2022年12月31日土曜日

健康とは闘うこと

あと数時間で令和4年2022年も終わります。

2022年という数字を見るとすごい時代に生きてると思うのですが、
120歳を目標としている私が実際その時になると2082年になっているわけです。
今ですら人生長いと感じているのに、まだまだいろいろ出来るのだと思うと健康の有難みをひしひしと感じます。

人間は常にウイルスと闘っていかなくてはなりません。
ウイルスはコロナだけでなくインフルエンザやその他にも多数のウイルスがあります。
ウイルスは常に進化しどんどん強力になっていきます。

それに合わせて人間も進化します。
逆を言えばウイルスがあるからこそ人間は強くなれるのです。
無菌室で生きて強く生きられるでしょうか?

いわば進化したウイルスに打ち勝つことが「生きる」ということになります。

弱いコロナウイルスを恐れるのではなく
今後現れるであろう更に強いウイルスにも打ち勝ちながら生き抜こうと考えて欲しいです。

「健康とは闘うこと」なのです。

太極拳で心と体を強くすれば恐れるものはありません。

深酒と夜更かしは止めましょう!
確実に命を縮めます。
「今さえ良ければいい」という考えではなく
人生はもっともっと楽しめるということを太極拳を通して知ってお欲しいです。

皆様の健康を心から祈ります。

今年一年春日伝統太極拳を応援してくださりありがとうございました。
来年もより一層頑張りますので宜しくお願いいたします。



2022年12月26日月曜日

比較すること

ある団体では次のような稽古法を実践しているようです。

それは、
会員が2組に分かれそれぞれが演舞し評価し合うというもの。

他の団体がどのようなやり方で稽古を行うかは自由ですが、
私はこのやり方を好みません。

理由はひとつ。

このやり方では伸びないばかりか人の粗探しをすることによって心が乱れるからです。
かといって、傷の舐め合いもよくありません。

私は太極拳を始めて約半年で楊式太極拳の全套路を覚えました。
入門したばかりの私は瞬く間に先輩方から認められるようになりました。

人に認められたくて努力したのではありません。
ただただ太極拳が楽しかったのです。

私は練習を練習として行うことはあまりありませんでした。
生活そのものが練習になっていたからです。

そして、私が誰よりも早く套路を覚えたのには理由があります。
私なりの最速上達法です。

それは「他人を見ないこと」です。

先生しか見ませんでした。
理由は簡単、
先生が一番優れているからです。

人は誰しも人より優位に立ちたいと思います。
そこでまずやってしまうのが自分より実力が劣る人を見て安心するというものです。
これをやり出すといくら時間をかけても上達しません。
常に自分より劣る人を探しているのですから。
この行いの中に自分が努力するキッカケがあるでしょうか?

上達したかったらまずこのことを絶対に守ること。

「他人の粗探しをしない」
「自分より実力が上の人だけを見る」

これが私の中での揺るぎない最速上達法です。

言い換えれば、
「人を見下さない」
「常に上を見て歩く」

最速上達法は人間としての成長も促します。

実際、2組に分かれて評価し合うというやり方でやっている団体にいた生徒が以前当会にいましたが、
この者の心は常に他人との比較。
人を思いやるどころか仲間のことを自分が優位に立つための踏み台にしていたのです。
人を下に見て優越感に浸る。
一体何の得があるのでしょう?
これを知った時は居たたまれない気持ちになりました。

その者は自分が人より長けていると思う分野(演舞力)だけを伸ばそうとし、
他の苦手なことはことは鼻っから否定。

結局この者は本流の太極拳を身につけることは出来ませんでした。

太極拳は套路が上手に演舞できたら人より上手いということではありません。
演舞力=功夫ではないからです。

太極拳を舞踊として楽しむのも自由。
しかし当会では心と体を強くすることを目的としており、
これこそが武術であると思っています。

仲間を踏み台にするのではなく、
仲間を心から思いやれる広い心の持つ人間になって欲しいと思います。



覚える、固める、離れる

稽古会開けて今日の午前稽古は4人で稽古しました。

套路を覚える者。
套路を固める者。
套路を離れる者。

すべて太極拳の修行に必要なことです。

まず覚える、
覚えたら固める、
固めたら崩す
と言った感じですすめていきます。

覚えるのも大変ですが一度身に付いた型を崩すのも難しいかもしれません。
しかし、心の在り方ひとつで1秒でも変れることです。

自分を枠に嵌めない。

あと、修行する上で年齢は関係ありません。
「歳だから」
この言葉が出始めたら老化のはじまりです。

この意識ほど修行の邪魔になるものはありません。

私の場合、基本±1まわりは同年代であり兄弟です。
仮に2まわり違ってもその人をリスペクトします。
人の価値は年齢ではないですから。

「学び」に年齢は関係ありません。
子供から学ぶことだってあるのです。

そう考えられるようになったら一回り大きな人間になれるのではないでしょうか。




2022年12月22日木曜日

未来体験

 今まで何度かお話してきたことですが、
「解ったと思ったら解っていない」
「出来たと思ったら出来ていない」
ということです。

世の中には情報収集が上手な人がいて、
その情報から推測したり予測したりするのが得意な人がいます。
それがあたかも本当のことのように話し、それを「論破」などと言っていますが、
情報から得た予測は所詮机上の空論に過ぎません。

何故なら情報収集している時点でその情報に操られているからです。

情報の9割以上は嘘だと思った方がいいでしょう。
情報発信者のほとんどは、自分の都合のいいように情報を作り出すものだからです。

情報収集とは異なり、修行者は別の体験をすることができます。

そして懸命に修行を続けていると、
ある時、自分の可能性を垣間見ることが出来ます。
その時、今までにない力を得たように感じます。

しかしそれはやがて消えます。

なぜ消えるのでしょう?
それはまだその域に達していないからです。

ではなぜ体験できるのでしょう?

それは、
「あなたはやがてこの力を手に入れることが出来ますよ」
ということを一瞬だけ天がその力を与えてくれるのです。

これは努力していなければ決して体験出来ないことです。

目に見えないものを嘘だと決めつけるのは自由です。
数ある情報から勝手な予測を立てるのも自由です。

しかし修行者は実際に未来を見る力を持っています。

それが「悟り」や「気づき」と言われるものです。

世の中は修行が辛いと思って止めてしまう人がほとんどです。
こうして情報に操られる側となります。

真実が知りたいのなら、すべきことは情報収集ではありません。
修行あるのみです。



2022年12月7日水曜日

拒まない

今日は昇段試験のためにM子さんと自由推手をやりましたが、
まだまだ動きが硬かったので、相手を受け入れるように指導しました。

相手の攻撃を恐れるあまり逃げたり拒んだりするような動きになっては
いつまでたっても柔らかい動きにはなりません。

そこで、
相手を受け入れると実際どのような動きになるか手本を見せました。

この後のM子さんの動きが全く違うものになりました。

相手の攻撃は本当に攻撃でしょうか?
もしかしたらそれはプレゼントかもしれません。

拒まず受け入れる。

そうすればやわらかい動きになり、太極拳の本当の姿が見えてくるでしょう。

2022年12月1日木曜日

こんな人は失敗します

12月になりました。

当会では今月11日に昇級試験と昇段試験を行います。
今まで何度かお話してきたことですが、
試験を行う理由は私の夢だったからです。

試験を開催することではありません。
試験を受ける方です。

私は事情によりお世話になった会を離れなければならなくなり、
予定していた昇段試験の機会を失ってしまいました。

子供の頃、剣道と空手を少し習いましたが、当時は色帯の先輩に憧れました。
しかしそれも機会を逃しました。

試験で目指す級をとる。
段をとる。
色帯をとる。

これらの諦めきれない夢をずっと引きずりながら生きてきました。

これこそが当会で昇級試験・昇段試験を行う理由です。

私が叶えられなかった夢を会員や門下生に与えたい。

うまくなりたい
上達したい
強くなりたい

人それぞれ目標があると思います。

しかし漠然とした目標では到達するのにただただ時間がかかるだけです。

明確な目標と時期設定があれば人は驚くほどの力を発揮します。
それは他の分野でも散々経験してきたし、それを実証してくれる人は世界中に大勢います。

ちょっとネガティブな話にはなりますが、
検定試験で失敗し当会を去った人の話です。

一人は試験日に風呂に入っていたという理由で無断遅刻しました。
謝罪も一切ありませんでした。
試験内容も散々で当然不合格でした。

もう一人は試験に向けて個人レッスンをたくさん受けられる方でした。
しかし家では全く練習しない人でした。
当然、試験内容も合格点に到達するレベルではなく不合格となりました。

この方々はこれを機に辞められました。

この話を聞いてどう思いますか?

そもそも試験はなんのためにあるのでしょう?

多少時間遅れても試験さえ受ければ合格するのでしょうか?

家で練習しなくともレッスンをたくさん受ければ合格するのでしょうか?

このことを思い出すたびにとても残念な気持ちになります。

一方、どんなに忙しくとも少ない空き時間を利用し試験のために懸命に打ち込む受験生もいます。
たくさんレッスンを受け、家でもたくさん練習する受験生もいます。

だらだらと套路を通すだけの練習をしていても上達しません。
もちろん体を動かすことによる健康効果は得られますが・・

大切なことは試験に向けてどれだけ集中し、
どれだけ意欲的になれるかではないでしょうか?

頑張ってる自分を自分で褒めてやりたい。
そんな自分に出会うことも出来るでしょう。

楽しいことばかりではありません。
辛いこともたくさんあります。

可能性にチャンレンジし自分の願望を叶えるために必要なことであり、
辛いことから逃げず立ち向かえば必ず人は成長することが出来ます。

今こそが今までと違う自分に出会える絶好の機会です。

自分の可能性を信じ最期まで諦めず頑張って欲しいと思います。



2022年11月24日木曜日

251式太極拳

当会は簡化太極拳を行っていません。

理由は本家から伝わる伝統太極拳をありのままに伝えたいからです。

簡化太極拳の歴史は浅く、体操として親しまれるよう制定されましたが、
それと同時に武術の要素が失われてしまいました。

太極拳の技は教科書を見ながら学ぶことは決してできません。

何故なら勁を理解出来ないからです。

勁を身につけるには気功の実践は絶対必要であり、
また勁を使える師につかなければ決して学ぶことは出来ません。

太極拳に「払う」「受ける」という動作はありません。
もしこれらの言葉を口にしているとしたら間違った太極拳が広まってしまいます。

当会ではまず最初に85式太極拳を1年で覚えます。
次に99式太極拳を1年で覚えます。
更に、13式太極刀、54式太極剣を学びます。

全部で251式となります。

そんなに覚えられるのか?

はい。覚えられます。

高齢の方も覚えられます。

ピアノが上手くひけるようになりたかったらバイエルから始めますが、
いつまでもバイエルばかりではバッハもショパンも弾くことは出来ません。

簡化太極拳は短く覚えやすく体操としては優れますが、
その粋を超えることはありません。

人間は常に進化しているように
常に上を目指すことが大事だと私は思います。

もっと自分の可能性を知りたくありませんか?

私のこの野望は生きている限りずっと続くと思います。



2022年11月20日日曜日

令和式太極拳上達法

11月も早いものでもう下旬になりました。
2022年もあと41日で終わりです。

当会では来月、検定試験と今年一年の締めくくりとして稽古会があります。

検定試験に関しては始める時周りからの意見は賛否両論でしたが、
試験を受けるかどうかは任意です。
試験を力をつけるためのモチベーションにするも、
健康維持のためにのんびりやるのも自由です。

ただひとつ言わせて頂くと、
太極拳を趣味や習い事のカテゴリに入れるのではなく、
強く生きるための手段だと捉えて欲しいです。

仕事、生活の上に太極拳を置くのではなく、
仕事も生活もプライベートも太極拳の上に成り立つという考え方です。

事実私は太極拳を始めて、仕事も生活もプライベートも全てが向上しました。
もう、本当に人生を3回分ぐらい楽しんでいる感じです。
生きている間に輪廻してる感じでしょうか。
病気や怪我しないのは当り前で、生きることそのものが最高に楽しくなります。

人生をもっと豊かにするために太極拳という手段がある。
そしてその質を高めてくれるきっかけになるのが試験です。

人は目標なくして努力しないものです。
辛いことからは誰だって逃げたいですからです。
逃げてばかりいて、ただ死まで消化試合を送る人生が楽しいと言えるでしょうか?

私は死ぬまで様々なことにチャレンジしたいと思っています。

ここからは試験の話になります。

試験合格の秘訣をお教えします。

方法は簡単です。

自分の動きを自撮りすることです。

これだけです。

折角、令和に生きているのだから、
いつもスマホを持ち歩いているのに自分の動きを撮らないなんてもったいないとしか言いようがありません。
撮って見れば自分の欠点が解ります。

ハッキリ申し上げますが、
上達しないのは欠点から逃げようとしているからです。
欠点や弱点から逃げてはいけません。

なぜなら必ず克服出来るからです。

克服出来ないことなら逃げようとも思わないはずです。

克服すれば新しい自分と出会えます。
そして太極拳は間違いなく人生を豊かにしてくれます。

最期まで諦めないでください。
そうすれば必ず道は開けます。



2022年11月12日土曜日

相手に合わせる

昨夜は中級クラスの稽古日でした。

中級クラスのメンバーはいつも本当に稽古熱心です。
特にTさんは推手プログラムの参加に熱心で、かなり感覚を掴んできたようです。

推手プログラムではある一定の練度に達すると生涯無料となりますが、その日も近いと感じました。

Y子さんも同じく熱心で、最近ようやく相手に合わせるということが解ってきたようです。

推手に関しては9年前当会を立ち上げてから「自分で動こうとしない」「相手に合わせる」と言い続けてきました。
しかしながら、なかなかそれを理解しれもらえず長年歯がゆい思いをしています。

例えば二人三脚で二人がバラバラの動きをしたらどうなるか想像できると思いますが、推手でも同じです。
推手はお互いがきちんと合わせれば粘勁が働きとても楽しいものになるのです。

八卦掌の散手で単環掌というのがありますが、
Mさんに「本気で打ってくれ」と頼むのですが、どうしても途中で止めてしまうようです。
そんな優しさはいらないのですが、Tさんに頼んだら日頃の恨みを込めて思いっきり打ってくれました(笑)
なんとも気持ち良かったです。

ちなみに腹筋には全く力をいれません。
というより腹筋そのものがありませんし、脱力を目指す者としては力を入れることすら面倒になります。

こんなふうに太極拳で鍛えられるのは丹田力です。
丹田力とは生命力そのものです。



2022年9月28日水曜日

円の秘密

楊式太極刀と楊式太極剣

どちらも意識して欲しいのは
「円の動きになってるか?」ということです。

紙に鉛筆で円を描いてみてください。
力が入っているとうまく描けません。
きれいな円を描こうとするなら、鉛筆を短く持たず少し長めに持ちます。
すると力を入れることが出来ないのできれいな円を描くことができます。

刀や剣でも同じです。
指、手首、肘、肩に力を入れないこと。
どうやって円を描くか?

腕ではなく腹で描きます。

いわゆる体全身で動くということです。

ところで、
なぜ円の動きが大切なのか?

それは「武」を意識すればわかります。
刀も剣も腕を使って振り回すものではありません。
どちらも刃物なのです。

突こうと相手に刃を向ければ、逆に自分の手首を切り落されるかもしれません。

だから太極刀や太極剣は円の動きなのです。
円で捌き、円で斬る。

その動きはとても優雅で美しいですが、
同時にとても恐ろしく残酷なものでもあります。

これが太極拳なのです。







2022年9月23日金曜日

片足立ちは特別ではない

「先生は片足でどれぐらい立ってられますか?」

先日会員さんからこんなことを聞かれました。

私は「さあ、考えたこともない」と答えました。

それもそのはず、
私にとって片足で立つことは特別なことでもなんでもなく、ごく日常的なものだからです。

とはいえ、気になったのでやってみました。
踵脚の状態でやってみたらひとまず1分は出来ました。

片足の状態で軸足を曲げ、蹴り上げている足を後ろに回すことも出来ます。
大きく飛び上がり片足で着地することも出来ます。

しかし、これが特別なことだとは思いません。

日頃から毎日武術の鍛錬をしていれば自然に身に付くもので、大きな勁を出すためにはこれぐらいの軸感覚と放鬆が必要だと考えるからです。

とはいえこれを目的に練習するのはよくないと思います。
私の経験から言わせて頂くと確実に勁力が落ちます。

同じことをやとうとしても何を目的とするかで身につくものが大きく違ってくるということです。

勁力は年齢に関係なく無限に強くすることができます。

病気しない、怪我しない強靭な体をつくるためにも、
武を意識しならが毎日站椿功を実践し、套路をゆっくり練ることを強くおすすめします。

#太極拳 #勁力 #軸感覚 #放鬆



2022年9月20日火曜日

太極拳で最も難しいこと

昨夜の午前クラスは男子のみだったので
推手と散手で勁の使い方を少しレクチャーしました。

相手がどんなに強い力で打って来ようが、猛スピードで打ってこようが、
右へ左へといなしてしまいます。
その中に自分の意思はありません。
まるで風見鶏のように風の向きに合わせてくるくる回るだけ。

ところで、太極拳がなぜ柔拳と呼ばれるのでしょう?

言葉では「柔」と発しておきながら、いざ相手に突きを出されるとついつい剛拳になってしまう。
誰かに思いっきり殴りかかれたら身構えてしまいますよね?
本能なんです。
だから柔わらかい力を使うためにはそれなりのトレーニングが必要です。

しかも柔拳になるために必要なことはテクニックだけではありません。
一番難しいのは「心」です。

「技術1:心9」といった比率でしょうか。

人生で一番難しいことはなんでしょう?

優しくなることでしょうか?
恐れないことでしょうか?

どれも大事ですが、
私が一番難しいと思うのは「許す」ことだと思います。

一旦相手に敵意、憎しみ、恨みを持つと、
それをなかなか許すことが出来なくなってしまいます。
「許す」ということが私は一番難しいと思いますし、
私も人生においてしばしばこれで苦労します。

しかし太極拳で相手から身を守るにはこの「許す」ことが一番大事なのです。

「許す」はやわらかいです。
「許す」には愛があります。
「許す」には友好的な気持ちがあります。

相手の攻撃を許す。
それを受け入れる。
それを返す。

いたずら電話撃退法でありましたよね?
自分の声を本人に返す。

それによって本人が自分の失態を知りそれ以上やろうと思わなくなります。

私が考える太極拳はこんな感じです。

太極拳の技は残酷なものが多いです。
しかしその中には愛があると信じます。

だから私は数ある武術の中かから太極拳を選びました。




2022年9月19日月曜日

聴く

本日自由練習会でした。
参加者は2人。
Y子さんは12月の試験のために弱点克服のための練習、
T子さんは先日楊式刀デビューしたばかりで刀の基本功をひたすら練習しました。

自由練習会の良さは指導と自習時間のバランスがとれていること。
足りない部分を克服するため、短期間で修得するにはとても良い機会です。

話は変わりますが、
太極拳で大事なのは力を出すことより力を抜くことです。

相手を何メートルも吹っ飛ばすことの出来る発勁に憧れると思いますが、
あれは力で飛ばしているのでありません。
呼吸とタイミングなのです。

そのタイミングを知るためにも脱力は絶対必要です。
力が入っていてはその情報を得ることが出来ません。
バッターがホームランを打てるのは力があるからだけではありません。
球をよく見てジャストミートしているからです。

発勁で人を吹っ飛ばすのも同じです。
ジャストミートしなければ絶対に飛びません。
そのために「聴く」「溶かす」「捕える」「発する」することが大事です。

発勁は力を出そうとして出来るものではありません。
無の状態で発する力です。

いずれもまずは聴くこと。
相手の情報が必要なのです。

お喋りな人はこの感覚をなかなか身につけることが出来ません。
人の話を最後まで聞きましょう。
人の話を聞かずにどうやって相手の情報を知ることが出来るでしょう。
自分の情報を相手に与えても仕方ありません。
知ることが大事なのです。

太極拳の練習は道場に来て稽古するだけではありません。
自分を変えていくことから始めることが大事です。

変わらないというのは嘘です。
それは単に変わろうと努力していないだけです。
変わろうと思えば1秒でも変わることが出来ます。



2022年8月29日月曜日

太極拳は趣味ではありません

今朝、稽古の休憩時間に雑談している時、
「私の趣味はバイクと楽器とコーヒー」だと話すと、
Tさんが「武術は?」と聞いてきました。

その場では「武術は当然」と答えましたが、
実際、私にとって武術は趣味ではありません。

武術は自分にとって人生であり
生き方そのものなんです。

趣味というのはあくまでも空いた時間にやるものであって、
私にとって武術は生活そのものです。

料理をしてる時
掃除をしてる時
風呂に入っている時
外を出歩いている時

すべて武術です。

因みにバイクや楽器も武術です。
なぜなら丹田を使ってバイクを操り、丹田を使って楽器を演奏するからです。

私は来年還暦になります。

バイクに関しては遅咲きですが、今からレーサーになれるでしょうか?
楽器ならどうでしょう?

始めるのに遅いということはないと思います。
しかし、これらでプロになれる可能性はかなり低いといえます。

では太極拳ならどうでしょう?

太極拳は年齢関係ありません。
修行を積めば積むほど神のような力が得られます。
90になっても、100になっても。

これこそが残された人生を太極拳に掛けようと思う理由です。

バイクや楽器は太極拳の基本があればそれなりにこなせるようになります。
全部、生きてくるのです。

だから人生まるごと最高に楽しくなるのです。

太極拳は50代からと言われています。
これからが人生の始まりなんです。


楼膝拗歩の秘密

楼膝拗歩(ろうしつようほ)は太極拳では基本かつ汎用性の高い技のひとつです。

この楼膝拗歩についてですが、
何度指導しても打つ前に掌を前に向けてしまう会員さんが多いです。

そもそもなぜ打つ前に掌を前に向けてはいけないのでしょう?

太極拳という武術はいかに敵を欺くかが鍵となります。
いわば手の内を見せてはいけないのです。

勘のいい人ならもうお気づきですね?

ひとつ例をあげるなら、投手が変化球を投げる時、球の握り方をグラブで隠しますよね?

それだけではありません。
掌を前に向けない理由はまだまだあります。

気の流れる方向
力学的な理由
呼吸との関係
丹田との関係

等々。

楼膝拗歩に限らず、套路の順番を覚えたら、今度は一式一式丁寧にやることが大事です。
そして、その動作の意味を探求することも大事です。

私が最初、太極拳に魅力を感じたのは、その動きが闘っているようにみえないところでした。
それこそが太極拳で最も重要なことなのです。

#楼膝拗歩 #楊式太極拳 #呼吸 #丹田 #気の流れ



2022年8月19日金曜日

考えない

最近小人数が続いてますが、
その分一人一人時間を掛けて指導出来るのでこの機会にしっかり力をつけて欲しいと思うところです。

昨日から今日に掛けて共通して感じたことは、動きがバラバラになってしまうことです。

初心者であれば仕方ありません。
しかし5年以上やっていてもそうなるのは、太極拳の動き方が理解できておらず、それを実践出来ていないからです。
又、考え過ぎてしまって深みに嵌ってしまうケースもあります。

太極拳に限らずなんでもそうですが、考えすぎると人間動きが硬くなるんです。
動きがきれいな人は何も考えていません。
ただただその瞬間を楽しんでいるだけです。

私の場合、
動かない時は何も考えない、
動く時も何も考えない、
当然、いなす時も、打つ時も何も考えません。

立禅をする理由は瞑想するためです。
いわゆる無になることです。
思考回路のスイッチを切りましょう。

立禅の時、雑念や妄想に囚われていませんか?
立禅でそうなってしまうのであれば套路で無になるのは難しいでしょう。

「手本を見せるからよく見てて」

私はそう言って、頭のスイッチを切ります。
そして体に任せます。

いいところを見せようとか、気負ったりとか、
そんなこと考えると大抵ヘマをします。

何も考えない。
呼吸で動く。
それだけで動きはずっと良くなります。

今日限り考えるのをやめましょう。



2022年8月9日火曜日

ストレッチはやるな!

いきなり乱暴なタイトルになりましたが、
そもそも圧腿(あったい)の目的はなんでしょう?

ある会員さんから「前は稽古の時してましたよね?」と言われたので、
あえてこの話題に触れてみました。

因みに圧腿とは股関節を柔らかくするためのストレッチです。

結論から言えば不要です。

私は鍛錬する時、圧腿は一切やりません。
同じ時間があるなら站椿功か套路に時間を掛けます。
套路と言っても形を整える方ではなく氣を練る方です。

競技に出ていた時は、ある選手からすすめられ毎日実践し、
確かに足が上がるようになりました。

しかしそれだけです。

そもそも膝が伸びた脚は、武術的視点から見ると技を掛けられやすい状態となります。
技がきれいに決まると、関節が外れその時点から立てなくなるほど危険な技です。
だから当会では膝を伸ばすことを禁止しています。

圧腿の目的は股関節を柔らかくすることです。
しかし、この「やわらかい」が伝統では違うのです。
伝統でのやわらかいは力みのない状態であり、競技で言う柔らかいは可動域の広さを指しています。

ではこの可動域を大きくするために圧腿は有効でしょうか。
答えは有効でもあれば有効ではないとも言えます。

なぜなら必要ないからです。

股関節の可動域を広げるために無理やり筋肉や筋を引っ張るのではなく、
逆にゆるめるのです。

もしそれでも股関節の可動域が狭いと感じるのであれば、それは心の問題です。
心が固くなっているから可動域が狭くなるのです。

心と体は同一です。
だからほとんどのことはイメージ通り(想像以内)に起きます。
「無理」と思ってしまうと無理な結果になるのは当然ですね。

ではどうすればいいでしょう?
もうわかりますよね?

因みに私にとっての分脚や踵脚などの技は足の発勁動作であり、
下勢などの低い動作では敵の視界から消えることをイメージして動いています。

その動作の目的は技であり、動作ではありません。
「足を上げる」とか「低い姿勢をとる」というのは目的ではなく、
目的のための動作に過ぎないということです。

今一度、自分の練習法を見直してみることをおすすめします。

意味のない練習にどれだけ時間を掛けても武の功夫は身に尽きません。
時間を掛けることも大事ですが、毎日なにをやるか?が一番大事なのです。

今行っている練習を10年続けると何が出来るようになるでしょう?
時間は取り戻すことが出来ません。

だから「今」何をやるかが大事なのです。



#圧腿 #ストレッチ #分脚 #踵脚 #下勢













2022年7月23日土曜日

時間を変える

昨夜は中級クラスでした。

当会の中級クラスは一般的な上級クラスの部類に属すると思っています。

ではなぜ中級クラスという名称にするか?
それは、「まだ上がある」
ということを知って欲しいからです。

太極拳は套路を覚えたら終わりではありません。
太極拳は技を覚えたら終わりではありません。
それ以上になにがあるか?

見えない力です。

人は25歳を過ぎたら老化が始まります。
何もしなければこの流れを変えることは出来ません。
いわば死へのカウントダウンの始まりです。

毎日、同じ仕事をし、生活をし、たまに余暇を楽しみ、
こんな風に人生を消化していくことになります。

この流れを変える方法はないのでしょうか?

これこそが私が太極拳を続けてきた理由であり、一生続けようとする理由でもあります。

太極拳をはじめたその日から消化するだけの人生ではなく、進化がはじまります。

太極拳は人を進化させてくれるのです。

確かにいろいろ衰えてきました。
筋力、視力、聴力、記憶力、判断力、注意力、瞬発力等々。

しかしどうでしょう?

来年還暦を迎える私は、
前を走ってる学生を追い抜くほど速く走れます。
階段を駆け上がることが出来ます。
力でも若い人に負けません。(勁力です)
怪我してもすぐに治ります。(驚異的な速さです)
病気しません。(過労で倒れたことはありますが・・)
洞察力が上がります。
見ただけで人の考えていることが解ります。
人のエネルギーレベルやその流れが見えるようになります。

自分でも不思議に思います。

私はこれが解ったから太極拳を続けているし、
それを身を以て証明しようとしています。

人生これからです。
間もなく60歳になろうとしている私が本気でこのように思うのです。

それを教えようとしているのが中級クラスです。

入門クラス、普通クラスで教えているのは太極拳を覚えることです。
それを活かせるようにするのが中級クラスです。

気功、基本功、太極拳、八卦掌、形意拳、推手、散手、ミット打ち等々。

これらは覚えたことを活かすために行っています。

太極拳を始めると死ぬまで強くなれます。
亡き師父が残してくれた言葉です。

今、私が頑張れるのはこの言葉がいつまでも頭の中でこだましているからです。

太極拳は単なる高齢者向けの健康体操ではありません。
老化を進化に変えてくれる秘術なのです。



2022年7月22日金曜日

弱点を活かす

「見る力を養う」

見ることは聴くより大事です。

もちろん聴くことも大事なのですが、
教わったことを言葉に変換し、またその言葉を動作に変換するのでは効率悪くないですか?

本を読んで独習するならまだしも、
目の前に手本を見せてくれる人がいるなら、見たままやればいい。
まんまやればいい。

それでも、ある程度のレベルに達すると、形だけでは通用しなくなります。
どんなに奇麗な動きをしても奇麗でしかないものになってしまいます。

太極拳は武術です。
武を意識しなければ決して武術になることはありません。
(舞踊やスポーツとしての太極拳をするなら別です)

何を見るか?
姿勢や動作は散々見てきたはずです。

私が師を見る時は出ている空気を見ます。
いわゆる「氣」です。

どこに氣を集めて、
どこに発射しているか?

それを見ることによって、後々、動作や姿勢の意味を知ることができます。

「なるほど、だからこの姿勢なのか」
「なるほど、だからこの動きなのか」
といった具合です。

私は若い頃にバンドでロックをやっていたせいで耳が遠くなりました。
言葉があまり入ってきません。
だからその分見ようとします。

視力が弱い人はその視力の弱さを活かすべきです。
メガネやコンタクトを外し見てみましょう。
今まで見えなかったものが見えるのではないでしょうか?

少なくとも私が師を見る時は、わざとピントをぼかして見ます。
どこかに一点に焦点を合わせてしまうと太極拳の動きを見ることはできません。
なぜなら太極拳は気を用い体全身を使うからです。

自分の弱点を活かす。

もしかしたら見えなかったものが見え、新しい感覚が身につくかもしれませんね。



2022年7月10日日曜日

超リラックスが勁を生む

昨夜は超気功クラスと夜間普通クラスでした。
超気功クラスとは気感を強くするための特別プログラムで、それによって内家拳に必要な勁力を上げることを目的としています。

太極拳で物質的なことだけに囚われていては内家拳としての太極拳に近づくことは出来ません。
目に見えないものを見ようとしたり出そうとしたりすることは、力を出すこととは異なり、極限のリラックス状態と集中力が必要です。

では、力を抜こうとすることでリラックス状態に入ることが出来るでしょうか?
いいえ。
抜こうとすること自体が雑念なのです。

例えば湯船に浸かっている時やベッドで横になっている時に力を抜こうとするでしょうか?
何も考えなくとも自然とリラックス状態です。

いわば超気功クラスは脱力方法とすぐさま瞑想状態に入るための特別プログラムなのです。

今回のメンバーで一番強く気を感じたのはM子さんでした。
両手を出して目を瞑っているM子さんの掌に重い気を発射すると次第に腕が下がっていき、引きつける気を出すと手が吸い寄せられるようにどんどん上がっていきました。

M子さんは長年気を感じることが出来ないと落胆していましたが、今では気感も勁力も確実に上がってきています。
家庭では社会人になる息子さんにふざけて突きや蹴りを出されることがあるらしいですが、それらすべてをいなし時折当て身を入れることもあるそうです(笑)
なんとも頼もしいお母さんです。

普通クラスではIさんとNさんが武器術を順調にすすめています。
因みに楊式刀や剣ではこれら武器を矛として使うだけではなく盾としても使います。
体すべてを使うのが太極拳の考え方ですが、それがあの美しい動きを生み出します。

散手は単鞭(たんべん)を稽古しました。
どの技も同じですが特に単鞭は手だけでは技は掛かりません。
手足すべてを使うことはもちろん、気を通すことが大事です。

気の通った腕と、力任せの腕では全くパワーが違います。
技術ばかりに目を向けるのではなく、太極拳では見えない力を意識することはもっと大事です。

2022年5月30日月曜日

立ち方が変わると太極拳が変わる

今日も朝から晩まで稽古を行いました。
午前稽古、推手レッスン、オンラインレッスン2つ。

午前稽古では十字手の用法練習を行いました。

大事なことは相手の手を掴まないこと。
どちらかといえば相手に手を掴ませること。

普通逆ですよね?

これこそが太極拳の面白いところです。

今日は関東のEさんのレッスンを行いましたが、当会でオンラインレッスンを始めて約1年と9か月。
休会中の会員を省き現在当会では最年長になります。

2年経たずして双辺太極拳2段まですすみました。
これには驚きましたがもっと驚いたのは立ち方です。
かつての立ち方とは全く違います。

簡化太極拳等をされている方の蹴り動作を見ていると、力で脚を上げているのが見てすぐに解ります。
見た目は美しいのですが、外から触れられると耐えられずすぐに倒れてしまうでしょう。
しかし丹田で立つと、相手に触れようが蹴られようが崩れることはありません。

何故でしょう?

伝統拳は闘うための太極拳だからです。
闘うための太極拳が相手に触れられたぐらいで倒れていたら命がいくつあっても足りません。
片足で相手の蹴りを捌き片足のまま蹴り返します。

健康増進に関しても武を意識して太極拳に取り組めば、怪我をすることも病気することもなくなります。

太極拳は自分自身を強くすることの出来る武術なのです。



2022年5月25日水曜日

丹田の正体はプラズマ?

武者修行でパワーアップ。今日から稽古開始しました。

午後は自立支援講座。
毎回、気功と太極拳によってどう変わるか?ということを動作ごとに説明します。
いつも話すことですが、私は最近更に早く歩けるようになりました。

東京は人が凄い。
そんな駅構内や道路も人の群れをいなしながら疾走しますが、これも稽古の一つです。
エスカレーターは必ず歩き、階段は重い荷物を背負って駆け上がります。
階段一段飛びはもちろん二段飛び歩きもかるく出来ます。

決して無理をしているのではなく、体が軽く弾むように足がどんどん前に進んでしまうのです。

先日の師との組手で脚を負傷しましたが、夕方に負った傷が夜にはカサブタになっているのには自分でも驚きました。

とてもアラ還の治癒力とは思えません。

打たれ強くもなりました。
弟子や生徒に頼み、思い切り打ってもらうのですが、耐えるという感覚ではありません。
なんというか・・
マッサージをしてもらっているような感じで気持ちがいいのです。
一応に言っておきますがM気は全くありませんので(笑)

これが太極拳で身に付くチカラです。

凄いのは技ではなく、感覚や体が超人として改造されていく感じです。
明らかに20年前より今の方が体が軽いです。

夜間稽古ではプラズマボールで遊んでみました。

私はこれを見た時に丹田そのものだと思いました。
丹田は腹を切っても目で見ることは出来ないので、その正体はプラズマなのかもしれません。
中心から放射され張り詰める感覚です。

最近クルマを運転している時も、発進、停止、曲がるなどの操作を行う時に丹田が膨らみます。
どうやら車ですら丹田で動かすようになってきたようです。
すると長時間運転しても肩が凝るどころか肩がどんどん軽くなっていきます。

こんな感じで、悪質な煽り運転もさらりといなせるようになりたいですね。



2022年5月14日土曜日

平均以下ならダメか?

昨夜、私自身が記憶力で苦労している話をしたら、
会員さん達が「そんなことはない」というような素振りをするので、
改めて自分がどれほど記憶で苦労しているか話しました。

スラスラ覚えられたら本当に苦労ないです。

套路にしても早く覚えられるのではなく、
早く覚えられるよう毎日たくさん練習しているのです。

稽古に参加したら先生の動きを見続けているし、
苦手箇所に関してはその部分だけをひたすら反復練習します。
回数にすれば50回ぐらい、1ヶ月で1,500回、1年で18,000回です。

特に基本を重視します。
カッコイイ技ばかりをやろうとせず、地味な基本功を毎日欠かさずやります。

用語や理論がなかなか覚えられないので部屋にそれらの紙をべたべた貼り、
トイレにはいまだに套路名称の紙が何枚も貼ってあります。

教わったことは必ずメモにとり、
出来る限りそれが出来るように繰り返し練習します。

どうしても覚えられない時は自分だけのための教材を作ることもあります。

能力があるのではなく人一倍努力しているのです。

学生時代は赤点ばかりで成績はいつも平均以下。
成績を見せる度に親にこっぴどく叱られてました。

正直、能力がある人が羨ましいです。
わずかな練習で覚えてしまうのですから。

しかし勁力に関しては能力は関係ないようです。
能力があろうがなかろうが、長年コツコツと努力した者でなければ得られないチカラだからです。

力のある人や体が柔らかい人を羨んだこともあります。
しかし力が勝っていても、体が柔らかくとも勁が使えるわけではありません。

勁は全ての人に対して平等なのです。

だから学生時代平均以下の自分でも「これなら!」と思って今まで頑張ってこれました。

達人と言われる人も人が見ていないところで血の滲むような努力しているのです。
大事なことはそこに「強い意志」があるかどうかです。

私は体力も柔軟性も自信ありませんが、強い意志だけは常に持ち続けています。

それは、常に変化した自分に出会いたいからです。





2022年4月20日水曜日

子宮力と丹田

今日は午前クラスとプライベートレッスン2つ。
毎日朝から晩まで太極拳稽古です。

午前クラスでは十字手の技を練習したのですが、
「套路のどこの部分なんですか?」という質問があったので
その場で実践しました。
技は套路通りのものもあればそうでないのもあります。

因みに技が解らない理由のひとつは「手で技を掛けている」と思ってしまうからです。

手はあくまでも接点に過ぎません。
技を掛けているのは足であり体幹です。

そして、エネルギー発生源は腕の筋肉ではなく丹田です。

丹田が位置する部分はいわゆる子宮の位置。
出産経験のある女性ならすぐにピンと来るはずです。

丹田を意識出来るようになると、丹田を中心に体がパンパンに張り詰める感覚が得られます。
これが丹田力です。

「そんなものあるわけがない!嘘だ!」
という輩もいるでしょう。

しかし不思議ですね。
か細い女性の腕で自分より大きな男性を捻り上げることが出来るのは何故でしょう?
その腕で私は何度も腕をへし折られそうになりました。

因みに私の腕も細いです。
自慢ではないですが、高校時代から腕立て伏せや筋トレをしたことが全くありません。

会員さんに私の腕を触ってもらうと、その細さにびっくりされます。
しかしこの細い腕で、自分よりも大きな男性の動きを制することが出来ます。
不思議ですよね?

腕力は腕の太さに比例すると言いますが、
この現象をどう説明出来るでしょう?

見えないものを信じないのは別に構いません。
人それぞれですから。
しかし実際に体験すればどんなに優れた頭脳を持っている人であってもその謎を解くことは出来ないでしょう。

解らないことをあり得ないと考えるのは知識だけに頼っている証拠です。

話をちょっと戻します。

初心者がよくやってしまうのが、膝から動いてしまうことです。
手と足のバラバラで、どうしても膝が先に出てしまいます。
理由は簡単です。
人間は本能的にどうしても楽な方へと流されてしまうからです。

ゆっくり動こうとすると足が辛いです。
その辛さから逃げたいあまり体重をすぐに前に移してしまうのです。

先輩方が套路を気持ち良さそうに練っているのは、
その痛みを乗り越えたからこその気持ち良さなのです。
本当の気持ち良さとはそういうものではないでしょうか?

因みに私は未だに苦痛を求めようとします。
足を前に出す時、すぐには足を床に置かずしばらく宙に浮かすようにしています。
こんな風にして毎回套路を練るたびに軸と内筋を鍛えています。

套路を練る時は、
「さあ!体を鍛えよう!」と思ってとりかかりましょう。
太極拳でなければ鍛えることが出来ない力を得ることが出来ます。



2022年4月18日月曜日

暮らしに活かせる勁力

今日は午前、自由練習会、午後は推手会、その後は気功試験、
そしてプライベートレッスン2つ。
朝から日没まで。
天気も良く気持ちのいい稽古日和でした。

自由練習会は本来、指導者立ち合いの自習稽古ですが、
今日は全員受検者でしたので合格祈願を込めて時間一杯指導しました。

推手会への参加者はM子さん一人のみ。
今の時期様々な用事が重なるのでしょうが、
そんな中でもなんとか時間を作って参加するM子さんには特別トレーニング。

当会が目指すのは演武力ではなく勁力です。
推手なくして勁力は決して身に付きません。

M子さんが料理でかき混ぜをする時、丹田を使ってみたら「こんなにラクにできるとは!」と驚いたそうです。
こんな風にムダな力を使っている場面は稽古だけでなく生活でもいたるところにあります。

演武力と異なり勁力は生活に活かせるのです。
この思いは師から伝わったもので、私自身もこれを伝えていかなければと思い今日に至ります。

プライベートレッスンでは現在オンラインレッスンで双辺太極拳稽古中のEさんですが、今日はオフラインレッスンで稽古しました。
技の用法や勁の使い方などをレクチャー。
年に何度か関東から稽古に参加されるというとても熱心な会員さんですが、私が教えることを「私だけの宝物」と言ってくれたことがとても嬉しかったです。

人と人との記憶は最後に会ったその日の記憶で止まってしまいます。
その後、努力を続けた人と普通に生活している人とでは雲電の差が出ます。

とある交流会である人と1年ぶりに手合わせした時、わずか1年で驚くほど腕を磨いた人がいましたがこの時は本当に驚いたものです。
「腕上げましたね」というとご本人も満足そうな笑みをみせてくれました。
努力する人は本当にカッコいいです。

私も進化し続ける人でありたいと思うし、
昨日の自分より今日の自分と言える自分になりたいと思います。



2022年4月16日土曜日

学ぶ吸収力、溶かす吸収力

昨夜は中級クラスと深夜プライベートレッスンでした。

中級クラスでは楊式太極拳と八卦掌、そして推手をやりました。

今回初めてでしょうか?
自由推手をやってみました。

自由推手では手も足も自由に使ってよく、態勢を崩さないようにするための練習方法です。
今回はじめてということもあり、
足が自由に使えるのにいつもの癖で手で処理しようとしてしまいがちでしたが、
とても良い練習になったと思います。

推手で「粘り付く」ことを身に付け、
自由推手では「足を使う」ことを覚えます。

話は変わるようですが、
覚えが早い人は他の人と何が違うのでしょう?

それは吸収力です。
学ぼうとする心です。

意欲的な人はスポンジのようにやわらかく水をたっぷり吸収します。
そうでない人は石のようでほとんど何も吸収できません。
昔、頑固な人を石頭と言いましたが、本当にその通りだと思います。

学びに来ているはずなのに、
何故か自分でやろうとしてしまったり、
反抗してしまったり・・
実に勿体ないです。

私が師に稽古をつけて頂く時、
道場に入るやいなや「さあ、出来る限り吸収するぞ!」という気持ちで稽古に挑みます。
1分たりとも時間を無駄にしたくありません。

太極拳で大事なことは、
「学ぶ」ための吸収力と、
「相手の力を溶かすため」の吸収力です。

深夜レッスンではUさんの動きが変わりました。

先日のレッスンでUさんの伸び悩む理由が解ったのです。
それは忙しさのあまりほとんど稽古に参加出来ていないからというものでした。

稽古では毎回全套路を通します。
その時に指導者からどれだけ動きを盗めるか?ということになりますが、
その機会がなかったからです。
前回一緒に全套路通したら、その後のUさんの動きが変わりました。

「なんとなく稽古に参加してる」
「先生の動きを見ていない」

とても勿体ないと思います。

大事なことは
「時間を掛けること」ではなく
「時間を大切にすること」ではないでしょうか?









2022年4月6日水曜日

心が勁を生み出す

今日は午前稽古と、プライベートレッスン2つでした。

太極拳を始めたばかりの頃、誰もが思うことだと思いますが
「思ったより難しい」です。

ゆっくりだから簡単そうにみえますよね?
ところが太極拳の動きに直線はありません。
真っすぐのように見えても必ず円の動きが存在します。

先生についていけているはずだと思っていたのに、
いつのまにか手の裏表が逆になっていたり、
左右の足が違っていたり・・
何度も経験あるでしょう。

しかし、なぜそうなるのでしょう?

答えは簡単です。
簡単に解ってしまったら太極拳ではなくなってしまうからです。

力を使わないで闘う武術。
そこにはちょっとしたトリッキーな動きが数多く隠されているのかもしれません。

とはいえ、太極拳の理論が解ってしまえば、太極拳は難しくなくなります。

もし長年やっていても難しいと感じているのなら、
それは自分自身で難しくしてしまっているのか、
それとも商業的な戦略なのか。

午後からM子さんの昇段試験のためのレッスンをしました。
昇級試験までは動作が出来ていれば合格です。
しかし昇段試験からは勁が使えなければいけません。

太極拳で最も大事な勁なので、
有段者ともなれば勁を使えることが最低限の条件になります。

体重100キロと体重50キロがまともにぶつかったら
50キロに勝ち目はありません。

どうすれば?

その不可能を可能にするのが太極拳です。
太極拳独自の化勁(かけい)という力を使います。

体が小さい人には小さい人なりの闘い方があるのです。

M子さんはようやく丹田との繋ぎ方が解ったようです。
約8年、ずっと解らない解らないと嘆いてましたが、ようやく感覚を掴んで本人大喜び。
暗勁で打ってもらったら、腕力ではない重い衝撃が体の中まで伝わってきました。

本気で色帯を目指し始めてからM子さんは本当に変わりました。
これからが楽しみです。






2022年4月5日火曜日

カメラに映らないもの

そういえば、前々回の青空太極拳の時に、
最初から最後まで遠くから動画撮影されている方がおられました。

物珍しさに撮るという感じではなく、
ずっとカメラが回っていたのでそれがどんな目的なのかすぐに察しがつきました。

まずお礼を言わせてください。
当会の太極拳に興味を持って頂きありがとうございます。

とはいえ盗撮はダメですよ!

興味があるなら一緒に参加すれば良いし、
撮影したいなら許可を取る。
大人としてこれぐらいのマナーは守って頂きたいです。

とはいうものの、
動画を撮ったところで当会の太極拳は決して解らないでしょう。
見た目だけ真似ても決して当会が目指す太極拳にはなりません。

当会の目指す太極拳は人前で披露するための太極拳ではありません。

心と体を鍛え、悟りを得るための禅であり武術として行っているからです。
青空太極拳はそれを皆で共感し合う機会なのです。

目の前に置かれた料理の写真を撮っても、食べてみなければ決して味は解りません。
食べることによってはじめて、その料理のおいしさや素材への拘りや調理法が見えてくるのではないでしょうか?

伝統太極拳は続けていくことで様々な気づきが得られ感動が得られます。
そして更に上を目指したくなるし、楽しみは一生続きます。
套路はそれを得るための手段であり、目標ではありません。

套路は太極拳の先人達が、
カッコよく演じることを目的として作ったものだと思いますか?
いいえ。
套路は心と技と体を鍛えるための特別な鍛錬法です。

その先に何があるか?

それは今の自分を超える能力です。

歳は関係ありません。
大事なのは感じること。

若い人は体力はあるけど雑念が多いです。
選択肢が多いからです。
逆にご年配はそのことだけに集中することが出来ます。
体と心の衰えと共に選択肢が減ってくるからです。

太極拳、始めるのに遅いことはありません。
いや、寧ろ遅くていいのです。



一を極める

昨日は、午前普通クラス、午後は個人レッスン、夜間双辺太極拳クラスでした。

普通クラスで行っているのは伝統楊式太極拳。
当会で一番盛り上がるのは散手(技の用法)の時間です。
今回は如封似閉(にょふうじへい)をやりました。

毎月1回、和歌山から熱心に通ってるTさん、
今日は午後からの個人レッスンで抜き打ち気功テストを行ったところ、なんと仮合格。
いわゆる合格点でした。

話を聞くと、自分が教えている教室でこの気功を取り入れているとのこと。
制定拳の教室に気功を取り入れるというスタイル、
とてもいいと思います。

そんなTさんがこんなことを言いました。
「先生、陳式もされればいいのに」と。
私は即座に答えました。
「楊式以外やるつもりはない」と。

Tさんは軽い気持ちで言ったのでしょうが、
私にとって楊式太極拳は命です。

今やっている武術に何の迷いもありません。
目標もあるし、生涯掛けて成し遂げたいこともあります。

師との絆も大切にしたいです。
それだけのことを私に授けて下さったし、
師の意向に反することなど決して出来ません。

そもそも套路のレパートリーを増やすことに興味がありません。

套路をコレクションのように集めるのも愛好家の皆さんの楽しみのひとつだと思いますが、
私は広く浅くやるより一つを極めたいです。

八極拳の名人、李書文の言葉に
「千招知るを恐れず、一招知るを恐れよ」という有名な言葉があります。
「多くの技を身に付けるより、ひとつの優れた技を極めよ」という意味になりますが、私はこの考えがとても好きです。

過去に「太極拳の全流派を覚えて教えたらどうですか?」と言ってきた拳友もいましたが、その場で「興味ない」と一蹴しました。
陽式ですらまだ極めていないのに、あれこれ手を出してしまったら目標達成が遠のくだけです。

おそらく陽式太極拳を一つの套路として勘定しているのでしょうが、
私が知っているだけでも、陽式太極拳には5つの古い套路があります。

それに、刀、剣、棍、槍などの武器法。
徒手の対打套路では九十式の技があります。

他にも発勁法、化勁法だけでも何十種類とあり、
それだけの勁が使える人がどれだけいるでしょう?
おそらく1000人に一人もいないのではないかと思います。

20年掛かってもこれらをまだすべて修得出来ていないのに、
とてもではないですが、他流の套路を覚えている時間などありません。

一つを極める。

私が生徒の立場なら、このような先生について学びたいです。

今の師につき一生修行したいと思っているのはこのような理由からです。




2022年3月18日金曜日

できないから楽しい

出来ないことに落ち込んだり苛立ったりすることがあるようです。
解らないでもありません。
私もそういう時期がありました。

そんな経験を重ねるうちに逆にできないことを楽しめるようになりました。

答えは簡単です。
簡単にできてしまったらおもしろくないからです。

最近、道場に知恵の輪を置きました。
久しぶりにやってみたら、2回連続10秒足らずで解けてしまいました。
「なんだ、簡単だな」
手に持っていた知恵の輪をテーブルの上にポンと投げてしまいました。

それもそのはず、もうそれをやる必要がないのですから。

しかし、その後またやってみたら、全くできなくなりました。
何度やっても出来ないのです。

これ、太極拳に似ています。

出来たことが出来なくなる。

私はこういうことが起きた時こう思う癖があります。

100%出来ないものではなく、100%出来るものであることをまず教えてくれる。
それさえ解れば、出来なくなっても、無理だと匙を投げることはありません。
何度でも出来た時に戻ろうと努力します。

太極拳でも、できたことが出来なくなることがあります。
そして、その時の状態に戻ろうとします。
進むのではなく未来から戻ってくる感じです。

太極拳で一番楽しい時って、こういう時期ではないでしょうか?

なんでもすぐ出来てしまったらおもしろくないのです。

私は教える立場になってもまだまだ学びたいことが山ほどあります。
だから定期的に師に稽古をつけて頂きます。

もちろんその時は解らないこと、出来ないことばかりです。
しかしそのことに落ち込んだり苛立ったりすることは微塵にもありません。(本当です)

寧ろ、まだまだ学べることがたくさんあることに喜びを感じます。
ワクワクします。

私は読みたい本をすぐに読まずとっておく癖があります。
読んでしまったらそのとたん古本になってしまいます。
しかし読まずに楽しみにとっておけばいつまでも宝物です。

出来ないことに落ち込んだり苛立ったりするのは今日限りやめましょう。
ハッキリ言いますが、
間違いなく人生損します。

自ら楽しいことをつまらないことにしてしまっているのです。

出来ないことが出来るようになれば達成感を得ることができます。
しかしその達成感がいつまで続くでしょう。
どれほどのご馳走でも食べてしまったら終わりです。

できないこと、学べることがたくさんあることを楽しめば
間違いなく人生10倍楽しめます。



2022年3月15日火曜日

パワーのかたち

今回、師に稽古をつけて頂いて、改めて感じたことは、太極拳の勁(力)に形はないということ。

師が套路をやり出すと毎回動きが違います。
掌形も違います。
足運びも違います。
架式も違います。
向きも違います。

真似ようとしても決して真似られません。

それもそのはず、時間は絶えず流れているように形もどんどん変化します。

太極拳の勁(力)の出し方は「アメーバのように」とよく例えられますが、
太極拳で形を求めることはアメーバに形を求めるようなものです。

形を脱した師の動きは大きく膨らんで見えます。
その動きに一瞬の隙もありません。
毎回動きが違うのにも関わらずです。

形をとるか?
勁をとるか?

いずれも形を整えようとしてはいけません。
出て来るパワーがリアルに形となって現れるという感じです。

では師から何を見て盗むか?
出ている氣です。

書籍でもDVDでも動画サイトでも絶対に得ることが出来ないものです。

これが一番大事だと思いますし、この氣を感じさせてくれることが何より勉強になります。
そしてこれ以上有難いものはありません。



2022年3月3日木曜日

型を覚えることに終始していませんか

型を覚えることに終始していませんか?

型は太極拳の力をつけるための鍛錬法です。
だから、準備体操を覚えるように套路もさっさと覚えてしまいましょう。

套路で質を上げようとすることも大事ですが、
套路の中だけで質を求めても太極拳そのものの力を出せるようにはなりません。

推手と散手と並行してやること重要で、それにより総合的に質を上げることが出来ます。

最初の頃は套路を一通り覚えると嬉しいものですが、
私の場合は新しい套路を覚え終わった時点では「ようやく準備が出来た」としか思いません。

料理で例えるなら、食材を洗って切っただけの段階。
調理するのはこれからです。

型を覚えることを目標にするのは自由ですが、
目標がそこである限り何十年やっても自分の太極拳が変わることはありません。

太極拳の一般的なイメージは体操か舞踊かスポーツです。
武術だと思っている人がどれだけいるでしょう?
いくら言葉で武術だと訴えても、技や勁を使えなければ武術ではありません。

剣道、空手、合気道など武道は徹底的に技を磨きます。
技が鮮やかに決まると見ている方も気持ちいいものです。

しかし太極拳は美しく型を演じることを目標としています。

なぜでしょう?

もしかしたら強い太極拳を弱体化させるためなのかもしれませんね。

太極拳を本来の強い武術に戻しましょう。
太極拳の魅力は力を必要としないので、一生、心身共に強くすることが出来ます。
これは誰もが願っていることではないでしょうか。

是非一度、当会の太極拳を体験してみてください。

「太極拳って武術だったんですね!」
と驚かれる方が多いです。

そのようなわけで、
男女問わず技が使えるよう楽しみながら稽古しています。





2022年2月26日土曜日

スルーとは

皆さんはスルーという言葉をどのような意味で使っておられるでしょう。

便利に使われる言葉ですが、
スルーという言葉がなかった時代は「相手にしない」という意味だったかと思います。
いわゆる、相手にするほどの者ではないという意味。

しかし、どうも違う意味で使っている方もおられるようです。

それは
「自分では相手に出来ないから逃げる」

苦手な相手。
厄介な相手。
だから避けたい、逃げたいという意味です。

私は論争など衝突が起きそうな時、
いつもあることを基準に「スルー」するかどうかを決めています。

その相手との接触が自分にとってプラスになるならゴー。
マイナスになるならスルー。

但し、自分に非がある場合はその点だけは必ず謝罪するようにしています。
それは自分の心を常に清らかにしておきたいからです。
もし心に闇があれば闇を引き寄せてしまいますから。

こんな風に常に自分が成長出来る機会かどうかを考えて行動しています。

2022年2月25日金曜日

距離

昨夜の夜間クラスは3人で稽古しました。

入会したばかりのSさんにとってたくさん指導が受けられるのははいいのですが、
先輩方の稽古風景を見る機会がないので、久しぶりに楊式剣の一段を披露しました。

私は現在某カルチャーで講師をしていますが、
契約時に店長さんに伝えられたことが2つあります。

「生徒さん達に先生の技を見せてあげて欲しい」
「なるべくスキンシップを心掛けてあげて欲しい」

前者は、教えるばかりで先生が自分の腕前を見せないため、モチベーションが下がってしまうというもの。
後者は先生と生徒の距離感について触れられていました。

私自身、覚えたての頃は嬉しかったので人に見せたいと思ったものですが、
今はその逆です。
「見せたくない」に変わってしまいました。

まだまだ未熟なのですが、
内家拳の神髄に触れる域に来ると、自然とそうなるようです。
人に見せたい宝物と見せたくない宝物があるという感じでしょうか。

ですから、今はなるべく見せられるものは見せようと意識しているし、
毎回稽古で動きを見せながら皆さんと平等に手を合わせることも心掛けています。

距離感に関しては難しいと思います。

距離を縮めすぎると学ぶ意識が薄れ意欲が落ちてしまうし、
距離があり過ぎると疎外感を与えてしまいます。

いずれも学びの場で依存心(甘え)が生じると生徒は成長出来なくなってしまいます。

教室の環境づくりもなかなか大変です。
仲間がいれば仲間と助け合ったり刺激し合ったりも出来ますが、
そうでない時は同等の環境に近づけるため臨機応変に対応することが大事だと思っています。

武術だけでなくどんなことにも柔らかい力を使えるようになりたいものです。





2022年2月19日土曜日

真似る

太極拳で上達する最速の方法はなんでしょう?

そう、
「真似る」ことです。

先生の動きを徹底的に真似る。

いきなり自分なりにやろうとしたり、
オリジナルを出そうとすると確実に遠回りになります。

そもそも太極拳の動きにはひとつひとつ技や勁を出すための重要な要素が含まれているので、それを無視した動きをしても太極拳にはなりません。

YouTubeなどを真似てやっても、YouTube先生はあなたの動きを見てはくれません。
動作が合ってるのかどうか?
それにひとつひとつの動作の意味を質問できるわけでもありません。

私が太極拳を始めた時は、まずは師を完コピしようと思いました。
師の動きがとてもカッコ良かったからです。
だから真似るというより成りきっていましたね。
なりきりパワーです。

上達の遅い人は自分でやろうとしています。
自分でやろうとするから壁にぶつかってしまい、どんどん出来ないスパイラルに陥ってしまいます。
そのスパイラルから這い出すのに労力を費やし疲れてしまいます。
わざわざ自らそれを選択してしまっているのです。

頭を切り替えましょう。

単に真似ればいいのです。

子供は親を真似て成長します。
やったことのないことは自分では出来ないですから。

上達の早い人を見ていると師の動きにとても似ています。
逆に遅い人は完全我流になっています。
真似ていないのです。

太極拳の目的は套路を覚えることではありません。

準備体操を覚えるように套路もさっさと覚えてしまいましょう。
套路は鍛錬法なのですから。
鍛錬法を覚えることを目標にするのはおかしくありませんか?

太極拳の功夫を身に付けるための鍛錬法なのです。
だから早く覚えてしまいましょう。

とにかく「見る」「真似る」
これだけでメキメキ上達します。



2022年2月11日金曜日

毒針を持った太極拳

当会では稽古にきたら自主的に準備運動をしてもらっています。
「準備運動は絶対必要か?」と言えば必ずYesとは限らないと思っています。

どういうことかと言いますと、
常日頃から内家拳(太極拳等氣のパワーを用いた武術)を意識した動きが出来ていれば、それがすでにウォーミングアップや内家の鍛錬になっているわけで、更にウォーミングアップする必要はないと思う訳です。
(もちろん稽古以外の時に太極拳スイッチを切っている人はしなくてはいけません)

たまに稽古前にストレッチをしている人を見かけますが、
これもまた必要ないと言えば必要ありません。
体の柔軟性がなくなったからと言って体が弱るわけではありません。

それに伝統太極拳で腕や脚を伸ばすことは最もしてはいけないことです。
理由は体内の氣の流れをつくるのによろしくないということと、
武術的に手足をピンと伸ばす行為は怪我の元になるからです。

しなくてはいけないことは「伸ばす」ことより「弛める」ことです。

生徒時代、ある太極拳教室に通っていた時、稽古前に腕立て伏せをしている人がいました。
「なんのためにしてるんだろう?」と思いました。
確か他の武道をされている人だったと思います。

因みに師が柔軟運動や筋トレをしている姿を一度もみたことがありません。
しかし師は人間離れした強さをお持ちです。
円を描くような柔らかい動きと相まって、鋼のような強靭な体、
そして大砲のような威力の発勁。

しかし着替えの時に見た上半身は胸板が厚いわけでもなく、腕が太いわけでもなく、どちらかといえばひょろっとされています。
ほぼ私と同じような体系でしょうか。

どこにも鋼のような分厚いものは見当たりません。

不思議です。
まるで目に見えない鎧をまとわれているような感じです。

これが私が知る内家拳です。

鋭い突きやパワフルな蹴りが出来たらとてもカッコイイです。
しかし、それをミットやサンドバッグではなく、鉄壁や鉄柱に対して出来るでしょうか?

それに、そのパワフルな突きや蹴り、何本打てますか?
10代20代ならそれなりに打てるでしょうが、
息が上がってしまったらもう闘えません。(体験談)

本当の内家拳を知ったら、いきなり暗黒の宇宙に放り出されたかのような恐怖を感じます。
いかなるパワーもブラックホールに吸い込まれてしまうようなイメージでしょうか。

少なくとも私はそれを何度も経験してきました。

太極拳の強さは柔軟性や筋力ではないのです。
一言で言うなら空間(宇宙)との融合です。

ひらひらと優雅に舞っているかのように見える太極拳。
もしかしたら、そこには毒針が隠されているのかもしれません。



2022年2月6日日曜日

これまでの60年、これからの60年

私は来年還暦になりますが、

これまでの人生を振り返って思うことは「人生って結構長い」です。

そして今後更に60年元気に生きようと思っています。

太極拳を始めて変わったことは、

階段を駆け上がれるようになった、
重い物を軽々と持ち上げられるようになった、
速く走れるようになった、
いくらでも歩けるようになった、
息がきれなくなった、
風邪をひかなくなった、
怪我をしなくなった、
怪我の治りが早くなった、
煙草をやめることが出来た、
酒をやめることが出来た、

あげだしたらキリがないほど変わりました。

つい最近まで学生だと思われていた私ですが、
何故それほど若くみられるのでしょう?
ただ、あと60年生きることを考えれば丁度いいのかもしれません。

今思うことは太極拳に出会えて本当に良かったと。
そして今後一生続けます。


2022年1月31日月曜日

太極拳に依存してはいけない

太極拳は免疫力と治癒力を上げることができます。

私の経験からしてあえてその効果は「驚異的」と言わせてもらいます。

内臓損傷>5日で回復
骨折>3日で回復
風邪>15分で回復
捻挫>30分で回復
内出血>2時間で回復
打撲>即時回復
脱臼>2時間で回復

全て事実です。

これが太極拳の効果です。

ただ、怪我や病気の度合いによっては太極拳だけでこれほど早く回復しません。
太極拳の健康効果はもはや私が語るまでもなく世界的に認められています。

しかし太極拳に依存してはいけません。

どういうことかというと、
太極拳をやっているから、暴飲暴食喫煙寝不足不摂生OK!
ということではないということです。

逆です。

太極拳をやっているからこそ、
こうしたことに気を配りましょうということです。

また、怪我の場合はその修復に必ず栄養が必要です。

考えてみてください。
家の壁が壊れたとします。
放っておいて直りますか?
壁を補修する材料が必要ですよね?

人間も同じです。

体調不良や怪我が多いのは、それらを作ったり修復したりする材料(栄養)が足りていないからです。

人間の体は大まかに、水とタンパク質で出来ています。
だから良質の水と良質のたんぱく質をしっかり摂れば、良質の体が出来るということです。
私は体に入れるものはかなり拘っています。

太極拳に依存してはいけません。
太極拳をやっているからこそ、栄養と睡眠にも徹底的に拘ってください。
放っておいて治るのは20代半ばまでです。
それ以上になったら、体をつくる栄養をしっかり摂らなければ様々な病気を引き起こし、怪我が増えます。

あえて言い切ります。

私が地元奈良で太極拳教室を立ち上げたのは、私自身が数々の病気を克服し、成し得た健康法を伝えながら、多くの人々と健康の喜びを分かち合いたいと思ったからです。



2022年1月28日金曜日

解らないと言えること

あくまでも私の場合ですが、

解らないことを解らないと言える武術家が一番カッコいいと思います。

実際そうなのです。

経験していないものを頭の中で分析したり推測するのは自由ですが、
それを最もらしく言うのは違うような気がします。
門派が違えば、技も技法も力の使い方も違うからです。

例え、同じ太極拳でもひとくくりにしてしまってはいけないと思います。

私の専門は楊式太極拳ですが、
陳式太極拳や呉式太極拳の先生とお手合わせさせて頂いた時、楊式とはかなり違うことを知りました。
呉式太極拳は楊式太極拳から派生したものなので共通する部分は多いですが、とはいえ、やはり違います。

やはり長年学ばねば解らないことが多く、
その威力は実際に手合わせしてみなくては解りません。

楊式以外には双辺太極拳も修練していますが、
その他にも陳式、呉式、孫式も少しだけ学びました。

とはいえ短い套路を覚えただけです。
勁の使い方や戦術は知りません。

他流の動画等を拝見すると凄いなと思うものばかりですが、
確かにそれらとの共通点を見つけることも出来ます。

しかし、それはあくまでも視覚的な情報だけであって、実際に技を掛けられてみなくては、その本質は決して解りません。

だから、私は憶測だけでそれらを決定づけることはしませんし、
もしかしたらその憶測ですらその流派の技(罠)かもしれません。
少なくとも楊式太極拳にはそのような技が数多く潜んでいます。

他の武術や武道経験ある人が当会の稽古を経験すると、
まず楊式太極拳の技にとてもビックリされます。
いわゆる「想像と違った」ということです。

太極拳と柔術は共通点が多いですが、それでもやはり違います。
太極拳は本来、陰陽論を元に仙道から生まれた武術なので、物理学の他に霊子力学が含まれます。
これも実際に経験すると、今までに経験したことのないような驚きと恐怖を感じます。

だから推測したり模索しても無駄なのです。
そもそも推測で解ってしまったら武術ではありません。

合気道の技を掛けてもらったことがありますが、見た目のダメージはそれほどでもないように見えますが、腕を掴まれた瞬間にかなりの痛みが走ります。

柔術である心眼流もその名称とは裏腹に技を掛けられると骨を砕かれるような痛みを受けることになります。

経験しなくては解らないことです。

その他にも心意拳、形意拳、意拳、陳式太極拳などの内家拳の先輩や先生方とも手合わせさせて頂いたことがありますが、流派が異なるだけのことはあり、それぞれに独特の技法があります。
決してひとくくりには出来ません。

心意拳の崩拳を喰らうと、翌日までその痛みが続きます。
八卦掌の穿掌をまともに喰らい激痛が2週間続いたこともあります。
形意拳の勁返しを喰らって1年以上痛みが残ったこともあります。

とにかく動画を観ただけでは決して解りません。

だから他流の方との交流ではそれらのことをリスペクトすることが大事だと思います。

解らないことを解らないというのは大事だと思います。

私の場合は解らないとハッキリ言います。
解らないことを解ったように言うのは嘘になるからです。
その嘘がバレるのは時間の問題でしょう。

動画だけでは解らないことが多すぎて解析すら出来ないことも多々あります。
だから、ただただ凄いとしか言えません。

そもそもぱっと見で、手の内が解ってしまうのであれば、
功夫もまだまだそこまでということになるでしょうから。

他流の魅力はやはり想像の裏にある秘密(秘伝)にあると思います。



2022年1月23日日曜日

ハリと柔らかさ

これまでたくさんの会員さんの推手をしてきましたが、少しずつ良くなりつつあるものの、まだまだ硬い人が多いです。

ハリがなく、硬い。

推手は太極拳の練度を測るバロメーターのようなもので、手を触れた瞬間に相手の実力が解ります。

ほとんどの人がテクニックで推手の上達を試みようとするようですが、テクニックだけでは限界があります。

推手は心の状態をそのまま反映するので、心を磨かなければ自分の推手が変わることはありません。

必死で支えようとしたり、
崩されることを過剰に恐れたり、
いいところを見せようとしたり、
自分を隠そうとしたり、
誤魔化そうとしたり、
鼻っから真剣にやろうとしなかったり・・

全て解ってしまいます。

ひとつだけコツがあります。

テクニックではありません。

それは・・

「諦める」ことです。

無駄な抵抗はしないということでしょうか。

推手に限らず人間実力以上の実力を出すことなど無理なのです。
実力をつけたかったら練習あるのみです。

そういったメリットのない雑念をすべて捨て去り、
相手に合わせてみませんか?

自分のことばかり考えてしまい、相手を感じようとすることを忘れてしまっているのです。

私はいつも冗談のように「思いやりが大切」と言いますが、
相手を感じようとすることが太極拳で一番大事なことなんです。

そのように心を切り替えれば、自分の推手が
ハリがあり、柔らかい推手に変わって行くでしょう。






2022年1月22日土曜日

暴力か?武術か?

最近思うことをちょっと書かせてください。

SNSはとても便利なツールです。
同じ趣味をもった仲間とすぐに出会うことが出来ます。
お互いの刺激にもなるし勉強にもなります。

しかし武術対練(対打等)に関しては十分気をつけねばいけないと思います。

たまに痛々しい映像を目の当たりにしますが、
SNSや動画サイトを見ている人は常識人ばかりではなく、辛い状況や過酷な状況の中で生きている方もおられると思います。

最近無残な無差別殺人が増えていますが、犯人は常識人でしょうか?
何もなければ人を殺そうなどとは思いません。
何かあるからです。

その動機を与える側になってはならないと思います。

この世をもっと良くしていこうと思うなら、
素人が見て暴力と見境の付かないような技は控えるべきだと私は考えます。

私自身武術をやっていて一番恐れるのは、
自分が負けることや怪我を負わされることではなく、
仲間に怪我を負わせてしまうことです。
本当にこれが一番辛いことです。

怪我だけで済めばよいですが、武術は勝敗を決めるための格闘技と異なり、生死を争うための術です。
そのため多くの殺人技を含みます。
それをネット上で大々的に披露するのは武の道から外れるのではないかと思うのが私の考えです。

武術は自分自身を鍛えるための修行であり、他人を傷つけるためのものではありません。
我欲(強さの誇示)のために人を傷つけてはいけません。

本気で平和な世の中を望んでいます。

***

追記:
私の場合、SNSや動画サイトでの暴力的な動画アカウントはミュートやブロックするなどして影響されること(心の乱れ)を防いでいます。
最近、得たこれらの情報は、私自身がみつけたものではなく人から噂で聞いたものばかりです。