2017年6月30日金曜日

推手大会を行うにあたって


当会では今年8月に始めての推手大会を予定している。

といいつつ、どのような形で行うか今も尚、思案中なのだが。

まずは個人戦は男女混合で
単推手、双推手、四正推手の3種目

男女を分けることも考えたが、
太極拳が体格や力の差で戦う武術ではないことを考えると男女混合が自然だと。

種目として自由推手を取り入れるかどうかも悩んだか今回は見送ることにした。
いずれは自由推手も取り入れて行きたいと考えている。

他には紅白対抗試合や団体戦なども検討中。

いずれも今年は会内だけで行うため参加者数も少人数であることを考えると、
いわゆる散打試合のような緊迫した感じではなく、
推手練習会の延長のようなアットホームな雰囲気で行おうと思っている。

さて、ここでだが、
当会で行う試合を推手という形で行おうとするのには理由がある。

まずは演武を競う大会。

正直これは判定基準が難しい。
審査する側の好みもあるだろうし、何を審査基準とすべきかも難しい。
もしこの演武大会が美しさを競う大会であるならば、
当会が目指す勁力を身につける道から外れてしまう。
演じようとすること自体勁力を落としてしまうからだ。
それに美しく演じたからといって武術的な功夫が向上したことにはならない。

次に散打試合。
いわゆる自由組手。

太極拳を実戦として使えるかどうかを試すのには良いのだが、組手には怪我がつきもの。
女性が大半の当会としては怪我人を出すわけにはいかない。
そもそも当会は格闘を目的とした教室ではない。
気功と太極拳によって身につけた、ゆるみと軸感覚と勁力開発によって、
それを健康や生活向上、護身に役立てて頂きたいというもの。

結局、推手が最も適しているということになる。

推手は、いかに気功に時間をかけているか?
いかに力みのない正しい套路練習を行えているか?
推手で言う、聴勁、走勁、化勁、発勁を正しく理解できているか?
散手によって太極拳技法が正しく身についているか?
これらすべてを明確に判断することができる。

それに勝敗がはっきりしているから、判定もしやすく、本人も納得がいく。
勝てば自信につながるし、負ければいっそう努力するきっかけになる。
推手試合なら演武大会でつきものの採点への不満もない。
それに防具も必要なければ、怪我をすることもない。

安全かつ、太極拳の本当の実力を知る機会になるし、
推手を行うことによって伝統の太極拳の練習方法を深く理解するきっかけにもなる。

いずれはこの推手大会を徐々に拡大させていきたいと考えている。

それは太極拳を正しく理解することになるし、正しい練習を行うきっかけにもなる。
そのことにより病気しない丈夫な体をつくり、体丸ごと若返らせることにつながり、しかも護身術も備わる。

推手大会を行う意味は非常に深い。


ところで先程、
聴勁、走勁、化勁、発勁 という専門用語を出したが、
これを言い換えると、
聞く、許す、導く、与える となる。

聞くは相手を知ること。
許すは相手を受け入れること。
導くは相手を思いやること。
与えるは相手に知ってもらうこと。

これは真の人間関係を築くことと同じ。

自分のことばかり理解してもらおうとするのではなく
まず相手を理解しようとすること。
その機会として、許し、導き、与えるということになる。

2017年6月29日木曜日

1:58の形意拳

先日、弟の絵が大阪の有名なギャラリーに展示されたので観に行った。

これまで何度弟の絵を観に行っただろう?
しかし弟は、兄である私の表演や試合を一度も観に来たことがない。
まあ、いいのだが・・

今回展示された弟の絵を観て思ったこと。

「すばらしい!」
「父の息子の絵だ!」
鳥肌が立つほど感動した。

値札をみるとそれなりの価値がついていたので、それもまた嬉しかった。
自慢の弟だ。

弟の作品は今まで日本最大の展覧会で毎年入選。
もう数えきれないほど。
これまで何度か特賞をとったこともある。

しかし私は正直弟の絵が好きになれなかった。
モチーフもそうだが、色遣いが一辺倒で伝わってくるものがなにもない。
ほとんど魅力を感じなかった。

以前、弟に何故ああなるのかと尋ねたら、絵の具を買う金がないと言った。
その時私は本気で弟に絵の具を買ってやりたいと思った。
まあ実際は買うまでには至らなかったのだが。

その後また弟に尋ねてみた。
何故ああなると。
弟が本気を出せばもっともっと独創的な絵が描けるはずだと思っていたから。

その答えは、いわゆるその傾向があるという理由だった。
私はようやく理解した。
弟は自分の描きたい絵を描いていたのではないと。

これと同じように
私もまた、今、自分がやりたい形意拳ではない練習を行っている。
いや、形意拳の套路そのものは好きなのだが、問題は時間制限。
私の形意拳は2分ではとても収まらない。

収まらない理由は
手数があるからではない。
全くその逆で、一発を打ち込むのにそのパワーをチャージする時間が欲しいということ。

形意拳が他の流派と大きく違う点は、圧倒的に手数が少ないこと。
連打して徐々に相手にダメージを与えるのではなく、一発で倒すところにある。

これでもかと言わんばかりに打ちまくり、息を切らせてしまい、
足元がふらついてしまっているのはとても形意拳とは思えない。
私が知る形意拳は速筋中心の無酸素運動ではないからだ。

「発勁如虎」という言葉通り、一発で獲物を狙おうとする虎と同じ。
駆けあいになり長距離走になったら草食動物には敵わないからだ。

だから本来鍛錬法である套路でその一発を打つためには力を溜めなければならない。
その部分をしっかりやろうとしたら2分ではとても足りない。

自制しながらも2分以内に収めようと早く動いてみる。
1:58
何度はかっても同じタイム。
いつも時間との戦いだ。

昨日、弟子に自分のその演武を目の前で披露した。
人に見せるのは好きではないが、弟子の意見を聞きたかったから。

演武し終わると弟子は心から感動してくれた。

もう、私はこれでも十分だと思った。
私のことを一番良く知ってくれている弟子に評価されるのが一番嬉しい。

傾向対策は大事だと思うが、
かといって自分の武術を捨てたくない。
いかに時間内に自分の武術を収めるかが私にとっての課題。

今になって弟の気持ちがよくわかる。

*****

ヘッダー画像は私のブログを愛読してくださっているAさんのお友達の写真家ringoさんの作品です。
素敵な絵葉書ありがとうございます。とても癒されます。

2017年6月28日水曜日

動画サイトをすすめない理由

以前、ある先生に言われたこと
「動画サイトは見ない方がいい」と。

その言葉だけで特に詳しい説明もなかったので
その時は何故だかわからなかった。

動画サイトを見れば、様々な流派の中国武術を美しく演武している動画がたくさんある。
その頃は、単純に美しいと思った。

しかし今はどうだろう?

私の中で見てはいけない動画がある。
そして、動画サイトやSNSなどで投稿されているその武術系の動画を観た時、
私は瞬間的に見ないよう飛ばしたり、非表示にしたりしている。
無論自分から観に行くこともない。
仮にそれが静止画であっても。

理由は実にシンプル。

具合が悪くなるから。

人間本物がわかるようになると、
自然と本物を求めるようになり、
そうでないものに対し拒否反応が起きるようになる。

それは、目から入る情報だけでなく、口、鼻、耳から入る情報も全て。
だから私は常に見るもの、口に入れるもの、空気、
そして接する人も選んでいる。

自分にとってマイナスな影響を及ぼすものには極力触れないようにしている。
自分を守るためだけではない。
それは自分の周りにも伝染するからだ。

周りを変えたいならば自分が変わる。
このことは半世紀生きてきた中で何度も学んできた。

話を戻すが、
先程、見ない動画と言ったが、それは中国武術に限ってのこと。
バレエやフィギュアスケート、体操競技などは好んで観る。
中国武術は武術であって、舞踊や体操ではない。
もちろん人それぞれ好みがあるように、少なくとも私はということ。

実は最近、カンフー映画も受け付けなくなってきた。
子供の頃、カンフーに憧れ、あれだけカッコいいと思ったのに、だ。
今は見てもほとんど熱くなれない。

どうやら私はそれが本物かどうか見分ける力が身に備わってきたよう。

わずかでも早回しが使われているとそれが嘘だとわかってしまい
ほんのわずかでもワイヤーを使うとそれが人間の跳躍力でないことがわかる。

というより、私は元々カンフー映画の中でのワイヤーアクションが好きではない。
映画ファンの方には申し訳ないが・・

それに過剰な効果音も受け付けない。

最近私は形意拳のPVを作って動画サイトに公開したが、
あのPVを編集する時に効果音を入れるかどうか迷った。
様々な効果音を集めてみたが、結果使用を全面却下。

いや、正直言うと一か所だけ入れた。
その理由は暗闇の中で単焦点レンズを使用して撮影したため、
肝心な部分のフォーカスがぶれてしまい、それをうまく繋ぐために止む無くエフェクトと効果音を入れた。

その一か所以外の音は全て本物。
空気を割く音や服がなびく音、地面を叩く音など。

早回しも使ってないし、
ワイヤーなどあるわけもなく、
最後のシーンだけスローモーションを入れた。

実はそのスローですら今は気に入らなくなってきている。

逆に私が今一番見たいもの。

それは師匠の演武。
いや、師匠のオーラ。

そもそも私が美化された武術を受け付けなくなってきたのは
約10年目に再開した師匠の姿を見てから。
もう本当に衝撃的だった。
10年と言う時間差があっただけに尚のことだった。

美しいのではない。
師匠から出ている空気があまりにも凄いのだ。

決して大柄ではない、
どちらかといえば小柄な師匠が動き始めると師匠が大きく膨らんで見える。
その見え方は動画や写真にしても決して写らない。

手を合わせると、師匠の意のままに操られ身動き取れなくなる。
感じるのは手と手というより、空気。

これが本物の楊式太極拳だと思った。

私が最初に出会った師は
本物の楊式太極拳を教えてくださる方だった。
なんと私は恵まれているのだろう。

この縁を宝とし、後世に伝えて行きたいと思った。

2017年6月27日火曜日

やわらかいとは?

やわらかいとか硬いとか言うが、
なにが柔らかくて何が硬いんだろう?

昨夜、ある会員さんの動きを見ていたのだが、
もう教えることはないと思った。
ご本人にも「非の打ち所がない」と伝えた。

正しく動けているし
とてもやわらく動けている。

ここで言うやわらかいとは、柔軟性ではなく、
その動きが空気に逆らっていないという感じだろうか?

水の中で体を動かしていると水の抵抗があるから、自然と無駄のない柔らかい動きになる。

高校時代、1年だけ水泳部にいたことがあるのだが、
いわゆる泳いでいる柔らかい姿に憧れた。

動きに無駄がない。
無駄なことをしようとしても水の抵抗があるから、できない。

しかし空気中だと、抵抗が少ないからどうしても無駄な動きや、
硬い動きになってしまう。

動きがギクシャクしていたり、
連綿でなかったり、
動きそのものがぶれていたり・・

だからこそ気功を行う。

空気を感じる。
いわゆる気を感じる。

体の中に気が巡り、そして体の外にある気を感じる。
意識しなければ決してうまれないその気の存在。

意識すれば発生し、
無視すると消えてしまうとてもデリケートなもの。

気を信じる信じないは本人次第。
私の場合は信じる信じない以前にすでにその気の力を肌で感じてしまったから
存在を否定する方が難しい。

目の前に木があるのに、ないと思うのが無理なように。

気の存在を感じるようになると、その気の中で泳ぐような感覚になってくる。
水の中で動くのと同じように。

人間の体はその60~70%は水分で成り立っている。
しかしその水ですら酸素と水素が結合したもの。
さらに分子単位でみると、原子核と電子で成り立っている。
原子核と電子はごくごく小さなもので、もし原子核が1㎜とすれば電子との距離は50mと言われる。
いわゆるスカスカなのだ。

すべて目に見えている物質は実は空気と変わらないということになる。

体を極限までゆるめ、
そして気を丹田に沈め、深い瞑想状態に入っていくと
気と同化する感覚が得られる。

この状態で太極拳を行うと、まるで水の中を泳いでいるかのような柔らかい動きになる。
決して柔軟性ではない。

この動きができるようになると
推手や散手を行った時に、相手の存在や動きの見方が変わってくる。

あると思っている自分は実はなく、
そして相手もない。

ちょっとオカルト的な表現になってしまったが、
自分がこうと信じているものが、それが本物で、
それを実証することが出来るだろうか?

実は宇宙そのものが無で、私達もその無を有と信じているだけかもしれない。

私は映画マトリックスを観た時に、
かつてないほどの衝撃を受けた。
あまりの衝撃に映画を観終わってもすぐに席を立つことが出来ず、身が凍り付いてしまったことを覚えている。

あれこそ無を有と信じている世界をコンピューターに置き換え描いているものであり、
その当時、私がある特殊な状態(トランス状態)になっている時だったから、
あまりにもその偶然のタイミングに衝撃を受けてしまったのだ。

気なんて存在しない。
そう思うのは個人の自由。

しかし信じることで生まれる世界は無限。
それにそれを肌で体験していくことができる。

これからも究極の柔を目指したいと思う。

2017年6月26日月曜日

癒しの八卦掌

力ではなく意を用いて技を使う中国拳法を内家拳と呼ぶ。

その中で最も代表的な流派が太極拳(たいきょくけん)
ゆっくりやらわかい動きが特徴で、
主に化勁(相手の攻撃を無力化する術)を用いて相手を崩したり飛ばしたりする拳法。

次に形意拳(けいいけん)
一打必倒と言われる内家拳最強と知られる拳法。
勢いよく蹴り出した推進力を利用し攻撃するが、
暗勁(打たずに相手にダメージを与える術)を使って打つため派手な動きはみられない。

そして八卦掌(はっけしょう)
自転と公転を組合せ、円を描くように動きながら、掌を用いて攻撃するのが特徴。
独特な歩法を用いるので動きが読めず、相手をかく乱しながら攻撃を加える。

当会ではこの3つを稽古内容として練習しているが、
それは戦うためではない。
主なる目的は、体を鍛え、心身共に強くし、病気しない身体を手に入れること。
その上に自分の身を守るために、これら拳法を使って護身に役立てられるよう練習を行っている。

そもそも内家拳とは護身武術であり、戦うために編み出された拳法ではないとされている。
攻撃すれば相手からも攻撃されるように、終わりのない戦いがひたすら続く。
そして闘う意思のない者までもが犠牲を払い、その数の方が多くなることがほとんど。
歴史を振り返るとこのような悲劇がずっと繰り返されている。

内家拳の目的は、戦いを終わらせることにある。
内家拳の攻撃は実際は攻撃ではない。
相手の攻撃を鎮める術。
いわば平和のための拳法。

少なくとも私はそう信じてるし
私が内家拳を愛し内家拳を選んだ最大の理由。

八卦掌にしてもしかり。
闘うためではない。

八卦掌の基本功である走圏はただ円を描きながら歩くだけ。
こんな簡単な鍛錬法で、瞬時に心が癒され、無限の知恵が得られ、大いなる力を得る。
禅の境地とも言える。

そもそも犯罪は心の乱れから起こる。
だから癒しが必要。
皆が八卦掌を行えば、皆が安らかな気持ちになれる。

だから、
戦うためでもなく、
踊るためでもなく、
癒しのために八卦掌を広めたい。

これが八卦掌によって歩きだしてから思うようになったことだろうか。

2017年6月25日日曜日

気を感じる方法

なかなか気を感じることができない。

そんな方に、手っ取り早い方法がある。
気を感じるというより、気の疑似体験という感じだろうか。

方法は簡単。

両掌を向い合わせ、思いっきりパン!と叩く。
その後、手の平を強く擦り合わす。
手の平が熱くなってきたら、両手をゆっくり開き
ハンドボールぐらいの大きさのボールを抱えるようにする。
その後、ゆっくり手の平を開いたり閉じたりする。

これを「開合」という。

どうだろう?

手の平がぴりぴりし、手中に粘っこい感覚が得られないだろうか?
磁石が引き合うような反発しあうような、その入り交ざったような感覚。

今、手を叩き強く擦り合わしたが
気功を続けて行くと、これをしなくとも同じ感覚が得られるようになる。
この際、全身を十分ゆるめ、意識を手に送る。
そうすると手に気が集まり、よりいっそう感じやすくなる。

太極拳には様々な流派があるが、その中でも孫式太極拳は面白い。
套路の中にこの開合が頻繁に出てくる。
気功と形意拳と太極拳の融合という感じだろうか。

要するに技を使う前に気を練って
その気を使って技を掛けるということになる。

私が太極拳を始めたばかりの頃、
この手を叩いて擦る方法で気の疑似体験が出来たが、
今は逆。
これをするとかえって気を感じなくなってしまった。

完全に脱力して、手を開いたり閉じたりするほうがよほど感じる。

いずれも、気がどんな感覚なのか知る方法にはなる。
一度やってみよう。

2017年6月23日金曜日

電気、水、ガス、磁力、光、風、綿、ゴム、金属

一見なんの関連もなさそうな物質だが、
私の中では全部関連するもの。

そしてこれまで体験したもの。

「電気、水、ガス」

光熱費?
生活していく上で欠かせないエネルギー資源?

「磁力」
モーターをつくる上で欠かせない?
電車も新幹線もハイブリッドカーも電気と磁力で走っている。

「光と風」

自然界にあるもの・・

「綿、ゴム、金属」

身の回りにあるモノの素材。
綿で衣類をつくり、ゴムや金属で身の回りの生活品や自動車や建築物・・

で、
これらの関連性は?

そう、
氣です。

私が今まで氣功で鍛えられた方と手合わせをして感じたもの。

ある時は
風のように
またある時は水のように
そしてまたある時は金属のように固く。

かとおもえば綿のように柔らかかったり
ゴムのような弾力があったり

ガスのように空気中に溶けていったり
光を感じたり
触って感電させられたり、放電されたり。

手を動かせば磁力を感じる。

ますます不思議な氣。

私たちが普段何気に毎回行っている気功では
これら様々な物質や力となり替われる力を手に入れるトレーニングを行っています。

しかもその訓練は決して厳しいものではなく、
高齢の方でもできる体操のように、非常に気持ちのいいもの。

気功を行っていると不思議体験がどんどん起きてきます。

2017年6月19日月曜日

無力は強力

楊式太極拳で使う力はごくわずか。
どんなに繰り返し技の練習を繰り返しても息が切れることはない。
それほど力を使っていないということ。

時折、想像する。
もし、物凄いパワーで攻撃してくる相手に本気で楊式太極拳の技を掛けたらどうなるだろうと。

考えただけでも恐ろしい。
相手の力が強ければ強いほど与えるダメージは大きくなり、
下手をすれば命を落とすことになりかねないと。

楊式太極拳の恐ろしいのは打つ力ではない。
化す力。
消える力とも解釈できる。

空中戦で敵機に後ろに付かれた時、右へ左へと攻撃を交わしながら十分誘い込み、
崖壁等の直前で一気に急上昇し、追尾してきた敵機は崖に激突なんてシーンが良くあるが、
あれに似ている。

これと同じく楊式太極拳は決して闘わない。
許す、導く、化す

相手にとっては自分のしたことが自分に返るだけ。

だから散手の稽古の時は決して突きを早く打ち出さないようにと指導している。
それに、楊式太極拳の技のパワーを抑えるためには、力を抜くのではなく逆に力を入れなくてはならない。

力を抜くと危険度が増し、
逆に相手を守るために力を入れなくてはならない。
相手が危ない方向に飛んでいかないように力で支えたり、
相手が転落しないように手を握って支えたり。

だから
楊式太極拳では無力こそ強力となる。

自分の時間がない

4~5年前
あれだけあった自分の時間が今はない。
あれだけ太極拳に打ち込めた自分の時間がない。

体がもうひとつ欲しい。
いや、もうふたつ欲しい。

武術仲間にこぼす。
泣けるものなら泣きたいと。

自分の時間が寝ている間だけとは。
息が詰まりそうだ。

が、今は頑張ろう。
皆のためにも、
会のためにも、
世のためにも。

私の夢は楊式太極拳の境地に至ることと
伝統太極拳を広めることだが、

それと、もうひとつ。
何も考えずのんびり過ごせる時間が欲しい。
一日中海でも眺めながらぼーっと過ごす時間が欲しい。

こんな今、
私にとって最高の癒しとなり活力になるのは、
立禅と走圏。

ひたすらゆったり立つ。
ひたすらゆっくり歩く。

考えることが多い毎日の中で、
体を極限までゆるめ、頭のスイッチを切る。
立禅をしている時だけはなにもかも忘れる。
この時だけは無になることが許される。

私だけではなくこんなふうに思われる方がおられるのではないだろうか?
何もかも忘れ無になりたいと。

だから私が与えたいことは活動することではない。
身も心も休めること。

未だに太極拳を運動やスポーツだと勘違いする人がいる。
そうではないんだよな。

太極拳は禅であり、
心身ともに癒し活力を得るための行。

頻繁に稽古に参加される会員さんは皆声を揃えて言う。
ここに来ると癒され元気になれると。

男はどんどん凛々しくなり、女性はどんどんきれいになる。
人間的な魅力が増す。

皆疲れているんだ。
だからこそ禅が求められるんだ。

春日伝統太極拳 公式サイト

2017年6月16日金曜日

形意拳のパワー

最近動画サイトなどで見ていると様々な形意拳を見ることができるが、
これがなかなか興味深い。

感想としてはカッコいいなと。

私が学んできた形意拳とはかなり違う。

楊式太極拳もそうだが、威力が見えたらそれは楊式ではない。
形意拳も同じ。
いや、正確にいえば河北派形意拳は威力が見えたらそれは河北派形意拳ではない。

その理由は使う勁が違うから。

私が形意拳で教わってきたことは
「威力を出そうとするな」だった。

拳を突き出すからどうしても、少林拳や長拳のように剛拳のような突きになる。
それならば形意拳は筋力で戦う外家拳であるはず。

なぜ内家拳と言われるか?

それは決して簡単に学べるものではないと思う。

カタチだけならすぐに真似ることができるだろう。
しかし、形意で使う勁を使えるようになるには時間がかかる。
それに、力任せに打ってる間は形意からどんどん遠ざかってしまうだろう。

私なら三体式をする。

三体。
すなわち、天と地の力を使って打つ拳の破壊力は力任せに打つ拳とは訳が違う。
その力は貫通するほどのパワーとなる。

カッコいい現代風形意拳もおもしろいと思うが、
あえて私は伝統形意拳を選ぶ。
(まあ、身体能力的にやりたくとも出来ないのだが・・)

ある会員さんが私の形意拳を見て「みずすましのよう」と例えた。

静かで闘っているように見えない形意拳。
私はこれに大きな魅力を感じる。

2017年6月14日水曜日

動かぬ太極拳へと

約4年前、会を立ち上げた時は会員2人で稽古も週一だった。
そして今は会員約80人で稽古は毎日、時間刻みでレッスンが入っている。

当時、趣味で始めた太極拳サークルだが
今では自分にとって使命になってきている。
私を信じ私についてきてくれる仲間が愛おしく、その分責任も重くなってきている。

自分が進もうとしている道は決して間違っていないし、自信もある。
〝今”という時を常に喜び、
この世を去る前に
「最高の人生だった」と思ってもらいたい。

大袈裟だと思われるかもしれないが、これが私なんだから仕方ない。

いずれも大事なのはそのプロセス。

15年前体を動かしたくて始めた太極拳だが、
今は逆に動かぬ太極拳へと導かれているのがわかる。

先程も話したように、私は仕事量は確実に増えている。
趣味から使命へ。
その責任は重く、私はもっともっと心を強くしなければならない。

その時私が求めるものは禅。

常時、頭も体も働かせている毎日の中で、
無になることは自分にとって最高の癒しとなり、
しかも悟りを得られる唯一の時間。

自分の進むべき道は頭で考えて出るものではない。
無になった時に得られるものだと思う。

立禅が今一番心地いい。

今月からカルチャーで気功を教えることになったが、
サークルでも気功のクラスを充実させて行こうと思う。
青空太極拳と併せ青空気功もいいだろう。

気功なら平らなところでなくともどこでも出来るし場所を選ばない。
何の道具も必要とせず、やりたい時にやりたいだけ出来る。

ヨガでスピリチュアルな世界を求める人が増えているように
今は癒しを求める時代。

人は機械を上手に操れるようになり、
我武者羅に働く時代が終わり
人はもっともっと自由になり、
かつてのように自然を愛するようになる。

将来日本は仕事がなくなると不安を煽っている輩もおられるようだが、
頑張らなくても良い時代が来るということ。

だからこそこれからは「禅」が求められると。

気功なら
ヒーリング効果を得ながら
治癒力を上げ
護身の力も身につけることが出来る。

いわゆる動かぬ太極拳が今後多くの人に愛されるようになると。

*****

昨日、ある会員さんが気功の弟子にして欲しいと申し出てこられた。
これも偶然ではなく必然だと感じている。

2017年6月13日火曜日

伝統太極拳検定試験

昨日、第二回目の検定試験が無事終わった。

結果は
受験者17人中、3人が都合により棄権
11人合格、
3人不合格。

人を採点するというのは辛いものである。
ペーパーテストなら〇か×しかないが
套路や推手、散手の採点はそう簡単ではない。

気持ちからすれば、全員に合格点をあげたかった。
だからこそしっかり試験対策の練習して欲しいと心の中で叫んでいた。
しかし、出来ていないのに合格点をあげてしまうと本人の成長を止めることになってしまう。

当会でもっとも重視するのは歩型と姿勢。
動作の若干の違いは減点しない。
踵脚の時に一度ぐらいバランスを失ったり、落脚しても減点しない。
これらは大した問題ではないから。

又、美しい演武をしたからといって加点しない。
むしろ美しくみせようとしたら減点していたかもしれない。
美しくみせようとする気持ちの中に武術的要素はゼロだからである。

何が何でも歩型と姿勢。

これが出来ていなければ何も始まらない。
軸も安定しないし、
脱力することもできない。
気を沈めるのも難しくなる。
それどころか体を痛めてしまうことになりかねない。

逆にこれらが出来ていれば、
套路も推手も散手もメキメキ上達できる。

試験前も試験後もどうやら私は強いストレスを感じていたようだ。
合格を告げるのは簡単だが
不合格を告げるのはとてつもなく辛い。

ある会員さんに言われたが、試験終了直後の私は憔悴しきった様子だったと。
帰宅後もぐったりとし、いたたまれない気持ちがずっと続いた。

不合格通知を送ったとたん、すぐにメールの返信があった。
すぐに補習を受けたいと。

良かった。

次のチャンスは絶対ものにして欲しい。

2017年6月10日土曜日

沈禅

聴く力を身につけるため立禅を行う。

化す力を身につけるため立禅を行う。

発する力を身につけるため立禅を行う。

当会が目指す立禅は立つ力を身につけるためではない。
すでに立つことは出来ている。

立禅を行う意味は沈むことを身につけるため。
立つ力は1歳の時にすでに身につけている。

だから立禅ではなく沈禅と言った方がしっくりくるかもしれない。

立とうとすることはすでに筋力に頼っていることになる。
しかし沈むことは立つための筋力をぎりぎりまで下げないければならない。

地球の力である引力に逆らわず、逆にそれに従う。
これによって筋力ではないチカラが開発される。
そう教えてきた弟子がそれを証明してくれつつある。

太極拳の名人に若い人はいない。
私が太極拳を始めたばかりの頃、先輩が教えてくれたこと。
「太極拳は50歳から」と。
当時私は30代だった。

いわゆる筋力の衰えが始まる50歳からが太極拳の本当の力が出せるということ。
私はこの言葉にどれだけ救われ励まされたか。

更年期障害ともいえる老化していく自分を惨めに感じていた時期が今では懐かしく思う。
今では歳をとることを逆に喜んでいる。

歳をとるごとに強くなる太極拳。
伝統太極拳に引退はない。
棺桶に入る寸前まで強いのが太極拳。

辛いトレーニングは必要ない。
老化を有難く受け入れ、ただ立てばいい。
これが伝統太極拳。

なんとも素晴らしい。

春日伝統太極拳 公式サイト
春日伝統太極拳へようこそ!

2017年6月5日月曜日

なぜ表演?

ある会員さんに「表演は興味ない」というようなことを言われた。
当会にはそのように思う人が少なくない。

しかし私は逆に尋ねたい。

「ではどうやって太極拳を伝えるのですか?」と。

太極拳を始める方の中では、
テレビで見たり、本場中国でその光景を見てきたり、
なにかしらの場面で太極拳を目にしている。

いわゆる見た目から入っていることは事実。

実は私は太極拳に対してのイメージがほとんどなかった。
しかし何か不思議な技を使って相手を倒すというような
ぼんやりとしたイメージはあった。
何故そういうイメージを持っていたのかまでは覚えていないが。

いずれも表演というものは、太極拳に興味を持ってもらうための一つの手段。

その時にどういう姿勢で太極拳を行っているかだ。

見せよう思って演武しているのか、
それともたまたま練習風景を見られたのか。

表演は確かに美しい。
しかし太極拳のすべてではない。

ここで考えてみて欲しい。
何故表演なのかと。

それは太極拳を普及させるためだと思う。

だから当会では表演を目的として練習を行っているのではなく、
本格的な武術家に育てるための練習を行っている。
そして表で演武するのは、あくまでも興味を持ってもらうため。
目的ではなく手段である。
(今まで何度も語ってきたが・・)

太極拳の表演も楽しいという方も大勢おられるだろう。
しかし本当の太極拳を学び始めればそれはごくごく一部の楽しみであることがわかると思う。

太極拳の世界はそんなに浅くはない。
とても深くその奥底は暗闇の世界で簡単に見ることができない。

海ひとつとっても海面だけが海ではない。
海の中に更に素晴らしい世界が潜んでいる。

山も同じ。
見た目だけの山だけが山ではない。
登ってみて初めて得られる感動の光景に巡り合える。

いずれも今後当会ではもっともっと自然に近い形を目指そうと思う。

套路は鍛錬のための練習法であるがゆえに人に見せるものではないが、
しかしそれを見ることの癒し効果は絶大。

いわゆる見せようとしなくていいということ。

これならば自分も存分に楽しめ、見ているものも楽しませることができる。
癒しを与えると言う形で。

2017年6月1日木曜日

倒す力、治す力

太極拳は列記とした中国武術です。

いわゆる敵から身を守るための護身武術です。

体操でもなく
スポーツでもなく
格闘技でもありません。

ジャンルを尋ねられるといつも困ります。

ただ、武術といっても単に武術でもありません。
太極拳は武術に気功(禅)の要素を加え、
老若男女、誰でも自分で自分の身を守れるよう編み出された特殊な武術です。

だから、太極拳と気功は密接な関係があり、
決して切り離してはいけないのです。
武術と禅の2つの要素が合わさってこそ本当の太極拳なのです。

太極拳から気功の要素を切り離すとどうなるか?
それは言わずと知れたこと。

太極拳は力を使いません。
「用意不用力」
という言葉通り、力を用いず意を用います。

昨日、ある会員さんと散手(技の練習)を行いました。
そして私がかるく手ほどきしました。
「同じようにやってみて」と伝え、技を掛けてもらったその瞬間、
私の体は宙に浮き数メートル吹っ飛びました。

驚いていたのは技をかけた本人です。
「全然力使ってないのに・・」と。

これが太極拳です。

これだけではありません。
体を浄化する力、
元気になる力、
病気や怪我を治す力が驚くほどアップします。

恐らくこのことは誰もが求めることではないでしょうか?

当会では、体を動かすだけの太極拳ではなく、
その動かす意味から丁寧に指導しています。
どんな質問にもその場でお答えします。

このような力を身につけてみたいと思う人は一度体験にお越しください。
いろんな太極拳教室を見て回りたいと思っている方は
どうぞ一番最後にお越しください。

当会が何を目的とし、何を教えようとしているかをご理解頂けると思います。

公式サイト http://kasuga-taichi.jp/

自撮りのすすめ

会員の皆さんには自撮りをおすすめします。
自撮りといっても、顔の写メを撮るのではありません。

自主練時、
立禅を行っている時、
套路を行っている時、
動画で撮影します。

機械は苦手で・・
という方もおられるでしょう。

しかし、何故私たちはこの時代に生まれてきたのでしょう?
人間は自分の意思で、この時代、この地に生まれてきたと言われます。
これを〝バースビジョン”と言います。

もし機械が苦手なら江戸時代、
いや原始時代に生まれてきたことでしょう。

それはともかく、
今は便利な道具がいっぱいあるのですからそれらを上手に使えば
上達を劇的に早めることができます。

だから積極的に使いましょう。

今はスマホを持っている人も多いでしょうから
以下のようなグッズを買って持っておくといいでしょう。

2way 卓上三脚+スマホホルダー


これは私のおすすめではありますが、
もっといいものもあるかもしれないので探してみてもいいでしょう。

動画は嘘をつきません。
動画を観ることで気づくことは多いと思います。

見るだけでも自分の太極拳が変わっていきます。
是非おすすめします。