やわらかいとか硬いとか言うが、
なにが柔らかくて何が硬いんだろう?
昨夜、ある会員さんの動きを見ていたのだが、
もう教えることはないと思った。
ご本人にも「非の打ち所がない」と伝えた。
正しく動けているし
とてもやわらく動けている。
ここで言うやわらかいとは、柔軟性ではなく、
その動きが空気に逆らっていないという感じだろうか?
水の中で体を動かしていると水の抵抗があるから、自然と無駄のない柔らかい動きになる。
高校時代、1年だけ水泳部にいたことがあるのだが、
いわゆる泳いでいる柔らかい姿に憧れた。
動きに無駄がない。
無駄なことをしようとしても水の抵抗があるから、できない。
しかし空気中だと、抵抗が少ないからどうしても無駄な動きや、
硬い動きになってしまう。
動きがギクシャクしていたり、
連綿でなかったり、
動きそのものがぶれていたり・・
だからこそ気功を行う。
空気を感じる。
いわゆる気を感じる。
体の中に気が巡り、そして体の外にある気を感じる。
意識しなければ決してうまれないその気の存在。
意識すれば発生し、
無視すると消えてしまうとてもデリケートなもの。
気を信じる信じないは本人次第。
私の場合は信じる信じない以前にすでにその気の力を肌で感じてしまったから
存在を否定する方が難しい。
目の前に木があるのに、ないと思うのが無理なように。
気の存在を感じるようになると、その気の中で泳ぐような感覚になってくる。
水の中で動くのと同じように。
人間の体はその60~70%は水分で成り立っている。
しかしその水ですら酸素と水素が結合したもの。
さらに分子単位でみると、原子核と電子で成り立っている。
原子核と電子はごくごく小さなもので、もし原子核が1㎜とすれば電子との距離は50mと言われる。
いわゆるスカスカなのだ。
すべて目に見えている物質は実は空気と変わらないということになる。
体を極限までゆるめ、
そして気を丹田に沈め、深い瞑想状態に入っていくと
気と同化する感覚が得られる。
この状態で太極拳を行うと、まるで水の中を泳いでいるかのような柔らかい動きになる。
決して柔軟性ではない。
この動きができるようになると
推手や散手を行った時に、相手の存在や動きの見方が変わってくる。
あると思っている自分は実はなく、
そして相手もない。
ちょっとオカルト的な表現になってしまったが、
自分がこうと信じているものが、それが本物で、
それを実証することが出来るだろうか?
実は宇宙そのものが無で、私達もその無を有と信じているだけかもしれない。
私は映画マトリックスを観た時に、
かつてないほどの衝撃を受けた。
あまりの衝撃に映画を観終わってもすぐに席を立つことが出来ず、身が凍り付いてしまったことを覚えている。
あれこそ無を有と信じている世界をコンピューターに置き換え描いているものであり、
その当時、私がある特殊な状態(トランス状態)になっている時だったから、
あまりにもその偶然のタイミングに衝撃を受けてしまったのだ。
気なんて存在しない。
そう思うのは個人の自由。
しかし信じることで生まれる世界は無限。
それにそれを肌で体験していくことができる。
これからも究極の柔を目指したいと思う。