2013年10月6日日曜日

嬉しいこととそうでないこと

先日2度目の参加のYさんが、姿勢が改善され腰痛がなくなったとのメールをくれた。
私にとって一番嬉しいお知らせだ。

前にも書いたが、私は自分が得た太極拳が人生を変えるほど素晴らしいものだと感じたので
ほかの人とも共有したくてサークルを始めた。
楽しいことは一人でやるより大勢で共有したほうが絶対楽しい。

かといって、押し売りするつもりは毛頭ない。
自然と興味をもってもらった方に、1度の体験でも「楽しかった」と思ってもらいたい。

最初に私に太極拳を教えてくださった先生は私に太極拳の魅力を伝えてくださった。
だから今度は私がそれをしたいと。

だから喜んでもらえることは何より嬉しい。

冒頭でもお話したように、もっと嬉しいのは、健康状態が改善されたというお知らせ。
或いは肌のハリや艶が良くなったなど美容的効果。
そして、日ごろのストレスが発散されたのであればいうことはない。
というより、現時点で私はそれ以上のものはいらないと思っている。

ある会員さんは、サークルに来るのが楽しみで仕事を頑張れると言ってくださる。
これもまた私が目標としていることなので、このようなお知らせは実に嬉しい。
わずか週に1回、サークルに参加することで生活に弾みでたり、活力を感じるようになってもらえるのなら最高だ。

逆に残念なことは、練習中に体に痛みを感じてしまうこと。

そうならたいためにも私は今まで様々な教室で教わった柔軟方法をふんだんに取り入れているし、それを十分に行った上で太極拳を行っている。
準備体操から気功にかけても、13種類の準備運動、8種類の鬆身法、10種類の立禅気功、3種類の太極気功、6種類の操手・・
合計40種類の準備運動を行っていることになる。
準備運動だけでも24式太極拳より数が多い。

とにかく太極拳を始める前に徹底的にコリをほぐし体をゆるめるのだ。
コリや力みは気の通り道である経絡を塞いでしまうし、そのままの状態で套路(型)を行っても形だけのものになってしまう。
体外の気と体内の気を融合させるがごとく、動いていくと自分の体がふわっと軽くなる感覚が得られるはず。

文章の途中になりますが気を信じない方はこの文章を読まないでください。
気を説明してみろと言われても、気は感じるものであり目で見ることもできなければ説明することもできない。

神の存在を信じるかどうかという話にもなり、堂々巡りだ。
これだけ化学が進んでいても未だに神の存在を証明することはできていない。
気も同じだ。

自分自身が気の粘りや浮揚感を感じればそれを自分の中でしまっておけばいい。
私はどんな高価な宝石よりも価値のあるものだと思っている。

*****

話は変わるが、ある人が貴方のような会の長がネガティブなことを言うべきでないと仰った。
ネガティブ=悪いこと と捉える方がおられるようだが、ネガティブがあるからポジティブが起きるわけであり、そもそもネガティブなことがなければポジティブを感じることだってできない。
影は光があるからこそできるのと同じだ。

炎天下の中で練習をする時にしても、日照りの中で練習するより涼しい木陰で練習したほうが捗る。
常に光がいいとは限らないのだ。

私は基本的に自分の心に嘘をつくことをしない。
常に自分に素直でありたいと思う。
それが会社の社長であろうが、サークルの会長であろうが、同じだ。
いや、社長や会長のほうがむしろ人間的だと思う。

強いところばかり見せようとしてもどうせ後でボロが出るし、歪も生じる。
だから、私はつまらんことに見栄を張ったり、会長だからと背伸びしたりしない。
ありのままだ。

人は誰だって強いところもあれば弱いところもある。
そして、そのうちそれを補おうとしてくれる人が周りに現れる。
その結果、私はその方々に感謝することができる。

弱音を吐かず頑張るのは一見かっこいいようにみえるかもしれないけど、言い換えればエゴであるとも言いたい。
人の厄介になりたくない、すべて自分でやる。
昔の私がそうだった。
が、そうしようとすればするほど、人の憐れみを買うことになる。
挙句、当時、私は性格が悪いと言われた。(笑)

自分が人に認めて欲しいというのは誰でも思うこと。
その上に、人を認めるということが大事だと思う。
何もかも自分でやってしまう人は人を認めることができない人だ。
そういう人に限って常に孤独を感じており、その挙句、酒に走ったりする。

というより、そういう人を今までに散々見てきた。

当サークルでは半年もすればリーダー育成を始める。
先生によっては、「おまえなんかまだまだだ」と言うかもしれない。
確かに何十年もの経験のある人からみれば半年そこらじゃまだまだと思うのは当然だだろうが、
「認める」ということをしなければ、その人の持ってる本当の能力は開花されないまま終わってしまうかもしれない。
いや、先生によっては自分を超えられたくないから押さえつけようとするかもしれない。

だが、私はそれはしない。
私は会員さんたちが今何を思って、どこに行きたがっているのかをよく見極め、その方向に導くお手伝いができればと思っている。

要するにいつでもチャンスを与えたいと。

話が支離滅裂になってしまったが・・

とにかく、ありのままが一番だと。
水のように風のように、なんににも逆らうことなく水のように流れ、そして風が吹き抜けるように。
どこそこの長だろうがなんだろうが、私は生身の人間なんだ。