酸化です。
過度な運動や暴飲暴食、不摂生によって作り出される活性酸素が老化を早めます。

煙草吸わない、お酒控える、よく寝、よく食べ、適度に動くのが一番です。

特に大事なのが一番最後の適度に動くことですが、
これには太極拳がとても適していると言えます。

太極拳ではゆっくり動くので呼吸が深くなります。
邪気を吐き出し、神気を取り込むことで、疲れやストレスを飛ばし、パワーが漲ってきます。
太極拳をされている方は高齢の方でも皆元気です。

肩が上がらなくなるのは加齢と共に筋力が衰えてくるのに、肩を酷使するからです。
日常生活において必ず肩や腕を使います。

だからどちらしかありません。

筋力を養うか、
日常生活を諦めるか。

極論になってしいましたが、筋力がないのに腕や肩を使うと肩へのダメージを増大させてしまうからです。

良い方法があります。

必要な筋力を養いながら、なるべく筋力を使わない方法を身につけることです。
太極拳ではこれを勁力と呼んでいます。
(因みに過度なトレーニングは活性酸素を増やしてしまうのでお勧めしません)

勁力は脱力すればするほど増大させることができます。

勁力の正体はなんでしょう?

これも話せば長くなりますが、一言で言えば、「対抗しようとしない力」です。

太極拳で指導する時、毎回うるさいぐらいに最小限の力で動かすようにと繰り返します。
そうは言っても力を使っている人を数多くみかけます。
その理由は力の抜き方がわからないからです。

肩の力が抜ければ、大きな力を手に入れることができます。
これが太極拳や柔術で使われている力となります。

太極拳はゆっくり動くことでインナーマッスルを鍛えます。
インナーマッスルはつきにくく落ちにくい性質があり、遅筋と呼ばれますが、実際は速筋よりも速く大きな力を生み出すことのできる不思議な筋肉です。

腕の力は腕の太さに比例すると言われますが、それは腕だけで考えた場合です。
体全身を使った筋肉の使い方をすれば快活な老後を送ることが出来ます。

必要な筋力をつけ、勁力を身につける。
これが加齢と上手く付き合う最善の方法です。

私は太極拳のお陰で、四十肩も五十肩も経験せずにあと3年で還暦を迎えます。
還暦になっても六十肩になることはないでしょう。

繰り返しますが、勁力は対抗しようとしないことで生まれるチカラです。

逆らわない
受け入れる

地球上にある、あらゆる力と調和してみましょう。
そうすると水に浮かんでゆらゆら揺れているように心も体も軽くなります。

太極拳で目指すのは「強さ」ですが、それは自分に対しての強さを身につけることだと私は思っています。



2020年7月10日金曜日

二つの気持良さ

太極拳をやると気持ちいいと言いますが、その気持ち良さの意味合いも様々ですし、又、ある程度鍛錬を積まないと解らない気持ちよさもあります。
もちろん私もまだ体験したことのない気持ちいい世界があると思っていますし、それを楽しみにもしています。

いずれも太極拳で気持ちよくなるためには、まず姿勢です。
正しい姿勢が出来ていなければ、内面で感じる気持ち良さにはなってきません。
もし現時点でも気持ちいいと感じているのであれば、その気持ち良さの数十倍になると思っていてください。

私は表演太極拳も経験してきましたが、表演の気持良さもあります。
人に感動を与えたくて懸命に練習し、そして人前で披露する緊張感と達成感、またその後の人から頂いた感想によって得られる喜び。
これも太極拳の楽しみ方のひとつだと思います。

私はよくばりなのでこれだけでは終わりません。

伝統太極拳では人に見て頂くことを目的としていません。
伝統太極拳で得られる一番のものは、強さです。
強さというと、体を鍛え上げ、喧嘩に強くなるというイメージかもしれませんが、太極拳で言う強さはそれとは異なります。

外見で言えば、伝統太極拳の鍛錬を積んでいくと、まず痩せます。
深い呼吸によって脂肪燃焼が高まり無駄な贅肉が落ちるので、太極拳を始めとする内家拳家はスリムな先生方が多いです。

先ほど無駄なものが落ちると言いましたが、それは贅肉だけではありません。
生まれたばかりの頃にはなかった、力み、こわばり、つっぱり、過剰な防衛反応や闘争心、虚栄心等、これら無駄なものが落ちていきます。

これらが付随してきた理由は、子供の頃に遡り思い起こせばいろいろその原因が浮かんでくるでしょう。
人間は生きて行く上で様々な経験を積んで行きますが、辛いことに打勝とうとすればするほど、何故が真逆の方向に走ってしまうから厄介です。
そのことが体を緊張させ、様々な病気を誘発させてしまいます。

体だけではなく心も辛いことから身を守ろうとするあまり硬くなり、先ほどのような過剰反応が起きるようになります。
大人になれば強くなると思っていたのに、そうではなかったということに気付かされます。

もし仮に子供の頃より強くなったと感じるのであれば、それは辛い事や恐怖から回避する方法を身に付けたということのように思います。
学生時代のいじめっ子がいつまでも強いかといえばそうでもない場合が多いですが、学生時代の喧嘩の強さは社会には通用しませんからね。

いずれも真の強さとはなんでしょう?

回避する能力でしょうか?

それもひとつだと思いますが、もっと強いものがあります。

それは「受け入れる」ことではないかと思います。

太極拳で得られる力は、筋肉を鍛えた力ではなく、受け入れる力です。

闘おうとするから勝敗が生じます。
もちろん勝ちを取りに行くことは素晴らしいことだと思いますし美しいことだとも思います。
しかしそのことが一生続くでしょうか?
いずれ引退時期が訪れ尻つぼみの人生になってしまってはなんだか悲しいですよね?
過去の栄光にすがるのも人生でしょうが、私なら別の道を選びます。

道場に賞状を飾りましたが、それは過去の栄光や業績に酔いしれるためではありません(笑)
「あの時出来たのだから、今もできる、いやもっと出来る」と思いたいからです。

太極拳で得られる強さは永遠です。
死ぬまで強いのが太極拳です。

闘わない、恐れない、逃げない、追わない、誤魔化さない、背伸びしない・・

川の中の水の一部分のように周りと溶け合いながら、周りに逆らうことなく流れに身を任せ、いずれ大海原へと流れ着き、そしてその後、蒸気となり天に昇る。
そんな感じです。

伝統太極拳で得られる力は、受け入れる力を身に付けることであり、この強さは年齢に依存しないので永遠です。

打たれ強く、打たれても痛みを感じなくなり、怪我をしてもすぐに治ってしまう強靭な体です。
この状態になってくると今までになかった気持ち良さを感じるようになります。
この気持ち良さはなんでしょう?

私の感覚では「空間との融合」です。

この気持ち良さは決して人には見せたくない自分だけの宝物のように感じます。

見せて気持ちい太極拳と見せたくない気持ちいい太極拳。

どちらもおいしいですが、永遠であるのは後者の太極拳です。


2020年4月14日火曜日

今必要なのは情報よりも瞑想 ~コロナの意味~

仕事に疲れたら気晴らしに動画サイトを観る。
酒も煙草もやらない自分にとっての唯一の娯楽はお笑いと音楽関係の動画を観ること。
武術関係の動画は観ない。
あり過ぎる情報は自分が求めている武術の邪魔になるから。

家でテレビのスイッチを入れることはない。
実家を出た16歳の時から今に至るまでずっとテレビを見ていない。
暗い情報が多いし、自分のやりたいことの邪魔になるから。
だから良くも悪くも情報に流されることはない。

しかし動画サイトを観ていると嫌でも入ってくるコロナ情報。
その中からひとつだけ興味ある動画を見つけた。

ロシアで行われている街ごと消毒薬ジェット噴射作戦。

言っては悪いがあまり効果ないと思う。
コロナは街にいるんじゃない。
人の中でしか生きられない小さな寄生虫のようなウイルス。
人から人へと飛び移って感染する。

大都市では非常事態宣言が発令され、自粛する人もいればそうでない人も。
渋谷、新宿、池袋などのビッグタウンでは人が減っていても、吉祥寺等の小さな繁華街は人で溢れている。
とはいえ私が現在住んでいるところに比べれば吉祥寺は大都会。

感染リスクが街の規模に比例していると思っているのだろうか。
政府が3つの密を避けよと言っている意味が解っていないのだろうか・・

そんな中、私の生活は自宅と道場の往復。
毎日、1人か2人の生徒に対し気功と太極拳を指導している。
気功では深い瞑想を行う。

ここで思うこと。

今、必要なのは情報ではない。
瞑想。
いわば何も考えないこと。

それによって得られた答え。

コロナの意味。

コロナ情報漬けになっていては絶対気づけないと思う。
なぜならコロナだけの式で計算しようとするだろうから。

コロナ式だけではなく、もう一つの式がある。
その二つの方程式によって導き出されるコロナの意味。

よく考えてみて欲しい。

人はいずれ死ぬ。
この6年間のデータによると国内では1日に3280人の人がこの世を去っている。
最も多いのが癌、次に心臓病、次に脳疾患。

コロナの死者数ばかり報道されるが、毎年インフルエンザで亡くなる人は3000人もいるという。
1日50人以上の人がインフルエンザで亡くなっている計算になる。

これをコロナに当てはめてみる。
毎日50人以上の人が死んでいると報道されれば怖くないだろうか?

人が恐怖を感じるのは死ではなく未知のこと。
死ぬのが怖いのなら生きていくことなんかできない。

もうひとつ別の角度から考えてみる。
もしコロナウイルスがこの世になかったら安全だっただろうか?

コロナが終息すれば100%安心な暮らしが待っているのだろうか?

そんなことはない。
病気でなくとも毎日交通事故で111人の人が亡くなっている。

これをコロナに当てはめて考えるとやはり恐怖を感じるでしょう。

過去に葬儀の仕事に携わっていたことがあるが、家族が深い悲しみを感じるのは交通事故や殺人等による故人の急死。
病死の場合は親族も覚悟が出来ていただろうけど、昨日まで元気だった人がいきなり他界することはやはり辛い。

もうひとつ別の角度から考える。

もしコロナウイルスがこの世になかったら、世界はどうなっていたでしょう?

ただでさえ人口が増え過ぎて食糧難。
栄養が足りなければ病にかかりやすくなる。
世界で飢餓に苦しむ人は8億人以上にもなり、その数は世界人口の9人に1人。
そしてその飢餓によって1分に17人の命が失われて行く。

日本で飢えに苦しみ毎分17人の人が死んでいくなんてことが考えられるだろうか?

日本は大変豊か。
それだけに高齢化がどんどん進んでいる。

しかし今の高齢化社会をどう乗り切れるだろう?

私の生徒の中でも親の介護を理由に休会される方が非常に多い。
そして介護疲れによって自分も健康を害してしまう。
介護職をされている方も非常に多く、毎日大変だと言う。

コロナによって医療崩壊が危ぶまれているが、
私はその前から介護崩壊しないかとずっと心配してきた。
寝たたきりで自力で生きて行くことができなくなった時、介護なくしてどうやって生きていけるだろうと。

話しを戻すが、
コロナによって亡くなられている方は高齢者がほとんど。
今テレビで報道されているのはコロナ一色で、視聴者はコロナの死者数ばかり数えている。
人は意識したものしか見えなくなる生き物。

日本のコロナ感染者はおよそ16万人中の1人。
その中で亡くなられる方は54人中の1人。(2020/4/14現在)

先ほど話した通り、インフルエンザで亡くなっている人は毎年3000人に対し、コロナで亡くなっている人は現時点で137人。
それでもコロナが一番恐ろしい病気なのだろうか?

一番恐ろしいのはウイルスではない。

自分の健康管理。

なぜなら健康な人はインフルエンザにもコロナにもかからないし、かかっても2週間程で治ってしまう。
ウイルスや菌と闘ってそれに打ち勝てる者が健康状態を保てる。

人間は生まれる前、2憶から3億匹もの精子が女性体内の白血球によって殺され、その中のわずか1匹だけが生き残る。
私達はすでにそんな死闘の中から生き残った英雄。

健康を保つというのは保っているのではなく闘い続けているということ。

最後にもうひとつ、
宇宙規模で考えてみよう。
コロナウイルスがこの世になければ今ほど亡くなる人が増えなかっただろうか?

前述した式にあてはめれば答えが出ると思う。

コロナが存在しても
しなくても、
毎日亡くなる人の数は・・

答えは平面上の式だけではなく時間軸にあるということ。

何もおかしなことは起きていない。
起こるべくして起きており、地球自体がバランスを保とうとしていることが見えてくる。

長々と書いてしまったが、
これはあくまでも私自身の瞑想によって得られたもの。

しかし辻褄が合いませんか?

***

淡々と書いてしまったが、コロナによって犠牲になられた方へは心からお見舞い申し上げると共に、ご冥福をお祈りします。